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「開かれた日本」は必要条件、「どんな日本」が十分条件

2年以上ぶりの米国出張から帰国するに当たり、水際対策に身構えていた。幸い3月からの緩和措置によって、3回ワクチン接種済の条件で隔離がなくなったものの、それでも入国審査に2時間強はかかってしまった。

現地にいる間に、アプリでファストトラック申請を準備できたが、それでも残る書類の確認は、外国籍と思われるアルバイトが人海戦術でこなしており、唾液検査の結果が出るたび、ひとが疲れた声で検査ID番号を読み上げる―デジタルとアナログの交じった不思議な手続きが展開されていた。コロナ前は、パスポートひとつで簡単にバゲージクレームまで歩けたことを思うと、隔世の感がある。

日本の水際対策が例外的に厳しく、しかも去年11月終わりオミクロン型拡大初期は外国人の新規入国を停止したため、「コロナ鎖国」と批判されている。実は、これは急に起こった話ではなく、コロナ前を含めて巨視的にみると、日本が世界から孤立するトレンドを加速させたように思われる。

日本経済の勢いが良かった80-90年代初頭は、日本を脅威とみる「日本バッシング」が盛んだった。平成に入り、成長が停滞してからは、素通りされる「日本パッシング」、失われた何十年が続くうちに自虐的な「日本ナッシング」が定着した延長線上の、厭世的な「コロナ鎖国」と位置付けられる。

しかし、ようやく世界がパンデミックのトンネルを抜けようとするとき、日本は内向きモメンタムに負けてはいけない。意識的に外に向かって開き、世界と積極的に関わる経済大国であってこそ、日本の将来が描かれる。

まず、経済活動の面から、開かれた日本は重要なことは言うまでもない。既に多くの日本企業は輸出よりも海外生産が重要度を増し、海外市場とのつながりは国内へ利潤を還元するためにマストである。

次に、国境を越えたひとの交流は、日本の発展に欠かせない。国内人口減少は所与であり、将来的に移民は避けて通れない話題だろう。短期的には、ビジネスにおいて優秀な海外人材を取り込むことが日本の競争力を高める。留学生の行き来を増やせば、世界に知日派をつくると同時に日本人リーダー層の海外ネットワークを広げることができる。

このような信頼関係は、日本の外交にとっても大切だ。アメリカとの同盟がありながら、ロシア、中国といった西欧の論理で動かない国々に近い日本は、これからますます難しい外交のかじ取りを迫られる。日本は民主主義陣営の一翼として国際政治における役割を果たすことが求められ、鎖国している場合ではない。

最後に、学術・文化面でも、開かれた日本の意義は大きい。海外に貪欲に学んでこそ、日本に大きな発展があることは、明治維新や戦後の歴史が証明する通り。SNS全盛とはいえ、すべてがスクリーンを通して学べるものではない。ユニークな伝統ある日本文化を正しく発信するためにも、ひとの往来や交流を促す政策が必要だ。

まとめると、日本が世界と積極的に関わることによって、日本にも世界にも大きな便益がある。あまりにも厳しい水際対策を続けることは、この視座からは不適切だろう。

一方で、「開かれている」ことは日本の国力を取り戻すため必要条件だが、十分条件ではない。己を知ってこそ、他者との交わりに意味がある。すなわち、いったい何が日本という国を定義するのか?この問いと真剣に向き合う時機が訪れている。

パンデミック以前から日本を覆った閉塞感は、この国が将来像なく漂流しているという漠然とした不安と表裏一体だった。米中というスーパーパワーに遠く物量で及ばない日本が、拠り所とするものは何か?科学技術か、SDG経営か、高齢化を逆手にとった新たな社会システムか?「新しい資本主義」という岸田政権の言葉に何かヒントがありそうだが、まだまだ不透明だ。

アメリカによるアフガニスタン撤退に続くロシアによるウクライナ侵攻は、戦後の圧倒的にアメリカが強かった時代「パクスアメリカーナ」の終わりを告げると分析する専門家もいる。コロナ危機の後半戦に地政学的な位相転移が重なるという、希少なタイミングを私たちは迎えている。日本がどんな国になりたいのか、開かれた日本が世界にどのような貢献ができるのか、今こそ知恵と議論が求められる。


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