見出し画像

バカッターとクソリプの共通点は、公私の境界のバグである

「バカッター」「バイトテロ」などのネットスラングでも知られるSNSでの悪ふざけは、今も後を絶ちません。企業にとっても大きな炎上リスクになっており、こういうサービスも出てきています。「事前に設定したキーワードで投稿数が急に増加した場合に通知が届く仕組みで、企業は炎上の予兆を察知して迅速な対応につなげることができる」

なぜ同じような行為が繰り返されるのか。弁護士ドットコムニュースのこの記事では、「仲間内しか見ないと思っていた」という言い訳が紹介されています。

これはたいへん重要なポイントです。私はこのバカッター問題の背景にあるのは、公空間と私空間の境界線がSNSによってきわめて曖昧になってしまったことだと捉えています。

「仲間しか見ていない」と思っていたら……

ヒトケタかフタケタぐらいのフォロワー数の人がツイッターをやっていると、通常は自分の友人知人ぐらいからしかリプライは来ません。どんなに下らないことをツイートしても、仲間内から笑われるだけです。それでその人はすっかり、自分のツイッターを私空間だと誤解してしまう。しかしカギをかけているわけではないので、悪ふざけをツイッター検索などで誰かに発見されて火を点けられてしまうと、またたく間に社会全体に拡散してしまう。

これは「クソリプ」などと呼ばれる、的外れでひどい内容のリプライにも当てはまることです。

居酒屋でテレビに文句を言ってる人と同じ

居酒屋のカウンターや、あるいは自宅の居間で、だらだらと酒を飲みながらテレビに向かって向かって独り言のように文句を言ってる人がいますね。出演しているタレントやコメンテーターに「あーこいつは面白くないなあ」「この司会者はもう終わってるな」とか毒づく。いくら目を据わらせて毒づいていても、まわりの人はほとんど気にしていません。そもそも自宅だと、誰も聞いていない。

ツイッターでクソリプを投げつけるという行為も、たぶんこの延長線上なのです。テレビを見ながら「こいつバカじゃないの?」と言うのと同じ調子で、著名人のツイートに「バカか、おまえは」と毒づく。ところが、テレビだと画面の向こうから返事が来ることはありえませんが、ツイッターだと返事が来てしまう。「こいつ」が「どうしてわたしのことをバカっていうんですか」と返事してくるのです。

わたしも一度、クソリプの人に「なんでそんな酷いこと言うんですか」と返事をしてみたら、「うわ!返事が来た」と驚かれたことがあります。まさかテレビ画面の中から返事が返ってくるとは、想像もしていなかったのでしょう。

これもバカッターと同じように、公空間と私空間の境目がバグってしまっているのです。

あらゆるものを公空間に引きずり出すSNS

SNSというのはあらゆるものを公空間に引き入れてしまいます。「総透明化社会」をつくりだしているのです。そしてそこではあらゆるものが公空間になるのと同時に、誰も「第三者」にはなれません。上空から「こいつらは本当にバカだなあ」と神にでもなったつもりで批判しても、「いや、バカなのはあんたじゃないの?」とリプライされてしまう。第三者として批判したはずが、発言した瞬間に自分も巻き込まれてしまうのです。

SNSで神の視点を持てるのは、発言しない人だけです。発言しない人だけが上から目線で見下ろすことができますが、いっぽうで発言しない人は存在感は皆無です。その場に存在しない者だけが、第三者になれる。しかし発言した瞬間にその人の存在は顕在化し、そして巻き込まれるのです。

公空間と私空間が融解していくインターネット。長い人類文明の歴史を振り返っても、いままでそのような融解はどこにもありませんでした。だからこの融解空間に私たち人類が慣れていくためには、まだだいぶ時間がかかるのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?