「不都合な過去」と「便利な現在」
2019年度の新聞協会賞を受賞した、日本経済新聞社の連載「データの世紀」からオススメの1本を紹介する4回目。私が選んだのは、かつて芸能界に身を置いた女性の切実な訴えがタイトルです。「30年前の私を消して」――。
女性は「忘れられる権利」をよりどころに、「ネット公開は承諾していなかった」などとして当時のグラビア写真へのリンクを検索結果から削除してほしいと米グーグルに訴えました。
忘れられる権利とは ネット上の個人情報の削除を求められる権利。消去権ともいう。欧州連合(EU)裁判所が2014年に認めた。EUで18年に施行され、データ時代の人権宣言ともいわれる「一般データ保護規則(GDPR)」で規定された。日本でも導入の機運があったが、20年を目指す個人情報保護法改正の原案への盛り込みは見送られた。
犯罪・事故歴や職歴、交友関係など、当事者にとって「不都合な過去」がネット上に残り、苦しんでいる人は私たちの回りに大勢いるのかもしれません。グーグルが個人などからの削除要請に応じたのは14年以降で約100万件ですが、要請全体の半分以下とのこと。それだけ多くの人が過去の「痕跡」を消したがっています。報道に携わる人間として襟を正す必要を感じます。
私の「痕跡」が利益の源泉
一方で、GAFAと呼ばれる巨大IT企業のサービスは、もはや生活に不可欠です。私もアマゾンで買い物をし、フェイスブックで友人とつながっています。会社支給の携帯電話はアップルのiPhoneですし、グーグルの検索を使わなければ仕事になりません。こういったサービスの多くは「無料」で便利ですが、私たちは自分のメールアドレスや検索履歴といった情報を企業に提供しています。現在は誰もがネット上に自分の「痕跡」を残して生きているのです。そして、それを消してもらう権利の確立は道半ばです。
ネット時代の人権ルールに対する明確な答えは見えないなか、企業はネットに残した「私」の痕跡から利益をあげています。プライバシーの提供に見合った対価を私たちは得られているのでしょうか。一度立ち止まってとらえ直す時期にきています。
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(日本経済新聞社デジタル編成ユニット 澤田敏昌)