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内心「これ違うよね」と思いながら逆の行動を取ってしまう怖い人間心理

やっとというか、コロナが5類になるようだ。

その上で、まだ「マスクの扱い」について歯切れの悪い政府の対応がある。耳を疑ったのはこれだ。

「個人の判断に委ねる」じゃねーっつーの。責任放棄かよ。

「個人の判断に委ねる」とつきはなされて一番困るのは、飲食店や小売店の店員さんだろう。個人の判断でもしレジ担当の店員さんがノーマイクでいたら「なんでマスクしないんだよ」とクソクレームつけてくる客が出てくるに決まっている。いわれるリスクがあるならマスクしておけというと…店員さんは一生マスク外せない。

先日も六本木の某居酒屋で大人数で飲んだばかりだが、店はほぼ満席で、外国人の客も多かった。

そもそもおかしい(変だ)と思うのは、外歩いている時はみんなマスクしてるが、店内に入って飲み始めると、店内の客は誰一人マスクなんかしないで大声でかなりの密でしゃべってる。さんざん互いの飛沫掛け合った上で、店の外出たらまたみんなマスクする。これって一体なに?

心理学用語で「ハーディング現象」というのがある。ハーディング(herding)とは「群れ」という意味です。わかりやすくいうと同調行動で、多数派に同調しようとする人間の本能的な行動です。

社会心理学者のソロモン・アッシュの実験が有名だが、ある問題に対して、サクラを用意して、サクラが全員間違った答えを正解だというと、被験者は自分は「え?それ違うでしょ」と思っていても、みんなと一緒に間違った答えを選んでしまうというものだ。日本人だけが同調行動するのではない。むしろ欧米人の方が、同調行動しがちだ。

同じような行動はみんなやっている。いじめに同調してしまうのもそうだ。流行のファッションが出たらそれを真似してしまうのもそうだ。飲食店で食べて、個人的には「うまい」と思っても、グルメサイトで酷評されていたら「不味かったかもしれない」と思ってしまうのもそうだ。株の投資で狂乱的なバブルが生まれてしまうのもそう。オイルショックの時にみんながトイレットペーパーに殺到したのもそう。独裁者が熱狂的に支持されてしまうのもそうだ。

実はこれって怖いこと。

本当はそれが間違っていたとわかっていたとしても、それを行動で表せなくなってしまうからだ。内心でどう思っているかなんて他人はわからない。極論すれば、みんな内心では「マスクなんていらないよね」と大多数が思っているのに、表面的には大多数がマスクをし続けるという行動を取るってこと。誰も内心では正しいと思っていないのに、アウトプットの行動だけを見れば「みんなが正しいと思っている」ことになってしまう。

相変わらずツイッターなどではコロナ脳が、毎日のようにマスクを強要するような内容のツイートをしまくっているのだが、知らんがな。一生マスクしてればいいと思うよ、あんただけは。自分が感染しないためではなく、他人に移さないためにやるんだ、とか言ってるんだけど、これだけマスクしててあんなにたくさんの感染者が出てるなら意味ないじゃん。

マスクしたい人はすればいい。それは否定しない。しかし、いい加減もうそれを他人に押し付けるなよ、と言いたい。

政府も「個人に委ねる」なんて無責任なことやめて、だったら「5類にするけど、禁煙マークみたいなマスクマークつけて、「このマークを掲出している場ではマスクをしてください」とかの見解を示したほうがいい。病院とかそういうところだけとかさ。電車もマスクなしでいいと個人的には思うけど、どうしてもというんなら、マスク車両とか作ればいいんじゃないの。飲食店なんてどうせ外すんだから意味ない。ジムもいらないでしょ。コンビニもスーパーもマスクなんて不要。子どもなんか特に不要。

とかここで書いても、そんなことは政府はしないし、マスク外せない圧は消えないんだろうなあ。

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。