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愛情は奪い合うものではない。「嫉妬をなくす方法」について、パワポ13枚で真剣に考えて、わかったこと。

先日、Abema Newsにて連載テーマの1つにしているポリアモリーに関する特集があった。

ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでのシリーズはこちら

放送はYahoo!ニュースに転載され、恒例行事のようにコメント欄は荒れている。

ただ僕には、ポリアモリーの是非というよりあるやりとりが印象に残った。それは「ポリアモリーだって嫉妬しますよ」という話。

実は僕もポリアモリーの実践をはじめてから、完全に嫉妬から脱却できたとは言えない。

嫉妬はなぜ、なくならないのか。
嫉妬をなくす方法はないのだろうか。

例によってパワーポイントを起動して、少しずつ整理してみた。

今日はそんな話。

(読了まで5分です)

■嫉妬の手前にある感情

まずは嫉妬の流れを、1つのフレームにしてみた。

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左側を「事象」、右側を「感情」として、時計回りで進む。

嫉妬のきっかけが最初の事象。そこからとある感情が芽生え、嫉妬に至る、という構造だ。

よくあるシーンを当てはめてみよう。

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自分の恋人が、他の人と仲良くしていることを知るのが最初の事象。そこから不安な気持ちになり、嫉妬心が発露。

そして最後は自分の不安を解消しようと行動を起こす。(そして大抵モメる)

嫉妬の手前にある感情、それは不安だ、という仮説を軸に一旦話を進めてみる。

■不安の背景にある前提

自分の恋人が、他の人と仲良くしていると不安になる。この場合「不安」の正体はなんだろう。

おそらく「恋人が他の人を好きになって、自分が捨てられること」に対する不安だ。

その背景には「恋人の枠は1つだけ」という前提がある。

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恋人の枠は1つしかない。今、その枠にいるのは自分。だから自分以外の存在に危機感を覚える、敵対視する。

この「自分の居場所が奪われる(かもしれない)」という不安から生じるのが嫉妬で、その背景には「枠は1つしかない」という前提がある。

■ポリアモリーなら嫉妬しない?

「恋人の枠は1つだけ」という前提を壊すのが、複数愛と呼ばれるポリアモリーだ。

これまで当たり前だと思っていことを「実はバイアスだったのではないか?」と捉える視点はビジネスでも重要とされている。

ちなみにバイアス(bias)とは「思考に偏りを生じさせる思い込み」の意味で、無意識に抱いている先入観や偏見ことをアンコンシャスバイアス(unconscious bias)と呼ぶ。

ポリアモリーという概念は「恋人の枠は1つだけ」という前提に対して「それ、実はバイアス(単なる思い込み)だったのでは?」と世の中に投げかけている。(だからよく炎上する)

その是非はさておき、確かに恋人の枠が複数あれば、恋人が他の人と仲良くなっても即座に自分の居場所が奪われることはない。不安は軽減され、嫉妬もなくなる気がする。

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しかし実際、ポリアモリーでも嫉妬がなくならない理由が2つある。

1つはシンプルで、ポリアモリーの恋人がポリアモリーとは限らないから。

自分の前提は「恋人の枠は複数ある」でも、相手の前提が「恋人の枠は1つだけ」だとしたら、「自分の居場所が奪われる(かもしれない)」という不安が消えることはない。

結局は同じことで、何も変わらない。

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そもそもポリアモリーとモノアモリー(恋人は1人派)は付き合うな!
ポリアモリーはポリアモリーとだけ付き合っておけ!という議論はまたどこかで。

そしてもう1つ。ポリアモリー同士でも嫉妬を完全除去できない理由がある。

■嫉妬を消させない強い前提

「恋人の枠は1つだけ」という前提が、世の中のバイアス(単なる思い込み)だったとしても、事実として「絶対に揺らがない前提」もある。

その前提が、ポリアモリー同士でも嫉妬が生まれる要因になっている。

それが「時間は有限である」という前提だ。

恋人枠は1つだけじゃない、複数ある。その枠数が無限だったとしても、時間は有限であることは変わらない。

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恋人枠の奪い合いは避けられても、今度は時間の奪い合いが待っている。

自分の恋人に他の恋人ができたら「自分と過ごす時間が減るのではないか」という不安は避けられない。

自分以外の存在が、多かれ少なかれ自分の居場所を脅かす存在であることは変わらないのだ。

実際、ポリアモリー同士でも、同じような嫉妬サイクルを巡ることになる。

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自分の不安を解消しようと「時間の平等ルール」なんて提案で、2人の関係性にヒビを入れてしまうこともあるだろう。

■時間と愛情のバイアス

「恋人の枠は1つだけ」という前提を壊しても、嫉妬はなくならなかった。
恋人枠の奪い合いを避けたら、今度は時間の奪い合いになった。

しかし、ここでもう1つ、疑うべき前提が浮かんでくる。

それは「時間 ≒ 愛情」という前提だ。
本来「愛情」の奪い合いである嫉妬が「時間」の奪い合いに発展している点に注目してみたい。

兼ねてから日本には「時間をかける=愛情の証」とする前提がある。

例えばその昔「手編みのマフラー」なんてものが、恋人同士における象徴的なプレゼントとされていた。それが美化される理由は、時間がかかっているからだ。

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相手のために時間をかけることが純愛の象徴とされ、僕らの脳には「時間がかかっている=愛情がこもっている」という前提がプリセットされている。

僕らは無意識に時間を愛情に変換している。

だから「愛情の奪い合い」も「時間の奪い合い」に変換される。愛する人と時間を共にすることにこだわる人は多い。

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この「時間 ≒ 愛情」という前提こそ、まさにアンコンシャスバイアス(unconscious bias)ではないだろうか。

もう一度 → バイアス(bias)とは「思考に偏りを生じさせる思い込み」の意味で、無意識に抱いている先入観や偏見ことをアンコンシャスバイアス(unconscious bias)と呼ぶ。

「時間がかかっている=愛情がこもっている」という前提は、社会全体の単なる思い込みではないだろうか?

この先に嫉妬から抜け出すゴールがある気がする。

■有限な贈り物と、愛情の関係

なぜ僕らは「時間がかかっている=愛情がこもっている」と変換するのか?その答えもまた「時間が有限だから」だ。

・忙しい恋人が、私のために休みを取ってくれた=愛情
・貧乏な彼氏が、無理してプレゼントを買ってくれた=愛情

僕らは他人の有限なものに惹かれる傾向がある。だから有限なもの贈られると、それを「愛情」だと勘違いする。

そして恋人関係なら、相手の有限なものに対する所有権がある、と(無意識)に捉えているのではないだろうか。

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だから「付き合っているなら、相手が自分のために時間を割くことは当たり前」であり、ライバルとはその時間を奪い合うことになる。

■無限と有限の紐付け

ところで、(今は離婚してしまったが)僕が結婚式をした時、牧師がこんなことを言っていた。

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確かに愛情に上限はない。

子供が2人いても、100の愛情を50と50に分けるわけじゃない。それぞれに100の愛情を贈ることができる。

そう言った意味で、やはり愛情は無限だ。

そこで改めて「時間がかかっている=愛情がこもっている」という前提について考えてみる。

すると、1つの疑問がわいてくる。

愛情(無限なもの)と時間(有限なもの)を紐づけるのって、おかしくないだろうか?

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「愛はお金なんかじゃ換算できない!」

という理屈が通るなら、同じ構造で「時間がかかっている=愛情がこもっている」という前提も、否定される要素をはらんでいる。

つまり「愛情の奪い合い」が「時間の奪い合い」に変換されているのが、そもそもおかしいのだ。

■愛情を奪い合わない勇気

最後に話を嫉妬に戻す。

こうして考えると、嫉妬は「有限性」との関連が深いことがわかった。

限られた恋人枠の奪い合い、限られた時間の奪い合い。
限られているから、奪い合いになる。

限られている、と考えるから「自分の分を失うのではないか?」と心配になる。心配になるから、嫉妬してしまう。

本来、無限の概念だった愛情を、有限の概念の中に収めようとするから余計な心配が生まれる。嫉妬が生まれる。

本来、形のないものに、形を求めるから不安になる。
本来、所有できないものを、所有しようとするから不安になる。

愛情は、愛情のままにしておくことこそ、嫉妬を回避する秘訣なのかもしれない。

愛情は奪い合うものではない。

その前提を獲得した時、感情はどう変わるだろうか。

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