脱炭素時代、私たち市民は「消費者を卒業」し、どう生きていけばよいのか?
(Photo by Hello I'm Nik on Unsplash)
2050年の脱炭素目標に向かって、各国が政策を強化する中、グローバル経済は迷走しているように見える。CO2排出が石油よりは少ない天然ガスが高騰し、コロナ禍で石油供給が絞り込まれたことにより、日本はガソリン価格の高騰、電力不足の懸念が広がっている。
これはまさに、供給側の理論に需要側が振り回されている構図である。ガソリン価格が上がると、COP26のことはすっかり忘れて、私たちはガソリン代を下げてほしいと願う。そんな需要側がブレブレでは、供給側を動かすことはできないだろう。
私たち市民が主体となって、需要側として「こういう社会をつくりたい」という意志をもって供給側を動かしていくことはできないのだろうか。物言う株主は、企業にとっては厄介者かもしれないが、私たち市民が需要側から供給側に影響を与え、社会を変えていくうえで、一つのモデルとなっているはずだ。
私たち市民は消費者を卒業できるか
サステナビリティの議論は、持続可能性と経済成長の折り合いの付け方にある。決して、これら二つをバラバラに分けて考えてはならない。
しかし私たち消費者は、エコバッグを持ちながら、大量廃棄を前提につくられたファストファッションを着て、買い物に出かける。そして、地産地消の有機野菜はちょっと高いので、遠くから運ばれてきた最安値できれいな野菜をカゴに入れる。
そして買い物したものをエコバッグに詰め込み、「今日も脱炭素に貢献してる」と自分を褒めるのだ。自分自身のライフスタイルが、経済成長を前提とした社会システムに依存していることには目を瞑って。
いま、ほんとうに脱炭素に貢献するライフスタイルを貫こうとすると、短期的には余計にお金がかかる。京都には、余計なパッケージを一切使わないゼロウェイストのスーパーがいくつかあるが、野菜も味噌も納豆も、値段は高い。一見、「脱炭素はセレブのアイデンティティなのか」と思うくらい、おしゃれなお店になっている。しかし、長期的に考えれば、脱炭素は個人レベルでも経済的に成立するはずだ。使い捨てをやめて、良いものを丁寧に使い続けるからだ。
個人が毎年新しい洋服やかばんを買い替え、パソコンやクルマも2年ごとに買い替えてきた高度成長期、私たちは消費によって幸せになると信じてきた。そして、多くの資源を無駄遣いし、ごみを大量に廃棄してきた。その罪悪感をエコバッグや再生可能エネルギー、電気自動車でなぐさめているにすぎない。
私たち市民は、こんな「消費者」であり続けたいのだろうか?
「消費者」から「支援者」へ
これからの時代、私たちは自分自身がどうありたいかという「市民としてのあり方(Citizenship)」を中心に据えて生きていくことができる。自分自身の「あり方」に共鳴する企業を選び、その商品やサービスを長期的に使い続けるのだ。「新しいもの」の広告にわくわくすることもなくなり、「古いもの」や「長く使えるもの」のもつ奥深い魅力を好むようになるだろう。
消費によって自分のアイデンティティを確立する時代は終わり、自分自身のアインデンティティは、「学びと対話」によって確立するようになるだろう。そして、自分のアイデンティティにあった商品・サービスを利用し、支援する。クラウドファンディングで作り手を応援しながら、自分にあった商品を手に入れる、という行動に似ているかもしれない。
消費者を卒業するための4ステップ:
ステップ1:どう「よく生きたいか」を学び対話する
ステップ2:自分の「あり方」に共鳴する企業を探す
ステップ3:共鳴する企業を支援する
ステップ4:共鳴しない企業を支援しない
この4つのステップを大切にすることで、私たちは消費者を卒業し、市民性に基づく支援者となって生きていくことができるだろう。それが広がっていくことで、結果として「需要側が供給側を動かしていく」ことになり、「私たちが社会システムを自分たちの手に取り戻す」ことにつながっていくのではないだろうか。
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