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選挙DX―人間の条件

こんにちは。グローバルでDXの調査・支援をしている柿崎です。
今回も「選挙」をテーマに書きます。
前回、以下の記事の「米国民は自らの考えを発信することをためらわない」を引用し、私は「日本国民は自らの考えを発信することをためらう」と書きました。

米国民は日常会話の中で政治的な発言をするのが普通なので、対面かオンラインかを問わず、自らの考えを発信することをためらわない。

ハンナ・アーレントの『人間の条件』

皆さんは、ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んだことがありますか?アーレントは、人間を他の動物から区別する条件として「労働」「仕事」「活動」の3つと言いました。重要なポイントにしぼって確認しましょう。

労働

- 生命維持のために必要
- 繰り返し行う定型作業
- 古代ギリシャでは最も価値が低く奴隷が行うもの

仕事(日本語の仕事は労働)

- 明確な始まりと終わりがある作品を作り出すこと
- 職人や芸術家、作家は仕事で作品を生み出す
- 労働では勤勉さが求められるが、仕事は思考によって作品をつくる

活動

- 他者と言語を通じて行う言論や共同行為
- 労働、仕事と比べて最も価値が高い人間的な行為
- 古代ギリシャでは政治活動に参加し、自分の考えを表明すること

アーレントが最も価値が高いという「活動」をWikipediaからも引用して確認しておきましょう。

活動(action)は「ものや物質の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり」、他者同士の人間が言語によって協力または対立する行為である。これこそが政治に他ならないとアーレントは強調している。そもそも人間は個々人が異なっているために同一な人間は存在せず、それにもかかわらず自己と他者は言語で共同して何かの行為を行う。したがって活動にこそ政治の契機を見出すことができる。
したがってアーレントにとって言語行為は単なる情報伝達ではなく、言語による他者への働きかけを指すものであり、口調や評定なども含めた行為である。それらは自身が何者であるのかを他者が認識させることであり、その意味で活動を行う者(actor)は演劇における役者の意味合いがある。つまり政治的行為者とは自己が誰であるのかを他者に対して示さざるを得ない役者である。

SNSという「活動」の環境は整ったが・・

先述の記事で清原聖子氏の以下のコメントがありました。

日米のネット選挙の比較には、ソーシャルメディアの利用状況の違いを意識する必要がある。米国では頻繁に書き込みをし、積極的に情報発信する利用者が多いが、日本では他人の発言や書き込みなどの閲覧しかしない利用者が多い。

SNSはデジタル時代の新たな「活動」の場と言えます。ただ、「日本国民は自らの考えを発信することをためらう」という国民性から、日本ではSNSが「活動」の場になっているとは言えない状況です。
選挙DXは、現在の政治活動(選挙カー、駅でのビラ配りなど)をネットに置き換えるのではなく、現職議員・候補者と有権者が対話するマインドセットへの変革です。
私たち日本人は、SNSというデジタルツールを「人間」として使いこなせるかどうかという分岐点に立たされているのではないでしょうか。
かくいう私も、これまでの選挙では、投票日前日に郵便受けに入っていた候補者一覧から選んだり、何となく特定の党の候補者に入れていました。
このような私でも政治・選挙活動に少し関与しただけで一瞬でマインドを変えることができましたので、日本人の誰もが変わることができると信じて日々選挙DXに取り組んでいます。

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