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SDGsと地球のコモン化の間に

311を経た上でも、再生エネルギーは非効率であり主要エネルギーにはならないという論調も永田町含めて大きいように感じていたものの、昨今急速に再生エネルギーを拡大させよう、脱炭素社会に急速に進めて行こうという議論や動きが加速しているような気がしていて、ちょっと驚いているというか大きな変化を感じつつあります。

その背景には、世界が脱炭素をめざして一斉に走り出したことで、日本もそのレースにおいて置かれるわけにはいかないということで、急に再生エネルギーや自然環境への配慮を打ち出している印象があるが、そもそも世界が急激にシフトしている背景はどんなものなのだろうか?とふと思ったところ、この記事がとてもわかりやすくまとまっていたのでご紹介したいです。

いま同じように昏睡(こんすい)から覚めた大企業のトップがいたら、さぞかし驚くことだろう。欧州に続いて中国が二酸化炭素(CO2)排出の実質ゼロを宣言し、これに日本、そして一時は温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」に背を向けた米国も倣おうとしている。「何がこうも社会を急変させたのか」。トップの問いに口ごもる部下らの胸には、おそろいの見慣れないSDGsのカラフルなバッジが光っている――。

「3.5%ルール」そして「バンドワゴン効果」と、なるほどと思うくらい急激にシフトしている。そしてその上で、やはり『SDGs』(国連サミットで採択されたSustainable Development Goals(持続可能な開発目標))の設定が大きい効果を生み出していのも間違いないと思われる。

ソーシャルゲームでもそうだけど、やはり人間は目標数値と期限があるとなんとなくそこに向かって動きやすくなるように「2030年までの15年間で達成するために掲げた目標」が世界共通で設定されたことで、動き出した事も少なくないと思われる。

とはいえ、私自身『SDGs』について深い知識があるわけではないので、
なんとなく『SDGs』=地球環境の為のアクションと勘違いしていたけども、
自分が昨年いたま国際芸術祭に携わっていた流れで、これから行われる地域芸術祭をまた色々と調べていたら、「北九州未来創造芸術祭 ART for SDGs 」という芸術祭が開催されることを知り(ちょうど昨日に開幕!)、「アートとSDGs!?どういうこと・・!?」と驚き、ちょっと強引なんじゃあとか思ったけども、ちゃんとSDGsを調べてみたら、強引どころか正統な話しであった事を知り、自分の無知を恥じたものですが、

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

など、表現活動が推進できるものも少なくない。
天の邪鬼な自分としては、なんとなく大号令が掛かってそうだからという理由でスルーしちゃっていたSDGsについて虚心坦懐に勉強しなきゃいけないのではと思い、podcast番組『MOTION GALLERY CROSSING』特集のテーマに据えることにしました。

『持続可能な社会における創造力』と題して、「現在とこれから」の社会と文化を象徴し関連し合う、人間らしさとしてのクリエイティビティとSDGsについて、モデルの長谷川ミラさんと、University of Creativity(UoC)サステナビリティフィールドディレクターで、株式会社博報堂クリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリさんをゲストにお迎えしてお送りしまました。

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「国際共通語としてのSDGs」

初回となるsection1では、ゲストお二人がSDGsにコミットするようになったきっかけを紐解いていきながら、日本と海外とでのSDGsの対する意識の違いや、メディアの果たす役割、さらには教育・政治についてまで、SDGs導入編とも言える包括的なトークが繰り広げられました。

入社1年目の赴任先で阪神大震災という未曾有の災害を経験し、ただモノを売る広告に疑問を持ったことから、仕事を通してサスティナブルな活動や文化芸術をサポートする活動をしてきたという近藤さんと、ロンドンの大学生活でのレジ袋税や周囲の学生が持つ圧倒的なその意識の高さから、社会問題について考えるようになったという長谷川さん。お二人に共通していたのは、以前から持っていた社会課題への意識に、SDGsという目標が合致したことで自身の活動がさらに具体化・活発化したという点でした。

また、日本と海外ではSDGsはもちろん社会問題や政治についてメディアが果たす役割が大きく違うことや、日本の豊かさが人々の社会への参加意識や社会改善への意識に影響しているという視点、そして学校教育にSDGsのカリキュラムが加わる一方で、今まさに社会を動かしていく20代にはその情報がしっかり伝達されていないのではないかという危機感など、持続可能な社会を考える上で欠かせない日本の社会の現在についてトークが繰り広げられました。

「SDGsは世界を分断しないのか」

section2では、現在、ゲストお二人が携わるSDGs関連の具体的なプロジェクトについて伺いながら、SDGsが生まれた背景には世界的な経済格差があること、そしてその様々な達成目標と、その実現のために周りを巻き込んでいく求心力の大切さにについてトークが繰り広げられました。

近藤さんは「目標12:つくる責任つかう責任」にあたるプラットフォーム「EARTH MALL(アースモール)」や、クリエイティビティに関わる多くの人がSDGsについて語れる場である「University of Creativity(UoC)」で「目標11:住み続けられるまちづくりを」に向けた気候変動やアーバンファーミング、アップサイクル、牛肉生産による環境破壊を考えるアクションなど、多岐に渡る活動を。

そして長谷川さんは自身が手掛ける、性別・障害・年齢問わないオールジェンダーでサステナブルな服づくりのアパレルブランド「JAMESIE (ジェイムジー)」において、SDGsを知ったことで服をつくることが環境破壊につながることを知り、いったんブランドをとめてまでしてSDGsへの意識もとに再構築したというエピソードや、SDGsについて考える持つ人同士を繋げるコミュニティ「mimo (ミーモ)」のほか、SDGsを広める活動のために企業に積極的にかけたことで新たな企画がスタートしたエピソードを。

「生きてくだけでギリギリな暮らしと、持続可能な社会の間で考えたこと」

section3では、長井さんから発せられた「SDGsとして望ましい商品を、買える人と買えない人。そこにある貧富の距離を感じる」という言葉をきっかけに、どうすればみんなで持続可能な社会の実現に取り組めるのかについてトークが繰り広げられました。

近藤さんは「3.5%」という数字を挙げて、それぞれの立場からできる行動を実践することで、サステナブルではない商品が売れなくなり企業も変わらざるをえなくなるような、システム自体を変えていくのが重要であること。そして長谷川さんからは、互いを批判するのではなく自分の手の届く範囲でできることをやる、という答えが。

「やらないといけない」ではなく「自分ならこうする」という創造性と継続が楽しさとなり、そこに仲間がうまれ、しいては社会のシステムを動かすことに繋がるという連携こそ、SDGsの実現とその背景にある様々な格差を減らすために必要なのではという展開に。

「”クリエイティビティの使い道”とSDGs」

最終回となるsection4では、お金とクリエイティビティ、そして持続可能性という3つをバランス良く満たすためのヒントとして、自分のクリエイティビティの使い道を意識することや、SDGsと企業と予算の現実を加速させるアイデアなど、持続可能な社会を創るための行動について。

生活のための仕事と社会課題に対する活動とは別にせざるを得なかった頃とは違い、特にSDGsが謳われるようになってからは、サステナビリティに取り組むクライアントとの仕事に集中できるようになったという近藤さん。お金を稼ぐことを目的とするのではなく、お金や何かを得るために自分のクリエイティビティを発揮した結果、それが社会にどんな影響を及ぼすのかを指標とすること、つまりみんなが自分のクリエイティビティの使い道に責任を持つことが大切という考えに、一同納得。

また、長谷川さんはSDGsに取り組む中で感じる、企業がまだSDGsの活動に予算を割く段階にまで至っていないことや、経済的な部分でSDGsに取り組みたくても取り組めない中小企業もあるという現実を挙げ、もっと多くの人がSNSを通じてSDGsについて発信・共感を表明することで世間の注目度が高まり、SDGsに予算=お金がつきやすい社会状況を創るという、誰もがチャレンジしやすいクリエイティビティのアイデアの提案も。

さらには、自分のクリエイティビティへの対価に妥協しない姿勢が文化の持続性に繋がっていくことや、パーマカルチャーとSDGsの繋がり、芸術祭とSDGsとの意外な関係性などについての話があがりました。

トークテーマに関連した音楽とともにラジオ感覚で聞いていただける、
SPOTIFYのプレイリストでもぜひお聞き下さい!

SDGsは「大衆のアヘン」

こんな感じで『MOTION GALLERY CROSSING』のSDGs特集ではとても深いお話が展開され、1リスナーとして本当に勉強になったと思いつつも、番組パーソナリティーの長井短さんの「むしろSDGSが社会の分断につながるのでは!?」という疑問の提起にはドキッとさせられた。

とても考えられて、わかりやすく、社会の方向性と目標を定義してくれたSDGsだけれども、そのわかりやすさ(目標値と期限という動きやすさ)は、その目的が正しくとも結果悪影響に繋がったような話も歴史上はいっぱいあったよねとも思い返すきっかけとなった提起だと感じた。

そういうえば、
「SDGsは「大衆のアヘン」であり、賛同できない」
というような話しを、最近FMラジオを聞いていたときに話していた学者の方が居たことを思い出して、本を読まなくちゃ・・・!ということで買って読みました。

実は、その前に、「中流という生き方はまだ死んでいない。」と高らかに宣言した、スティグリッツ著の『PROGRESSIVE CAPITALISM(プログレッシブ キャピタリズム)』を読んでいたものの、

アメリカの黄金時代とは中流が分厚い時の時代であって、ネオリベラリズムが広がり金融業界がエンパワーメントしていき格差が広がるなかでアメリカの黄金時代は終わったのだという郷愁を醸し出す映画『フォードVSフェラーリ』や映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に感激した自分としては、すごくスティグリッツの論理展開に賛同したくなるものの、ちょっと非現実的というか懐古主義的で実効性がないようにも思えてしまう内容だった。

ソリューションが「戻れる!」みたいな感じだったからだと思う。
(ちょっと雑な纏め方だけど・・・)

それであれば映画『ノマドランド』が映し出した”希望”の方にリアリティーを感じた自分としては、

のっけからスティグリッツの『プログレッシブ キャピタリズム』の論理展開を全否定している斎藤幸平氏の『人新世の資本論』には魅了された。

人新世とは、人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与えるようになった、「人が地球を覆い尽くす」時代を指す。そんな時代、つまり現代においてマルクスが資本論で指し示したかった内容を”正しく”解釈し直すことで、本当の未来の指針を指し示そうというのがこの『人新世の資本論』でした。

個人的にはとても興味深く読ませていただき、そして示唆に富んだ本だと思いました。もうだいぶ広く読まれていると思いますが、まだの人がいたらぜひGWに読んでいただきたいなと思います。

スティグリッツの中途半端な「経済を金融主義から取り戻して、平等と経済成長とエコロジーの両立ができる」という話しを、「そもそも資本主義が内在しているネイチャーが煮詰まったものが現在のネオリベラリズムである」と本質を喝破し、だからこそ中途半端な資本主義とエコや平等の両立を目指すのではなく(目指しても、結局資本主義のOS上で経済成長を目指す時点でネオリベラリズムに帰着するのだから)、本質的なパラダイムシフトを実現しないと何の解決にもならないのであるというのが本書の主張。

著者は、その回答として、マルクスの『資本論』に依拠して、脱成長コミュニズムを唱えています。

資本主義というOSが実装する「経済成長」という概念は、
常にコストを外部化し、使用価値を超える価値を搾取することでしか成り立たない。それがあるときは奴隷制だったり、あるときは植民地支配だったり。
そんな中で考えさせられたのは、マルクスが資本論において後期に考察していたのは、その対象が「地球環境」でもありうるという話し。これはまさに現在の問題に直結する話しであり、「地球環境」の濫用が経済成長の今の搾取エンジンになっているのであれば、それはもし見かけ上、人間の間での搾取構造が解消されたように思われる時代がきても、それは地球資源の搾取によって成り立っている為であり、結局人類の存続を脅かしかねないというお話。

スティグリッツを始めとした「グリーンニューディール政策」のような主張は非現実的であると論じ、その解決策として「コモン化」を唱えている。

ちなみに、僕自身の学部時代の専攻は『公共性』という政治哲学の概念であり、
アソシエーションによるコモンの運営(生産手段の市民による共有化)による、民主主義の深化みたいなことをやっていたので、かなり首肯するところが多い議論でした。

当時からかなり世界的に不安視されていた、公共的な部門、そして水源などの公共的な資源の”民営化”による企業の独占と商品化による社会の貧困化が実際に進み、その結果それを超克しなおそうとする動きが、バルセロナなどで活発に動き始めている。私有に対して国有化を図るのではなく、コモン化を拡げること、それをアソシエーションによって実装していくことに未来を感じさせられる内容となっていた。

そのような背景を含めて、SDGsという言葉で何かを解決し、その設定された目標値を達成していくことで、何かを実現したような気になっている人びとに、それはソシャゲと変わらないという意味を込めて「SDGsは「大衆のアヘン」である!」と警告しているのだと思う。

確かにそれは1つの我々が持たなくてはならない視点だととても強く思った。

一方で、資本主義がここまで長期間、社会のOSとたりえてきているのは、まさにこの「設定された目標値を達成していくことで、何かを実現したような気になれる」という事そのものなのではないかとも思う。もしSDGsがほんとにアヘンのようなものであるのであれば、資本主義も同じであり、であればそんなに簡単に「コモンがいいね!」となっていきなりアヘンを辞められるかは怪しい。

まあちょっとアヘンというのは行き過ぎかもしれないけど、
であれば、そこをブリッジする要素がこれから求められる。
ある意味の目標値があり、それがアソシエーションのちからで成立するような成功体験がえられる仕組み。それってクラウドファンディングなのかもしれないと勝手ながら思っていたりする。
ミニシアターエイド基金とかまさにそうだったのではないだろうか。

まずは、アソシエーション(入退室が自由な集合体)とそれによって生まれる活動が活発になり、(小さくでも)社会を変えられる成功体験を増やしていくことが今一番のソリューションな気がしている。

そこにクラウドファンディングが役に立てることはあるのではないかと思う。
これからの社会に何ができるのだろうか、そしてどこに向かうべきなのだろうか、そんなことを、ぜひ斎藤幸平氏の『人新世の資本論』と『MOTION GALLERY CROSSING』のSDGs特集回を聞いて頂き、感想をお聞きしたいです!

宜しくお願いたします!




頂いたサポートは、積み立てた上で「これは社会をより面白い場所にしそう!」と感じたプロジェクトに理由付きでクラウドファンディングさせて頂くつもりです!