意味がない会議、ない方が良い会議
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意味がない会議、ない方が良い会議

今週、即ち2022年の3月14日(月)から18日(金)の5日間、幾つの会議がカレンダーにあるか、試しに数えてみたところ、36個ありました。

詰まっているところだと、30分の会議が隙間なく6スロット並んでいたりして。そんな日はなかなかに疲れます。

36個の会議、全てが有意義だったか、と言われると、そんなことはなく、何かが決まった感じも、何かが創り出された感じも、チームの士気が上がった感じも残らない、つまりは意味が感じられないものも、なかったわけではありません。

そこでCOMEMOのテーマに乗っかって、無意味な会議とは何か、ということを考えてみたいと思います。


会議、というやつは色々な目的と共に招集されますし、それがうまく運営されれば組織・チームがうまく噛み合うための要衝として機能します。

そんな会議が無意味になってしまう落とし穴の一つとしてまず、「定例化」があります。勤め人は概して忙しく、そんな忙しい人のスケジュールをすり合わせるのは大変なので、あらかじめ各人のカレンダーを確保しておこう、というのが、一つまたひとつと定例会議が増えるカラクリ。かくいう私の36個もその半分以上が定例でした。

こう考えてみると、定例化というのは、議論すべきトピックがあるから集う、という会議の元々の目的を離れ、開催することが目的化しかねない、いわば「易きに流れる」危なっかしいやり方であるようにも思われます。

さらに。定例の会議、と言っても十把一絡げではありません。直感的に定例会議を大別すると、(1)あるプロジェクトが完了するまで定期的に集まるもの(2)営業会議など職能別チームで定期的に集まるもの(3)部長会議など職位別で定期的に集まるものに分けられるんじゃないか、と思います。
(1)はプロジェクトの進行と共に議論すべきアジェンダが出てきますし、進捗確認だけでなく次回までのアクションアイテムの確認を行えば建設的なペースメイカーになります。ので、いわば「良い定例」と言っても良いのではないかと。

一方で(2)(3)は発足当初はいざ知らず、そんなに時間をかけずに形骸化し、無意味になるケースが多いのではないか、と思います。
では、なぜこの種の会議は形骸化してしまうのでしょうか?

この構造には複雑に色々な要因が絡んでいるとは思いますが、ここでは参加者が自分のチームの利益代表という意識になってしまう、という点を指摘したいと思います。

職能集団の会議にしろ、職位別に会議にしろ、そこには議長的な存在がおり、その人は得てして出席者の上長・リーダーに当たることが大半です。
議長としては、出席者全員が自分と同じ問題意識を持ち、部門の壁を越えて発言し、チーム横断的連携がなされることにより機械創出や問題解決がなされることを望んでいます。しかし実際は忖度や事勿れ主義が横行し、そうした議論はなかなか起きません。

こうした事態が起きる背後には、「これはXXチームの問題だから自分には関係ない」「この問題はXXチームが解決してくれるだろう」と言った他責的なマインドセットがあります。換言すれば、職能別・職位別のミーティングは、自部門が直接担当する問題でなくても関与・解決していこうとする自責的な態度無くしては、機能しないのです。

意味なくなりがちな会議の例として職能別・職位別定例会議を挙げましたが、さらに一歩踏み込んで、ない方が良い会議の例として「水を差すような発言が横行し、組織をネガティブな空気で満たす会議」について考えてみましょう。

例えば自動運転のような、今まで存在しなかったアイデアの是非を会議で議論したとしましょう。そうすると必ず「もし自動運転車が事故を起こしたらどう責任を取るのだ」というような議論が出てきます。
しかし、自動運転車の事故を評価するには、人間の運転と比べてどちらが安全か、という基準で判断し、自働の方が事故が少ないのであれば、社会全体のベネフィットを上げる方法として前向きに検討されるのが論理的です。
にもかかわらず、これから何か始めよう、というとき、人は過度に防御的になり、ゼロリスクであることを求めてしまう傾向があり、これにより企業の業績向上や社会の前進に与する可能性のあるアイデアが葬りさられてしまうことがままあります。

また、プロジェクトの中止、あるいは組織のリストラクチャリングといったことにかかる質疑のミーティングを想像してみてください。これらは本来はプロジェクトや組織を継続するコストを、もっと建設的なアイデアに振り向けようという、前向きな施策なわけですが、人には現状維持バイアスがあり、一度投下したサンクコストを回収したくなる心理や、変化を拒む心理が働くため「この決断は非人道的である」というような、ピントがずれた、しかし確実に組織に属する人の心を蝕む言説が展開されがちです。それが高じれば全体のモチベーションに影響を与え、痛みを伴う変革が不発に終わりかねません。

このように「水をさす」メカニズムとして、自身のスタンスを表明することはせず、批判的な発言を続ける態度、があります。自分が傷つくことのない安全地域から正義のお面を被って、組織の前進にブレーキを踏んでいる、という次第。

なので、このような会議を開催するときは、(1)「自分ならばどうする」という代案とその論拠を考えてきてもらう(2)質問はその建設的な意図を説明しながら発してもらう(3)そうでなければ参加はできない、というルールで運用するのが良いのではないかと考えます。このような場は、組織のその後を決定する分水嶺になることも多い、重要な局面。であれば、そのくらいのアプローチで臨んだ方が良いのではないか、と思うのです。

以上、意味がない会議として「職能別・職位別定例会議」を、やらない方が良い会議として「水差しにより組織のモチベーションを蝕む会議」を例に挙げ、そのメカニズムを考えてみました。

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富永朋信(プロフェッショナルマーケター・「幸せをつかむ戦略」著者)
9つの事業会社でマーケティングやってきました。うち、西友、ドミノ・ピザなど4社でCMO。現在は株式会社Preferred Networksの執行役員CMO、イトーヨーカ堂・セルム顧問、日経XTrendアドバイザリーボード、厚生労働省年金局広報検討委員、内閣政府広報アドバイザー等。