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不確実な未来の確実なこと


ドラッカーは何度読んでも刺激がある。特に、印象的な一節は下記である。
 
 われわれは未来についてふたつのことしか知らない。
 一つは、未来は知り得ない、もうひとつは、
 未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違う。(中略)
 
 未来を築くためにまず初めになすべきは、明日何をすべきかを
 決めることでなく、明日を創るために今日何をなすべきかを
 決めることである。
 (P.F.ドラッカー『明日を支配するもの』上田惇生訳)

予測もできない未来に備え、今日何をすべきかこそが、ビジネスであり、人生だというのである。

これは表現がすばらしいだけでない。今こそ重要な指摘だと思うのである。なぜなら、人工知能やデータの時代と言われているからである。

今、データを大量に集めれば、AIを使って予測がある程度でき、それが企業や国家の浮沈に強い影響を与えると連日メディアは言っている。

上記のドラッカーの指摘は、これを明確に否定しているのである。例えば、3ヶ月前に、現在のコロナウイルスの状況を予測することは原理的に不可能である。今も、1ヶ月後の本件がどうなっているかを予測はできない。実際には、今から1か月後には、あたかも一月前に予測できたはずというトーンの記事や議論が大量にでると思う。しかし、ドラッカーは、それは根本から間違った議論だというのである。

それでは、未来は本質的に知り得ないことを前提に、判断し行動するとはどういうことか。

できることは実は2つのことしかない。それは第1に、情報やデータを集め、データに基づくできるだけの予測を行うこと。

しかし、この予測は決して当たることを期待してはならない。ドラッカーがいうように、未来は予測できないからである。

そして、大事なのが第2である。それは、この予測を使い、予測からの「ぶれ」に基づき判断基準を変え、行動を変えることである。予測からの「ぶれ」を早く検出し、行動や判断基準を変えられることこそが、予測の意義である。

未来を精度良く当てるために予測するのではないのである。
従来のように、集めた情報やデータを元に予測し、予測に基づき行動するとは全く異なる結果になる。予測に沿った行動ではなく、予測のぶれを反映した行動を行うべきなのである。この結果、頻繁に判断基準や考え方を変えることになる。すなわち「君子は豹変する」になる。

このように予測できない未来に進む中で、もっと合理的な態度は、常に予測からのブレという兆しを大事に「豹変」をいとわず、変えることなのである。そして、これこそが、データやAIの最も有効な使い方なのである。

様々なシミュレーションをしてみると、変化する状況では、この予測からのブレに基づく「豹変戦略」こそが、的確な対応に必要なことが数学的に分かっている。従って「あのとき、ああ言ったじゃないか」と、以前の発言と一貫していないことを攻めるのが一番非合理なのである。

従って、不確実な未来に進む時にも、確実に一貫すべきことがある。それは、ここで述べた「予測のブレに即応して判断や行動を変えること」である。

即ち、表面的な一貫性を追求すべきではなく、判断や行動の変え方を一貫すべきなのである。そして、そのような高次の一貫性は、表面上は「君子豹変」になるのである。そして、孔子はそれを直感的に分かっていたのではないかと思うのである。

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