歴史に学ぶことを、もう一度考えてみよう。
先日、英国の老舗企業の社長と雑談していたら、彼の口から次の台詞がでてきました。
ぼくは、カッコつきの教養としての歴史ではない「歴史的視点」が、あらゆることにおいて求められていると考えているので、彼の言葉に強く首肯しました。彼自身、職業経験の最初が米系の大手企業だったので、米系と欧州系の違いとして、この歴史的視点が前者には薄く、後者には濃いと強調します—-因みに、ぼく自身は、この理由で日本を離れて欧州で仕事をすることにした。
かつて、イノベーションの担い手で米国事情も熟知しているとされる日本の方の講演を東京で聞きました。そこで、ぼくは「歴史や文化をどう捉えているのですか?」と質問したら、「そういうことは考えていません。米国でも、そういうことは話題に出ません」との答えでした。10年ちょっと前のエピソードです。
欧州では、このような議論をする際、質問の最初か2番目には出てくるテーマなので、上記の答えを聞いたとき、「ここが大きな違いだなあ」と思ったものです。
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さて、最近、今さらながらにして気づくことがあります。1968年、先進国の若者たちが価値転換を求めた運動は、良くも悪くも、世界の見方を大きく変えた、ということです。その当時、あるいはその後しばらくは、「花火みたいなもの」と評されたかもしれませんが、今、いろいろと生じている現象の根を探ると、その時代の「社会への刺激」がさまざまなところで今に至っています。特に、欧州ではそれを実感します。
現在の気候変動についての対策動向も、1960年代のグリーン革命の原初的なモデルを乗り越えたがゆえに、今のような組織的な動きが数々生まれたのではないかと想像します。あまりにプリミティブなやり方は選択しづらい、というように。
イタリアの建築家、レンゾ・ピアノも1960年代を日経新聞のインタビューで以下のように回想しています。
世界を良くしたいとの欲求が猛烈に高まったのが、あの時代だったのでしょう。そのなかでイケる選択肢とイケていない選択肢が沢山誕生し、議論と実践が重ねられ、イケる選択肢、あるいは筋の良い選択肢が、イケている系譜をつくったのです、結果的にーーー。
パリのポンピドーセンターは1971年、ピアノが34歳のとき、4歳年上のロジャーズと組んでコンペで勝った案件です(竣工は1977年)。ほぼ無名の2人が、それまでであれば隠していた構造体を表に出したのですから、ひっくり返るような論争を招きました。
皮肉にも、1968年に傷ついた心をいやすための文化施設をつくる設計者が、その設計アイデアがゆえに辛い思いをしたのです。
しかし、1968年からおよそ10年を経て、この「軽快」な施設は人々に新しい刺激を提供しました。ピアノが思い描いたオープンな姿は、その後の世界の大切なリファレンスになったのは確かでしょう。
ーー1979年、ぼくは、このセンターを初めて訪問した際、すごい躍動感に心と身体が揺さぶられたことを記憶しています。明らかに、新しい時代をつくる表現言語がある、と(そうは自分で言語化はしなかったによ)ぼくは思ったはずです。
すなわち、1968年以降に人々が心のなかで思い描いていた姿を、より可視化したのがピアノとロジャーズによるポンピドーセンターであった、となります。だから、次のような彼の信念がよく結実した建築と見るべきでしょう。
この信念を通した例として、記事ではニューヨークタイムズ本社ビルの設計も挙げています。2001年の911の直後、人々が高層ビルを嫌悪するなか、52階のガラス張りのビルをピアノは提案したのです。
ピアノが今、何かやれば、次の時代には今よりは良くなるはずと考えるには、幼少期の経験がそのベースにあります。
幼少期の経験が、1960年代の経験が、自らをどんどんとオープンな空間に投げ出していくことへの肯定感、またはその確信をつくってきたのだろうと想像します。これが、1968年に青春時代を過ごして人の強みなのかもしれません。
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世界の価値観を変える契機をつくった集まりのなかにいたことが、ヒーロー意識を高め、しかも年齢がうえになって目の上のたんこぶ的な存在の人がどんどんといなくなれば、自分の人生をより大きく見せようとする人もいます。
また、懐古の常として、自分の経験を美化する人もいます。よって、そうした語りに騙されないための一つのコツとして、「今も一線で活躍している人」の歴史認識を重視することがあります。85歳にして設計活動を続けるピアノの語る経験は、まさに好例です。
もちろん、あと30年ほどたてば、1968年の世界をリアルに生きた人の話はもっと聞けなくなります。これまでも1968年の経験はじょじょに「主観的」になってきましたが、これからさらにその傾向が強くなります。これは仕方ありません。
だからこそ、冒頭の英国の企業の社長の言葉を肝に銘じるべきなのです。
写真©Ken Anzai