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人々のデータリテラシーが向上したわけ。

夕方、散歩しながらポッドキャストを聞くことが多いです。ニュース、歴史、文化あたりの話題です。

ただし、です。

2021年8月、アフガニスタンの首都カブールがタリバンによって陥落した頃、2022年2月、ロシアがウクライナに侵略をはじめた頃、2023年4月、スーダンで紛争が激化した頃、そして10月、ガザがイスラエルを急襲した頃、それらの直後は一斉に特別報道番組が組まれるので、ニュースのチャンネルを選択すれば現場での爆発の音や悲しみの生の叫び声を聞き続けることになりました。

仕事後に心をゆったりとさせたい時、あまりに現場感が強い音や声を聞くのは心理的にきついです。緊迫した国際政治を解説する番組でも気持ちが沈むのは避けがたいですが、生の音や声がなければなんとかなります。夕暮れの暗くなる時間帯、音や声だけのポッドキャストは番組選択に要注意です。

ただ、散歩中、何らかのことを考えるネタとなる直接的なインプットが欲しいので、音楽を聴くことはあまりないです。また、ビジネス番組も聞きますが、これもぼくの夕方の散策向けとは言いずらいです。

このような経験則からすると、FTの「報道離れ」に触れている記事にはとても合点がいきます。

上記の記事、冒頭、次のような事実からはじまります。ニュース記事を積極的に避ける人たちが増え、英国市民の場合、この6年間で25%から41%に増えている、というのです。

英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の報告によると、世界でニュース報道に接するのを積極的に避けている人の数はこの6年間で増加した。2017年に報道を避けていた英国市民は24%だったが、最近では41%に増えた。その理由として約半数が心理的な悪影響を挙げた。

パンデミックの間、米ジョンズ・ホプキンス大学が発表する感染者数の変化に一喜一憂していたのも、結果的に「報道離れ」を促しました。

ここ数年の間に、今世紀初の世界的な感染症のパンデミック(世界的大流行)があり、欧州では第2次世界大戦後で最大の軍事侵攻が起きた。中東では衝突が再燃した。気候変動関連のニュースがあふれて人類が滅亡すると警鐘を鳴らしている。読めば気持ちが萎えてしまう。

「結果的」と表現するのは、ジョンズ・ポプキンス大学のデータへの注視動向自体にも変化があったからです。

新型コロナウイルスの感染拡大初期の20年3月、現状を理解しようと報道に接する人が急増した。だがその傾向は数週間後には反転し、報道を避ける人が増えた。あふれかえる情報に押しつぶされると感じたのだ。

感染状況を正確に知る必要が報道への接触を急増させ、その後、「もう、追っても仕方がない」「暗いニュースにはうんざりだ」と思い報道から離れていったようです。ぼく自身も同じ行動パターンをとっていたし、上述の戦争報道についても、ある飽和段階にくると別のカテゴリーの番組を選ぶようになりました。

この報道接触数の減少にあわせ、ジョンズ・ホプキンス大学は、次のように方針を変えました。

そこで米ジョンズ・ホプキンス大学が運営する新型コロナ特設サイトなどは、各種指標をグラフで可視化するダッシュボードで生データだけを提供した。他の情報をそぎ落とした素のデータだ。

興味深いのは、以下の指摘です。あの忌々しいとしか言いようがない感染症の影響で、実は、まんざら悪くない傾向も出てきたのです。

新型コロナの感染が拡大した結果、一般市民のデータリテラシーが向上したことも研究で明らかになっている。

データが豊富なコンテンツは、それを解釈するスキルの向上に役立つ。

ほう、と思いますよね。人類は大切なスキルを向上させたのですから。そして、このスキルは人々の気持ちを明るくさせるとの効用もあるわけです。

報道に関わるデータの多くは更新され、追跡可能な形式で閲覧できる。自殺率や乳児と妊産婦の死亡率、極度の貧困、識字率、児童労働、LGBTQ(性的少数者)の権利、飲料水へのアクセス、衛生状態はいずれも世界で良い方向に進んでいる。

それはまさしく救いであり、知る価値がある。明るい気持ちになってしかるべき材料だ。

もちろん、この記事はデータ万歳で終わっていません。データだから中立性があるとなど、お気楽なことは言っていません。大いに疑ってしかるべきです。

言うまでもなく、データが中立だと声高に叫ぶことは間違っている。どのデータをどのように提示するかは本来、政治的な決断だ。二酸化炭素の排出量を国別で示すか1人当たりで示すか、年間当たりか累積か次第で描き出される状況はまったく異なる。

ジョンズ・ポプキンス大も、データが信頼に足るものであると人々に思ってもらえるために、さまざまな手段をとっていました。そうとうに苦労したのでしょう。

米ジョンズ・ホプキンス大学の特設サイトを運営していたデータ責任者は、サイトの信頼性について、収益化を狙っていないことを閲覧者に知らせるため、ソースコードや分析・集計手法、意思決定をすべて公表し透明化していたという。

究極的には完璧な情報源はない。だが、情報は多様であればあるほどいい。情報の網の目からこぼれた人々が報道離れという大海にのみ込まれるのを防げるなら、なおのこといい。

いろいろと工夫をしながらなんとか前進すれば、前述のように、人々のデータの読み方は向上し、情報の見えない真っ暗な道を歩くという危険を少しは減らせる、というわけです。

多様な情報に接していれば、世界を積極的に楽観的に、マシに生きられるだろうことは確かでしょうー 気持ちが暗くなることを恐れて自らを閉じた世界に押し込める。これを避けるのが生きるための知恵です。

冒頭の写真©Ken Anzai


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