日銀、植田新体制は「理想」から「現実」へ~タカ派・ハト派の二元論を超えて~
既報の通り、政府は2023年4月8日に任期を迎える黒田東彦・日銀総裁の後任に経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏を起用する人事を固めました:
経済学者出身の日銀総裁は戦後初です。同人事案は2月14日に国会に提示されており、衆参両院の同意を経て内閣が任命する流れとなります。元より本命と言われ、事前報道でも政府からの打診が報じられた雨宮正佳・副総裁は「今後の金融政策には新しい視点が必要」との考えから固辞されそうです:
なお、合わせて報じられている2人の副総裁は内田真一・日銀理事および氷見野良三・前金融庁長官とされています。現在に連なる非伝統的政策の理論的支柱である植田氏、現行の枠組みを熟知する内田氏、プルーデンス政策と国際性に優れる氷見野氏という正副総裁体制は文字通り隙の無い布陣と言えるでしょう。少なくとも実験に勤しんで金融市場との対話力がしばしば問題視された前体制のような展開はもはや考えにくいのでしょう。以下では新体制への所感、想定される「次の一手」、そして旧体制への総括などに絞って、簡単にQ&A方式で論点を整理しておきたいと思います:
Q1:植田新体制はタカ派なのか?ハト派なのか?
A1:最も照会を受ける点ですが、植田新体制をタカ派・ハト派という安易な二項対立に嵌めて理解することは適切ではでしょう。確かに、植田教授が現行の政策枠組みに対して所感を示した2022年7月6日付の日本経済新聞『経済教室』では「多くの人の予想を超えて長期化した異例の金融緩和枠組みの今後については、どこかで真剣な検討が必要」と述べているため、これをもって緩和路線に慎重なタカ派という評価が先行しやすい雰囲気はあります:
しかし、既に方々で紹介される通り、フォワードガイダンス(時間軸政策)のような非伝統的政策の理論的支柱を担ってきた経緯を踏まえれば、タカ派的思想に支配された人物ではないのは明らかでしょう。2001年3月の量的緩和政策導入に反対した経緯も頻繁に引用されますが、これは「意味が無いからやらない方が良い」という主張であり、黒田体制の10年間を通じてマネーサプライ(≒マネーストック、図)が大して増えず、それに応じて賃金や物価が整合的な上昇を見せるということもなかったのですから、むしろ2001年時点の読みが適切だったと言えます:
2013年4月以降に熱を帯びたリフレ礼賛ムードのように金融政策で森羅万象が解決できるかのような極端な言説が異常なのであって、植田体制は「経済・金融情勢を踏まえ、適時適切な判断をする」という中央銀行の本来あるべき姿に回帰するでしょう。
もっとも、後述するように、「現行枠組みの収拾」は不可避のタスクであり、「強いて言えばタカ派」というイメージは当初付いてしまうかもしれません。もちろん、植田教授ほどの経験値があれば、これも当然、想定されている展開でしょう。上手くバランスを取った情報発信に努めて、難しい時期を乗り切るのだと期待したいところです。
Q2:植田体制の初会合(4月27~28日)、最初の一手は?
A2:市場関係者に限らず、4月27~28日会合に何が起きるのかという注目度は非常に大きいものです。
大まかな展開を想像すると、政府・日銀の共同声明を見直した後、具体的なステップに進むというのが基本でしょうか。2013年1月に設定された共同声明は「初めて2%の物価安定の目標を導入し、これをできるだけ早期に実現することを目指すとされており、従来の金融政策の枠組みを大きく見直した画期的なもの(首相官邸HP)」と定義されています。
巷説で予想されるように、現下のインフレ情勢を踏まえれば「できるだけ早期に実現」の部分は修正含みです。広義解釈で乗り切ることも不可能ではないでしょうが、リフレ政策からの脱却を示唆するという意味で岸田政権は修正を望むでしょう。本質論としては金融政策を縛るような声明が政府との間に残存すること自体が不健全ゆえ、筆者は声明文ごと無くすのが筋と思いますが、それは市場との摩擦を避ける植田体制では好まれないかもしれません。現状では、総裁就任に向けた植田教授の情報発信に乏しく、不透明な部分が多いですが、過去の言動を踏まえる限り、基本的には「異次元緩和を通常緩和へ」というコンセプトの下、軟着陸が志向されるはずです。
やるべき課題は①共同声明の見直し、②イールドカーブコントロール(YCC)の廃棄、③マイナス金利の解除の3つであり、これをショックなく進めることに努めると思われます。最も順当に進んだケースとして4月会合では①、6月会合と7月会合で②と③に着手し、正常化プロセスがそこで停止するというシナリオでしょうか。ただし、①は名目的に廃棄という形を取らずとも、上下±100bpsという幅広なレンジを用意するという格好にするかもしれません。
いずれにせよ総裁が変わったからと言って日本経済の地力が急激に復活するわけではなく、それゆえに複数回の利上げが可能になるわけでは決してありません。あくまで「やるべきことをやる」だけです。裏を返せば、黒田体制ではリフレ思想の理想追求のために現実逃避の時間が長くなり過ぎました。その逃避していた部分の巻き戻しが植田体制の最初の仕事になります。
Q3:黒田体制、最後の会合は無風で良いか?
A3:植田新体制に注目が集中する一方、黒田体制にとって最後となる3月9~10日会合への注目は殆どなくなっています。しかし、無風とも言い切れないかもしれません。
上述したような植田新体制の政策運営に対する見方は実のところ珍しいものではなく、程度の差こそあれ、市場参加者において概ね意見集約が済んでいるように思います。問題は4月以降に異次元緩和の撤収が始まることが分かっている以上、1月会合前に見られたような日本国債市場における投機的な動き、具体的には国債の売り圧力が増大(≒長期金利の上昇)する不安は残るのではないでしょうか。現行体制では内田理事(次期副総裁)が新体制で執行部として残るため、現状では殆ど注目されていない3月9~10日の会合も消化試合とはしない可能性もあります。
2023年は、時が経つほど欧米経済の失速と共にFRBやECBの引き締め停止(やその先にある利下げ)が現実味を帯びてきます。そうなれば日銀の正常化プロセスはますますナローパスに追い込まれます。実際のところ、「やることが分かっている以上、一会合とて無駄にできない」という胸中もあり得ます。その場合、最終会合で今後の政策運営を制約する可能性のある共同声明の内容を見直すのは不自然ですから、YCCの変動幅を±50bpから±75bpへ拡大する措置などはあるでしょうか。もちろん、可能性は高くないと思いますが、捨てきれないリスクに思います。
Q4:結局、黒田体制とは何だったのか?
A4: 黒田体制は文字通り、金融政策の限界に挑戦し、その有効性(厳密には無効性)を白日の下に晒したという意味で功績は大きいと思います。ここまでやらなければいつまでたってもマネタリー(貨幣数量説的)な考え方に拘泥し、あらゆる社会・経済課題を金融政策で解決できるかのような言説にすがる宗教じみた論陣を一掃することはできなかったでしょう。現状でもそうした発想が根絶されたとは言えないが、もはやマイノリティです。
また、黒田体制の功績はもう1つあります。それは過去10年間で日本社会における円安への受け止めを変えたということです。10年前、「円安は輸出数量を増やさず、海外への所得流出を招くだけ」と主張した場合、大変な批判を受けました。しかし、今や「悪い円安」が流行語大賞になるほど円安の弊害が日本社会で認知されています。2022年におきた円相場急落は日銀の金融政策だけに帰責するものではありません。
しかし、円安相場を前にしても「円安は日本経済全体にとってプラス」と言い続けた黒田総裁の発言は日銀と一般社会の摩擦を明らかに強めていました。「自国通貨が安くなることの怖さ」を社会に浸透させたという意味でも黒田体制は為替に対する社会規範を変えたと言えます。
過去10年間におよぶ国債購入の結果、日銀の国債保有額は2013年3月の125兆円から2023年1月の583兆円へと4倍超に拡大し、発行済み長期国債の5割以上を占有、上場投資信託(ETF)の保有残高についても1.5兆円から36.9兆円に積み上がり、既に日銀は多数の上場企業の主要株主に名を連ねています。
金融政策との因果関係はさておき2022年に物価は念願の上昇を果たしましたが、その暁には社会がそれに不満を漏らすという結末待っていました。10年という在任期間を通じてリフレ政策が概ね支持された期間が長かったのは物価目標が未達の期間が長かったからでしょう。多くの副作用を伴った10年間に及ぶ異次元緩和でしたが、既述の通り、肝心のマネーストックは全く加速しませんでした。白川時代の全否定から始まった割に実体経済へ流れる貨幣量は白川体制と黒田体制で大した差は見て取れません。
こうした社会実験とも言える政策運営を経て生まれる植田新体制はより地に足がついた政策運営に努めるでしょう。
一言で言えば、黒田体制がリフレ政策の望んだ「理想」を追求し続けたのに対し、植田体制は「現実」を追求すると考えられる。象徴的な逸話がある。アベノミクス初期からリフレ派の重鎮としてその言説が再三取り上げられてきたイェール大学の浜田宏一・教授は著書『21世紀の経済政策』で植田教授にインタビューを打診したところ「金融政策が効くか効かないかと両者のバランスをとって議論するのではなく、先生のように効くと決めつけている人とは議論できない」と断られた内幕を明らかにしています。こうした発言一つを取ってみてもリフレ思想のように直情的かつ直線的な振る舞いではなく、適時適切な判断を期待できるように思えます。
「市場との対話」も丁寧に考慮されるはずであり、金融市場でも植田体制の誕生を肯定的に受け止めるムードが支配的です。