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最近の映画は暗くて地味すぎる?

11月22日に公開される映画『Wicked』への期待が高まる一方で、これまで公開されている予告編から見られる色味が「地味」であることに対して、不安と批判も集まっている。特に1939年に公開された『オズの魔法使い』のテクニカラー特有のカラフルさと比較すると、"washed out(色褪せている)”と言われている。

https://screenrant.com/wicked-visual-criticism-oz-great-powerful-2013-compare/

Screenrantの記事では、ディズニーの映画『オズ はじまりの戦い(Oz the Great and Powerful)』(2013年)との比較を行い、「オリジナルとは異なる色彩や世界観」がすでに存在していることを考えると淡い色彩やややダークなライティングも正当化できるのではないか、と主張している。

「スーパーボウル LVIII でミュージカル映画『ウィキッド』の予告編が初公開されると、ファンたちはソーシャルメディア上で、待ちに待った映画の初公開に対する意見を述べ合った。興奮をあらわにするファンがいる一方で、CGIや特殊効果、色調補正などの映像のビジュアルに悲観的な意見も寄せられた。映像が映画の壮大な性質にふさわしくないという意見をはじめに、全体的に、オズの世界はカラフルで畏敬の念を抱かせるべきであるにもかかわらず、退屈で精彩を欠いたものに見えると指摘した。」

  • 記事では、ウィキッド(Wicked)やオズの魔法使い(The Wizard of Oz)のような人気作品を映画化する際には、大きな期待が寄せられると指摘。ファンは自分たちの想像するオズの世界(特にブロードウェイ版のWickedというミュージカル作品)に強い愛着を持っているため、映画の描写もそのイメージと一致するべきだと意見が生まれやすいのだ。

インディペンデントエンターテインメントサイトのPajibaでは、ライターのKayleigh Donaldsonがハリウッドの「ダークなシネマトグラフィー」への苦言を呈している。

  • 「ウィキッドのファンの中には、この映画はもっと暗い内容であるべきだと主張する人もいる。というのも、この映画は、よく言われるが明るい内容ではない。原作のグレゴリー・マグワイアの小説ほど政治的に過激でも大人向けでもないが、アパルトヘイトのような差別制度によって人間から隔離される問題が物語の中心となっている。エルファバは本質的には政府から見ればテロリストである(この活気あふれるミュージカルの筋書きが実際にはいかに奇妙であるかを観客が理解したときに、彼らがどんな反応を示すのかを見るのがとても楽しみだ)。しかし、陰鬱なストーリーと活気のある美学が相容れないという考えは、馬鹿げている。黒澤明の『乱』やヒッチコックの『めまい』、ダリオ・アルジェントの映画を数多く見てみよう。人間の苦悩の真の幅を分析するのに、色彩のすべてを使う以上に良い方法があるだろうか?」

  • 一方で、チュウ監督はすでに公開されているビジュアルを擁護し、自身のクリエイティブなアプローチの一部であると説明している。彼は、オズの世界にこれまでの映画化とは一線を画す新鮮なビジュアルスタイルをもたらすことが自身の目標であると強調している。同時に、「知られざるオズの物語」を描く作品になるということ示唆しながらを、ダークな写真を添えて2023年4月にすでにツイートで投稿している。

記事内では、ドナルドソン氏は「ハリウッドが抱えるリアリズムへの執着と問題」について言及している。

  • 「今やすべてがリアリズムである。スーパーヒーロー、スペースオペラ、喋るライオン。この傾向が限界に達している理由として、特に注目すべきは最後の例である。ジョン・ファヴロー監督による『ライオンキング』の実写リメイクは、動いていないときは確かに良く見えた。しかし、キャラクターが喋った瞬間、その幻想は打ち砕かれた。表情豊かでキャラクターの多いアニメを「本物」の動物に変えたことで、ユーモアや哀愁、創造的なひらめきが失われてしまったのだ。」

  • 「ハリウッドの大作映画は、この誤ったリアリズムの概念に縛られるようになってしまった。マーベル・シネマティック・ユニバースがその典型であり、他の映画もそれに追随している。VFXの技術がますます洗練され、生活のあらゆる側面を細部に至るまで再現できるようになるにつれ、スタジオは、この技術を使って新しい美的な現状を確立しようとしている。観客は本能的に「本物」と認識できるものに惹きつけられるからだ。私たちは、見慣れたもの、実体のある何かの兆しを求める。だからこそ、不気味の谷の例に私たちはとても動揺するのだ。このようなCGIの表示は確かに素晴らしいが、それは、視覚効果チームが適切な時間と予算を与えられ、彼らのビジョンを正確に表現できた場合のみである。スタジオが効果グループのリソースを枯渇させ、低賃金のスタッフを過酷な労働で疲れ果てさせる場合、ビジョンを正確に表現することはますます難しくなっている。」

色彩だけではなく、全体的に画面が暗すぎる映画の問題は数年前から話題になっている。その問題を取り上げる記事とその内容をいくつか紹介したい。

  • 撮影監督や監督は、リアリズムを表現するために低照度設定を好む傾向が強まっている。 『バットマン』のような映画に見られるように、自然光を模倣することで観客を作品に没入させることができると彼らは主張している。 これにより、特に暗さが緊張感や不気味さを加えるようなジャンルの作品では、ムードを高め、シーンをより本物らしく感じさせることができる。

  • デジタルシネマトグラフィーの進歩により、映画制作者が利用できる暗いトーンや影の幅が広がった。デジタルカメラと高度なカラーグレーディングツールにより、ディテールを損なうことなく薄暗い環境を強調する特定の「外観」を演出することができる。

  • 映画制作者は暗闇をコントロールすることを目指しているが、ほとんどの視聴者は、テレビ、ノートパソコン、タブレットなどのデバイスでコンテンツを視聴しており、そのような低照度シーンの表示に最適化されていないことが多い。ストリーミングサービスでは帯域幅を節約するためにビデオを圧縮するため、画質がさらに低下し、シーンが意図したよりも暗く、詳細が乏しく見えることがある。

  • 多くの映画は、映画館での鑑賞体験を念頭に制作されており、劇場内の照明がコントロールされていることで、暗いシーンの鑑賞が促進される。しかし、家庭で、さまざまな照明の下、異なるスクリーンで鑑賞する場合、暗いシーンはうまく再現されないことが多い。

  • 暗闇を用いることで、最近の監督は観客に強烈な没入体験を呼び起こそうとする。 暗い美的感覚に傾倒することで、より現実的で深刻な特定の感情、雰囲気、トーンを伝えることができる。 これは、特にドラマ、スリラー、ファンタジーなどのジャンルにおいて、複雑性や「骨太のリアリズム」を好むストーリーテリングの傾向と一致する。

  • ハイダイナミックレンジ(HDR)技術は、明るい部分と暗い部分のディテールを向上させるために導入されたが、適切に機能させるには互換性のあるデバイスが必要である。多くの視聴者は、HDR機能のない、あるいはカリブレーションが不十分なHDR機能を持つスクリーンを使用しているため、このような暗いシーンでは露出不足に見えてしまう。その結果、視聴者は微妙な影のディテールを見る代わりに、ぼやけていて区別しにくい映像しか見ることができない。

  • 記事では、視聴者がテレビの明るさ、コントラスト、HDR設定を調整して画像が改善されるかどうか試してみることを提案している。しかし、調整を行っても、多くのスクリーンはこれらの意図された詳細を完全に捉えるように設計されていないため、重要な視覚的要素が欠けていると感じる視聴者のフラストレーションにつながることを認めている。

  • Voxの記事では、特にストリーミングコンテンツにおいて、ディレクターが「よりリアルな」外観を好む傾向にあるため、人工照明を減らして「自然な」美的感覚へと移行していると説明している。このスタイルは、キャラクターや環境を現実的に感じさせ、過度に様式化された照明を避けることで物語性を高めることができるという。

  • 高度なカラーグレーディングにより、監督はフレームの特定部分を深みや雰囲気に合わせて調整することができるが、それにより複雑性も増す。 あまり性能の高くないスクリーンで視聴した場合、こうした微妙なニュアンスが伝わらず、ディテールが不明瞭になったり、失われたりして、フラストレーションの残る視聴体験となることが多い。


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竹田ダニエル
記事を読んでくださりありがとうございます!いただけたサポートは、記事を書く際に参考しているNew York TimesやLA Times等の十数社のサブスクリプション費用にあてます。