裁量労働制の議論と併せて考えるべき「残業ありき」の働き方のリスク
こんにちは。弁護士の堀田陽平です。
4連休はセミを(素手で)捕まえ、子どもに見せてあげました。
さて、裁量労働時間制の議論が厚労省で始まりました。
その関係で、今回は「残業」にスポットを当ててみたいと思います。
過重労働とは言えない程度の「残業ありき」の働き方
こうした裁量労働制の議論となると、必ず出てくるのが「長時間労働による過重労働」の問題です。
こうした働き方は、従業員の私生活だけでなく生命、身体、健康を脅かすものであり、当然ながら誰も望んでいないものでしょう。
他方で、一言で「残業」といってもその程度は様々であり、中には、過重労働には至らない一定程度の残業を行うことが「当たり前」となっている人もおり、「残業ありき」で日々の仕事をしている方もいるのではと思います。
日本における「残業」の議論
こうした残業代目的の「残業ありき」の働き方は、実は今に始まったことではないようです。
歴史的に見てみると、戦前、戦後から日本の労働者団体が要求してきたのは、「労働時間の短縮」ではなく「残業はするから割増賃金を払え」という主張であったという見方もあります。
また、制度趣旨としては、長時間労働の抑制である割増賃金の支払いが、かえって長時間労働を助長しているという見方もあります。
このように、日本においては、これまで「いかに労働時間、残業を減らすか」というよりも、「残業はするけれどもいかに割増賃金を獲得するか」という議論がなされてきたといえるでしょう。
そもそも労働者に「残業をする権利」はない
上記のとおり「残業ありき」の人も一定数存在するかと思われますが、労働契約という観点からみると、法的には、残業は「例外」であり、そもそも当然に残業ができるわけではありません(残業許可制をとっている会社も多いのではないでしょうか。)。
また、裁判例上、従業員には「働かせてください」という就労請求権はないとされており「残業させてください。」という権利もありません。
実際の働き方としては「残業ありき」であったとしても、法律上は「残業は例外」であり、まずここに認識のギャップが見られます。
整理解雇と「残業」の関係
残業は企業が好調な時には、あまり大きな問題にはなりません(過重労働は問題ですが)。
他方で、企業の業績が低迷し始めると、日本型雇用慣行における長期雇用保障との関係で問題となってきます。
日本の判例法理では、整理解雇の有効性は、非常に厳しく審査されます。
また、賃金の不利益変更についても、経営難の状況下では有効とされる可能性はあるものの、一般的には非常に厳しく有効性が判断されます。
そこでまず行われるのは、「残業の削減」という手段です。
残業については、上記のとおり法的な保障はなく、さらに整理解雇に関する裁判例でも、まずこれを行うべしという考え方が取られています。
「残業ありき」がもたらす「実質的な賃金引下げ」
このように残業削減が行われると、これまで過重労働には至らない、数時間程度の残業を当たり前として「残業ありき」で生計を立てていた人にとっては、自らの生活の安定が損なわれる可能性があります。
しかし、上記のように、整理解雇との関係では、まず残業削減を行うことは裁判所も認めています。
そうしたことから、「残業ありき」の状態は、整理解雇が厳格に審査される日本において、業績低迷時において柔軟に人件費を削減できるバッファーとして機能しているとされ、実質的には不利益変更法理によらない賃金引下げが可能となっています。
「残業」に対する意識の改革を
「残業ありき」の人にとっては、お金に色はなく残業代も通常の賃金と同様に生活を支える重要な原資です。
しかし、これまで見てきたとおり「残業をすること」自体に法的な保障がない以上、「残業代」は法的に保護されているわけではなく(もちろん、既に行った残業は保護されますが。)「残業ありき」の働き方は、法的にみれば極めてリスクの大きい不安定な働き方といえます。
裁量労働制の議論は、日本の労働時間制度の在り方全体の議論に波及してくるでしょう。
ただ、制度の議論も重要ですが、こうした「残業ありき」から脱却する意識変革、賃金制度改革も行わなければ、本来は区別されるべき「労働時間」の議論と「実質的な賃金削減」の議論とが混然としてしまうように思います。
以上