平和を空気のように感じていた自分が、今できること。
「うぁ〜〜ん」2歳の息子が泣き止まない。
ずっと大声で泣いている。お腹もいっぱいだし、お昼寝もしっかりできているのに、なぜか朝から機嫌が悪い。
あれかな?これかな?と頭をフル稼働して彼の要望を考えてみたけど思いつかない。
もうお手上げだ。
策は尽きた、諦めよう。
こうなってしまうと、私は「こういう日もあるよね」とか「今日はバツが悪い日」と、ブツブツひとりごとを言いながら、ムスッとした顔でキッチンに立つ。
そうしてやっぱり子育ては楽じゃないなーとかグルグル考え始めていた。
スマホに届く、遠い国の戦争の景色
そんな時に、スマホに速報のニュースが流れてきた。
ロシアとウクライナ都の戦争が始まったという単語が、小さくも冷たい文字で、はっきりと書かれている。
つい先日まで北京オリンピックで『世界はひとつだ』という報道を見ていたばかりなのに。
本当に戦争が始まったのか。
母はシェアルターで、父は戦争ボランティアへ
半信半疑でいたところ、大学時代の友人のFacebookの投稿が目に飛び込んできた。大学時代、私は、ひと部屋4畳半の国際寮に住んでいた。そのフロアメイトだったのが、ウクライナからの留学生だったオリガ。毎日のように、わたしたちは、夕飯を一緒に食べながら、好きな人の話や将来の話をしていた。
大学の寮では、ロシア人もウクライナ人もみんな仲の良い友人だった。ポカポカ陽気には腕を組んでピクニックに出かけて、お酒を飲んだらふざけて顔に落書きをしあい、時々、まじめに夢を語り合っていた。
そんな友人の家族が今、ウクライナ国内で、毎日戦火に怯えているという。
平和や安全を空気のように感じていた自分
わたしにとって、戦争は、遠い他国での出来事や、歴史の中での事実であった。
でも、泣き止まない息子を見ながら想像した。
もし、彼が生きていくための空気、水、食料、住まい、衣類なども手に入らなかったら。お父さんが戦争ボランティアに行き、帰ってこれなかったらと。考えるだけでも鳥肌が立ち、呼吸が浅くなる。
『平和』はよく空気みたいなものだと例えられることがある。私自身は、戦争の経験がなく、正直、恐ろしすぎて、自分ごと化がなかなか出来ない。
これは、日本を含め世界の先人たちが、次世代のために『平和』的な未来をを選んでくれたからだ。
先人たちがつくってくれた『平和』を次の世代に届けたい
だからこそ、今の私がしたいと思うことは、この出来事について無関心でいることではなく。平和的な方法を選択することであったり、声を出すことなのかと思う。
自分は無力だと思わずに、「偽善者」だと思われることを気にせずに。
平和や安全が空気のようにある社会を維持できるよう、小さくても出来ることを探して、声を出し、残していけたらと思う。このnoteもその一つ。
そんな事を考えているうちに、息子の機嫌が直っていた。
そして泣きつかれたのかソファーの上で眠っている。
そのような、どこの国にでも当たり前にある『平和』な世界を、今の時代に生きる人と共に、つくっていけますように。そして次世代にバトンパス出来ますように。