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ペイパルの脱退は「蟻の一穴」になるのか~リブラの現状~

リブラ協会からの初の離脱者
10月4日、アメリカ決済サービス大手企業のペイパル(PayPal)が、フェイスブックが発行を計画する暗号資産「リブラ(Libra)」の運営組織であるリブラ協会から脱退することを正式に発表しました。メンバーの公式脱退表明は初めての出来事です。リブラとそのほかの暗号資産の違いは法定通貨による裏付けがあることやそれがもたらす価格安定性だとよく指摘されますが、このほかにも計画の初期段階からペイパルを筆頭とする超が付くほどの大手企業(計28社)がリブラ協会に名を連ねていたことも、リブラ計画の特異性を示す事実として語られてきました。ペイパルの脱退により協会メンバーは27社に減少しますが、今年6月に発表された白書では、リブラ発行を企図する2020年前半までに約100社がメンバーになるとの計画が打ち出されていた経緯があります。10月14日にはジュネーブのリブラ協会本部に創設メンバーが集まり、いよいよ、ここで運営を切り盛りする正式メンバーが決定されるといわれていますので、この日程前後でリブラ計画参加の可否について意思表明をする動きが活発化する可能性があります。

FBよりも中国優先?
脱退を表明したペイパルの思惑は定かではありません。しかし、10月1日、同社が外資系企業としては初めて中国でオンライン決済サービスの認可を取得したことが報じられています。今回は、その直後の脱退表明なので様々な観測を呼んでいます。リブラの対抗馬として頻繁に名の挙がるデジタル人民元プロジェクトにおいて、同社をプラットフォーム構築の一員とする方向で、検討が進んでいるとの観測も出ています。


邪推ですが、「稼動の見通しが立たないリブラ(フェイスブック)と一緒に世界市場を狙うより、稼動が確実なデジタル人民元と一緒に中国市場を狙った方が賢明」という経営判断があっても不思議ではないでしょう。ちなみにペイパルに加え、ビザやマスターカードといったクレジットカード大手企業も距離を取り始めていることが報じられています。7月にはビザCEOのアルフレッド・F・ケリー氏がリブラ協会への参画を公式決定している企業は1社もないことを明らかにして話題となりました。ペイパルに続く企業が出てこないとは限りません。

当局の恨みを買ってまで
そもそも欧米の規制当局から目の敵にされるリスクを負いたくないという思いもあるかもしれません。直近でも9月13日、ドイツ・フランス両政府が通貨に関する権利は国家に固有のものであり「どの私企業も要求できるものではない」と共同声明まで出し、リブラの利用をけん制しました。アメリカもトランプ大統領を筆頭に強烈な反意を示していることは周知の通りです。欧米主要国が足並みを揃えて締め出そうとしている以上、すでに地位を確立している大企業が当局との関係をこじらせてまでリブラに協力することの意味、あからさまに言えば「旨味」が改めて問われている状況ではないでしょうか。


リブラの「旨味」はどこにある?
実際のところ、「旨味」ははっきりしません。リブラ協会のメンバーになるにはリブラとは別の暗号資産「Libra Investment Token(LIT)」を最低1000万ドル購入する必要があります。1000万ドルのLIT購入ごとに1議決権が付与され、LITを保有しているメンバーにリブラリザーブの運用益が分配されることになっています。ですが、現状の超低金利・マイナス金利環境下では運用のプロである市場参加者も収益獲得に手を焼いています。リブラリザーブの50%を占めるといわれる米ドルはまだしも、次に大きな構成比となるであろうユーロや日本円はもはや長期金利ですらマイナス圏へ水没しているのが現状です。少なくとも「最低1000万ドル」という安くないコストに見合うだけの「旨味」を運用益で実現するのは簡単ではないでしょう。


金利で儲からなくても、決済手段としてのリブラが隆盛を極めた場合、そこから得られる「情報」に大きな価値があり、それこそが「旨味」だという指摘もあります。しかし、膨大な決済データから得られる情報(要するに個人情報)を使って商売をするという行為こそ、規制当局が最も警戒する部分です。そもそも国際的な資金決済をビジネスにする以上、マネーロンダリング防止という観点から、銀行など既存プレイヤーと同等の規制を受けるのは当たり前でしょう。ホワイトペーパーが発表された直後から、なぜかリブラ計画についてはその論点を楽観的に見る向きが多かった印象ですが、ここにきて冷静な視点で評価をしようという機運が強くなり始めているように感じられます。

規制が阻むリブラの理想像
日経新聞に対するインタビューで浅川雅嗣・元財務官が「規制とリブラの関係を具体的に考えていくと、リブラの長所は消えかねない。リブラも決済手段であるからマネーロンダリング(資金洗浄)を防ぐ国際ルールに従う必要があるだろうが、一定の送金には厳しい本人確認が求められる。そうなれば、世界中の誰でも手軽に低コストで送金できるようになる、というリブラの長所と逆行してしまう」と述べていましたが、ここがポイントだと思います。規制当局の納得がいく仕様で稼動に至ったとしても、もはや当初理想としていた姿とはだいぶ異なるものになるでしょう。ペイパルはそこまで考えたのではないでしょうか。


いずれにせよ、10月中にはリブラ協会のメンバーが正式決定されるという中で、今回のペイパルの動きが「蟻の一穴」となりそのまま瓦解に向かうのか、それとも再びリブラを支持する企業が次々と現れるのか、リブラ計画は瀬戸際に来ていると言えます。

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唐鎌大輔(みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)

04年慶大経卒。JETRO、日本経済研究センター、欧州委員会(EU本部)などを経て08年10月より現職。著書に『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』。所属学会:日本EU学会。※コメントは個人的見解であり所属組織とは無関係です

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