小さな国の知恵と価値
ルクセンブルクに来ている。周囲をドイツ・フランス・ベルギーに囲まれた国で、面積は神奈川県や佐賀県と同じくらいであり、人口は 50万人ほどで日本で最も人口が少ない鳥取県と同じくらい。日本からの直行便はないので、近隣の国まで飛び、そこから飛行機や鉄道などを乗り継ぐことになる。
そんなルクセンブルクには、楽天やファナックが欧州全体の拠点を置いていたり、海外の企業でも、例えば日本でもおなじみのスカイプが本社を置いていることで知られている。なぜこのような小さな国に、欧州全体の拠点を置いたり、世界全体の本社を置いたりするのか。
そこには小さな国ならではの生き延びる知恵があるからだ、と感じる。
もちろん、独仏という欧州の大国に隣接する地の利に恵まれていることと、それに伴って地元の言葉であるルクセンブルク語だけでなく多言語が普通に使われているというマルチリンガルな環境もあるが、企業に対する税制の優遇であったり、全土に光ファイバー網が張り巡らされていることだったり、といった国が主導する政策が、欧州ビジネスのハブとしての機能を高めている。昨今では、スタートアップ振興にも力を入れていて、特に宇宙関連のスタートアップには力点を置いており、毎年この時期にICT Spring Europeというスタートアップイベントを実施している。
そして、小さな国だけに、政府の組織もシンプルで距離が近い。これは国の施策に沿ったビジネスを行う場合に、政府の支援が得やすく、またその手続きが比較的シンプルかつスピーディーである、ということを意味する。そして、それを自国の価値であると政府関係者が認識しているなら、その価値を削ぐ方向に行くことは自国の存亡に関わると分かっているのだと思う。
ルクセンブルクは国民一人当たりのGDPの高さ、生産性の高さでも知られているが、それもこの小さな国ならではのメリットを最大限に生かしている結果、という一面もあるのだろう。
それを考えると、「お役所仕事」が複雑で遅いものの代名詞になっている日本は、無意識のうちに大国の振る舞いをしている部分があるし、それを当たり前と受け取っていることに気がつく。
そんなルクセンブルグが、昨年末に公共交通機関の無料化構想を発表した。
まだ詳細は決まっていないところもあるようだが、2020年をめどに実施ということで、実現すれば世界で初めて一国全体の公共交通が無料になる。
これは壮大な社会実験だ。無料にすることで、価格のバイアスがかかることなく公共交通のニーズ・ポテンシャルが明らかになり、その結果がまとまれば、世界の公共交通政策に一石を投じることになるのは想像に難くない。
ICカードといったものも含めて切符類の発売発行に関する全ての手間や人件費がゼロになり、不要な資源を使わなくなる。券売機もお金や決済の管理も、出札や検札要員も料金表もすべて不要になるのだから、「キャッシュレス」のインパクトの比ではない。
観光政策としても大きなプラスだ。不慣れな土地でいわゆる”インバウンド”が公共交通機関を乗りこなすのは至難の技。日本の駅でも、切符の買い方に困っている外国人の姿を見ることは珍しくないが、無料化でそれがなくなる。観光客は、何も気にせず自由にルクセンブルク国内を電車、バス、トラムといった公共交通機関を使って移動できるようになる。乗り間違っても、時間はロスしたとしても、お金をロスすることがなくなる。外国語で表記された料金の表示を解読することから解放される。
そして、自動運転をはじめとしてモビリティが大きな変化を迎えようとしているこの時期に公共交通を無料化することは、ルクセンブルクがモビリティのテストベッドとしての価値を持つことにもつながるのではないだろうか。
こうした大胆な施策を行うことができるのも、小さな国ならではの価値であり、知恵だと思う。
翻って、先に書いたように、日本ないし日本人は、大国の論理で思考し振舞っていることに無自覚であると、改めて思う。アメリカや中国といった大国の動きに大きな影響を受ける地理的な位置にあることもあり、また衰えたとは言いながら世界屈指の経済大国であって世界的な企業も少なくないこともあって、知らず知らずのうちに「大きな国」の動きになってしまっていないか。
そのために、例えば欧州へのビジネス展開でも、真っ先に候補になるのは英独仏といった大国になりがちだ。もちろん、そうした国でダイレクトにしっかりとビジネスを築くだけのリソースがあるならそれに異論はないし、手っ取り早く成果があげられる最短コースではある。
しかし、海外進出というのは、大きな企業であってもプロダクト自体の問題だけでなく文化や商習慣の違いなどにも左右され、そう簡単に行かないことは、これまで日本企業が大手であっても海外事業に苦労してきていることを見れば明らかだし、中小企業やスタートアップであればなおさらだ。
その時に、広い意味での”地元”に精通し、ゲートウェイとなってくれる国の知恵を互恵的にうまく活用する、という選択肢に気がつかないことはとてももったいない。
「小さな国」としてはエストニアも昨今話題になることが多いが、どうしても電子政府といったバズワードでのミクロな捉え方が多く、なぜエストニアがそういう施策を打っているか、日本はそこでどう振舞うべきかといった俯瞰的な視点が薄いのでは、と感じることが多い。
同様に、小さな国というには大きいものの、日本との比較では台湾も小さな国ということができるが、同じことをかねがね感じてきた。彼らが大中華圏のゲートウェイとして果たしうる機能・ポテンシャルに対して、日本(人)の認識が薄いことは、お互いにとって残念なことではないか。ルクセンブルクと同様に、台湾の政府との距離の近さも身をもって感じているところだ。
日本人は日本を小さな国と思っていることが多いと思うのだけれど、実際には良い意味での小さな国らしい動きが出来ていないし、また、相手側としての小さな国の動きを理解できていないのが、少なくても昨今の実態だと思う。改めて、小さな国の知恵と価値について、相手に対しても自分に対しても意識していくと、視野と選択肢が広がるように思った。