見出し画像

成熟する株主アクティビズムは、「ESG重視型」へ向かう

上場企業の総会ピークシーズンが終わった。今年の顕著な傾向として、アクティビスト株主の存在感高まりが挙げられる。古くは1980年代終わり、米国アクティビストによる小糸製作所株買い占め事件から、2000年代のスティールパートナーズによる敵対的買収まで、これまで何度か波が繰り返された、「攻めるアクティビストVS守る日本企業」という構図が繰り返されるのだろうか?

実は、サステナビリティ重視の流れと、それに伴うESG投資の機運を踏まえると、これからはより長期的視点からモノをいうアクティビズムが主流になると予想する。これは、短期的なゲイン狙いと批判されたこれまでのアクティビズムとは、明らかに質が異なる。

このとき、アクティビストとの会話の中身が、進化する。すなわち、日本企業には、「厄介者を追い払う」のではない、アクティビストの視点を取り入れてより良い経営に向かう姿勢が求められるだろう。この中で、アクティビストと企業の双方が、願わくは成長し、また、意味のある対話が出来ない場合には、両者ともその存在価値を問われることになる。

2015年、第二次安倍政権のコーポレートガバナンス改革を契機に、アクティビストの関心が再び日本に向かった。それまでのアクティビズムは、単純化すれば「キャッシュ吐き出し型」だ。すなわち、積みあがるネットキャッシュを指摘して、多くの場合、増配や自社株買いにつなげる。往々にして株価も上がる。ここで売り抜け、リターンを得るのがアクティビストの常とう手段だった。

2007年にブルドックソースに揺さぶりをかけたスティールパートナーズの代表は、「ソースは嫌い」と発言し、世間の反感を買った。おかげで、経営側は、同情票を得たともいえる。だが、本来、事業への思い入れ有無と、資本効率の低さを指摘することは、まったく別物だ。資本家の論理としては、正しいことを述べていた。

しかし、このアプローチは一過性に終わってしまう。すなわち、一度キャッシュを吐き出してしまった会社は、アクティビストにとって最早うまみがない。

長期的な株主や従業員、顧客やサプライヤーといったアクティビスト以外のステークホルダーは、売り抜けるアクティビストほどには報われないし、短期的な混乱に対する恨みが勝る。アクティビストの論理が、彼ら以外には説得力を持たない弱みが露呈してしまう。このため、経営側とアクティビストは(「ソース発言」もどきがなくとも)敵対しがちで、協力的な関係を築くことは難しい。

一方、2015年以降、進化するアクティビズムは、どのように企業と向き合うのか?ここにESGの文脈が欠かせない。すなわち、企業価値を長期的に高めるためには、短期的なもうけだけではなく、環境(E)、従業員やコミュニティを含む社会(S)に対する貢献と透明性の高いガバナンス(G)が欠かせないという投資家の考え方だ。サステナビリティ経営を後押しする投資家の尺度ともいえる。

企業がESGに対して投資するとき、その効果は経済的な価値となって現れ、それを再投資することで、ESG投資に弾みがつく―この循環をつくることが、ESG文脈で企業価値を長期的に高めることに他ならない。

このサイクルにもとづけば、一見利害が対立とするとみられがちな複数のステークホルダーに折り合いがつく。例えば、会社が社会に良い影響を及ぼす結果、ブランド価値が向上し、その結果、時価総額が高まり投資家にもリターンが及ぶという仕組みだ。

では、このサイクルの中で、成熟したアクティビストはどのような立ち位置を取るのだろう?ESG経営の弱点や盲点をつき、それらを経営陣に補正させることで、企業価値を上げることが王道と考えられる。

アクティビスト自身、自分の株主から短いサイクルで大きなリターンを求められるため、アクティビストは、確かに短期的な売り抜け行動を取るかもしれない。しかし、企業側は、これに惑わされてはいけない。

あくまでも、ESG文脈で企業価値を増大する大きなサイクルを回す中で、「途中乗車・途中下車」する短いサイクルの投資家として、アクティビストを捉えるべきである。その提言に見るべきものがあれば、真摯に検討することが大切だ。

「キャッシュ吐き出し型」から「ESG重視型」へ、アクティビズムが大きく転換するとき、対する経営陣の意識も変わる必要がある。逆に、長期的な価値を毀損するような短期的なアクティビストの要求に対しては、みずからの成長ストーリーを堂々と示して、ほかの株主の賛同を得れば良い。

結果的に対抗するか、提言を取り入れて協働するかはアクティビストの出方次第だが、経営に求められることは同じ―ESG投資で長期的な企業価値を高めるストーリーを描くことにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?