連載最後のこれは全くもって読むに値しない。

ガラガラのそば屋に例えるのは、一般の方にはわかりやすいかもしれませんが、日経であればそこに大事な見落としが無いか考えてほしい。

「既得権」といえばイメージは悪いですが、例えば、行列ができたからといって、予約席を今来た客に提供してしまうそば屋がいたらどうでしょう?そのお店を信用して使い続けますか?そばを食べに来た客であれば、食べ終わればすぐに出ていってくれるので別に問題ないでしょうが、発電設備は発電する限りずっと、その送電設備を使わなければなりません。「どかない客」なわけです。

「再稼働のめどもない原発の使用枠も確保して」とありますが、スケジュール的なめどはたっていないにしても、稼働させることを前提に安全対策投資をしているのだから、将来必ず来店するであろう客です。(別に再稼働させるべき、という話をしているのではありません。安全対策投資をするなら、そこを確保しておかねばダメだというのは道理だ、という話です)

経産省は、再エネの接続が進まない状況を勘案して、送電線利用のルールを変更しようとしていますが、それは「とりあえず接続してしまいましょう。後で他の電源が入ってきたときには、発電をやめてもらうことになるかもしれませんが」ということです。

それは発電設備の稼働率が下がるので、よりコストの高い電源になってしまうでしょうが、そこは仕方ないとする、ということであり、魔法の杖がある訳でも何でもありません。

既得権というととても「悪いこと」というイメージがありますが、「既に得た権利」が簡単にひっくり返る社会では、どんな事業も安心してできません。技術の進歩や社会の考え方の変化に合わせて変えていくべきですし、既得権が絶対ではないのは当然ですが、単純な「既得権悪者論」は底が浅いなと思います。米国の自由化など見ていただければ、必ず制度変更による影響を受ける(既得権を持つ)民間事業者に対するgrandfatheringやexisting commitmentについての条項が書き込まれていることがわかります。新規事業者の参入を促しつつ、既存事業者の既得権をどこまで確保するかというバランスが非常に難しいのであって、日経さんなら、そういう視点を提起してほしかったですね。

あと、今の送電線運用ルールに対して「全ての発電所がフルで発電するケースを想定して余裕を見ていた」と批判していますが、それは「マックスの出力が出ることはほぼ無い。さらにそれが太陽光と風力で重なることなんて皆無」と考えるということですよね。

であれば、「原発〇基分の太陽光」だの「風力」だの書くのもやめてほしい。設備容量のマックスで表現しても平均の稼働率で「生み出す電気」は全く小さいということが、一般読者にはわからないことを知った上でのあえての間違いなのか、本当にずっとkWとkWhの違いが判らないのか、ずっとそういう書き方してますが。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO32073330R20C18A6MM8000/

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