「現場主義」の意味がよくわからないので分解して考えてみた。
日本型経営を象徴する言葉に「現場主義」というものがある。
こちらの記事曰く、
「現場力は日本のものづくりの宝なのは確かだ。現場で現物を見て現実的に対応するという『三現主義』が現場力の根幹にある。それは各自の持ち場で頑張るということにつながっている。とにかく何とかするという火事場のばか力もある」
「ただ弊害もある。持ち場を守ることで目標や発想が矮小(わいしょう)化する。大きな目線で何が正しいことなのかを判断しなくてもよくなる。結果、思考停止に陥りがちだ。何かおかしいと思っても、どうすべきかということを考えなくなってしまう」
ということだそう。『三現主義』の話も、その弊害としての思考停止も、非常によく聞く話だ。
要するに「現場主義にはメリットもあるけれど、デメリットもあるよね」という論旨なのだが、この「現場主義」というのが一体何を指しているのかわかるようでよくわからない、というのが本音だ。
今回の日経COMEMOのお題は #現場主義で得られたこと とのことだが、そもそも現場主義とは何なのか。まずはそこから考えてみることとしたい。
「現場主義」とは何であって、何でないのか?
「現場主義」は、単に現場の意見や考え方を最優先することなのか?一体、現場主義とは何であって、何でないのか。「現場主義」という言葉は、頻繁に使われる一方で、その意味するところがよくわからない言葉だ。
「現場主義」の対局にあるものは何か?それは「現場軽視」だろう。
「現場軽視」とは、経営戦略や事業戦略の観点から見て合理的な判断であったとしても、現場の意見ややり方が軽んじられている!と現場サイドの従業員が感じてしまい、結果的にことが思うように進まない、といった際に用いられる言葉だ。
「現場軽視」の反対は、文字通り「現場重視」だろう。では、「現場重視」と「現場主義」は一体何が違うのか?それとも全くの同義語なのだろうか。
「現場主義」と「現場重視」との間にあるちがいを明らかにする上で、「トップダウン」と「ボトムアップ」という軸を新たに加えて考えを深めてみることにする。
「『現場主義』と『ボトムアップ』はイコールではないか?」
と感じる方もいるかもしれないが、筆者は明確に「イコールではない」と考えている。その手がかりになる記述が次の記事にある。
自動車再編で大立ち回りを演じる大胆さがある一方、経営の緻密さや現場主義も修氏の真骨頂である。象徴するのが、会長が役員以下を引き連れて、製造現場などをチェックする恒例の社内行事「工場監査」だ。蛍光灯1本の配置まで指摘した。
(中略)
「ボトムアップ・イズ・コストアップ、トップダウン・イズ・コストダウン」と修氏は遅々として進まない小型車プロジェクトにしびれをきらし、GM首脳にこう迫るほど、コスト意識は研ぎ澄まされていた。
そう。自らを「中小企業のおやじ」と呼び、徹底した現場主義を貫くことで有名な鈴木修氏は、その一方で強烈な「トップダウン」であることでも知られている。
「現場主義=ボトムアップ」では、「現場主義かつトップダウン」という図式は成立し得ない。つまり、同じ現場主義でも「ボトムアップな現場主義」と、「トップダウンな現場主義」の双方が存在するのだ。
ここで、「現場主義」の全体像を明らかにするために、一度図にして整理してみることにする。
横軸に「現場軽視⇔現場重視」、縦軸に「トップダウン⇔ボトムアップ」を置いてマトリクスを作成した。
*現場軽視の反意語として、現場主義よりも現場重視の方が適切なので横軸は「現場軽視⇔現場重視」と置いた。
現場軽視✕ボトムアップというのは原理的にありえないので置いておくとして、冒頭に述べたような「現場の意見を一切取り入れずにトップダウンで意思決定を断行する」ことを現場軽視主義とおいた。
肝心なのは右側だ。「持ち場を守ることで目標や発想が矮小(わいしょう)化する。大きな目線で何が正しいことなのかを判断しなくてもよくなる。結果、思考停止に陥りがち」という文脈で語られる現場主義というのは、おそらくは「トップダウンな現場主義」ではなく、「ボトムアップな現場主義」すなわち「現場迎合主義」であろう。
例えば、日本のDXが遅々として進まない背景の一つに、「現場ではFAXや電話によるやりとりで円滑に回っている」という現場の声を重視しすぎるあまり、未だにチャットツールはおろかメールすら使われていない…という現場迎合主義があるだろう。
かといって、「生産性向上には組織のDX推進が欠かせない」と現場の声を一切聞かずにFAXの廃止を断行したら現場から大クレームが発生し、結果として前言撤回せざるを得ない状態に追い込まれる。
ではどうすればよいのか?その答えが「現場軽視主義」でも「現場迎合主義」でもない、スズキ元会長流の「トップダウンな現場主義」にあるのでは?と筆者は考えている。
トップダウンと現場重視の二兎を追う「現場包摂主義」とは
経営戦略・事業戦略の観点から必要な意思決定をトップダウンで行いながらも、現場の声や感情、実態をつぶさに理解して経営判断に取り入れつつ、最終的に下した経営判断が現場に浸透するまでやり抜く。この考え方を便宜的に「現場包摂主義」と呼ぶことにする。
「包摂」というと聞き慣れないかも知れませんが、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)で言うところのインクルージョンのことを日本語で「包摂」と言う。
こうして整理みると、鈴木修氏が「現場主義」でありながら「トップダウン」であったことに合点がいく
すなわち「消費者の立場になって価値ある製品を作ろう」というスズキの社是を実現するために、トップダウンで徹頭徹尾コストダウンを図りつつ、現場を軽視した机上の空論で終わらせることなく、現場の声にしっかり耳を傾けつつもそれに迎合することなく、時に厳しさを伴いながらも現場に考え方も含めて浸透させていくことにこだわること。
変化があまりにも激しいこれからの時代、単なる現場主義では厳しい競争を生き抜いていけないことは明らかだ。行き過ぎた現場主義は「木を見て森を見ず」の近視眼的な判断になってしまいかねない。
一方で「森を見て木を見ず」では現場が着いてこず、どんなに美しい戦略も絵に描いた餅で終わってしまう。
重要なのは「A or B」の二者択一ではなく「A and B」の二兎を追う発想だ。しっかりと木を見ながら、森を見て判断をする。鳥瞰虫瞰の構えだ。
思えば、筆者自身が #現場主義で得られたこと も、単なる現場主義ではなく「現場包摂主義」だったからこそ。間違いない。具体的にどんなことが現場主義で得られたのか?について書こうと思ったが、すでに3000文字近くになってしまったのでまた別の機会に筆を取ろうと思う。
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