友達と政治について話した。
今日起きたこと。こっちの名門大学で研究員として1年間日本から派遣されている大学院生との会話で昨日の事件の話、そして自民党の話になったら 「なんか安倍アンチの人っていますけど、アレって何なんですかね?」と言われて、(うおーきた...野生の無知...)ってなった。
追記:「野生の無知」と思ったのは彼が最初に「安倍に対して批判的な人=安倍アンチ」と形容する、その議論や対話をシャットダウンするような、真剣な議論を鼻で笑うような「冷笑」に対する衝撃を感じたのであって、彼の政治観や政治に対する無関心さに対してではないです。そもそも彼は週に何回か会話をするような仲であるからこそ、こういった対話をしようと思えた。そして当然ながら会話の全てをここで記すわけにはいかないので、以下は要約です。
「アンチっていう言葉は安倍政権によって抑圧されたり差別が助長されている被害者に失礼だと思う。そもそも統一教会や日本会議のこと、第二次世界大戦のレガシー主張や歴史修正教育、低賃金の問題や同性婚・夫婦別姓の禁止など現実的な問題が細かくあって」と話したら、
「うーん...」と言われたので、「統一教会や日本会議のこと知ってる?」と聞いたら知らないと。 「でもそれって偏ったネットのニュースですよね?それって本当に信用していいんですか?」と言われたので、「もしかして政治に興味ない?」と聞いたら「興味ないっすねー」と。
「別に自分は説得しようとか喧嘩しようとか否定しようとかいうつもりはなくて、さまざまな忖度によって日本では報道されない事実を客観的な視点から伝えているだけ。あなたも興味を少しでも持ってもらえたらいいと思うし、そもそも戦争になったら駆り出されるのはあなたみたいな人だよ?」と伝えた。
案の定「じゃあ自民党じゃなかったら政治が回るんですか?悪夢の民主党は??」と言われ、日本の教育すげえ...ってなったし、「自民党を支持することと同性婚や夫婦別姓や差別反対を訴えるマイノリティを抑圧することとイコール関係にあることは知ってほしい」と言ったら真剣に聞いていた。
自分の知らないこと=陰謀論やデマ、みたいな認識なのが見ていて歯痒かったし、特に理系として日本社会で生きていこうとすると社会や政治が自分と関係あるように思えないんだなと実感した。あとは「台湾とか守る時に9条あったら困るじゃないですか」とか、一部のプロパガンダだけを盲信する感じも。
アメリカ人の友達とこの話をしようとすると、特にアカデミック寄りの人は「聞いて学ぼう」という姿勢を感じられるし、自分の認識と異なるトピックになれば「議論しよう」ということになることが多いので、今回みたいにそもそものベースとして存在する事実を否定されることになるとは思わなかったぜ...
この人は友達だし否定や侮蔑をしたいのではなく、環境や教育によってここまでの視野の狭さと無関心が生まれてしまうことに改めて衝撃を受けた。 当然アメリカ人でも無知無関心な人は大勢いるが、「外国に学びにきて国際的研究者になろう」という前提のもとである人がここまで「教えられたことだけ信じる」ような、クリティカルシンキングとリサーチを放棄することにさすがに驚いた。 批判や客観的な事実の指摘をある種「無知な自分への攻撃」のように受け取ってしまうことも、アメリカの保守派の反応とよく似ているし、それこそが「偏った思想」だと思った。
自分は日本でいつか暮らしたいと思うし、大切な家族や仲間もたくさんいる。自分にとっては決して関係ない国ではないし、完璧からは程遠いクソ帝国アメリカを経験してきているからこそ、救える余地のあるときに日本が改善できたらいいのにな、と切に思うわけで。決してアメリカの方がいいとかじゃない。
とりあえずそういういわゆる「優秀なエリート」の立場にあるような人がちょっとでも社会や政治に興味を持つ機会があればと思うし、お節介かもしれないけどそういう人は差別思想や確固たるナショナリズムを抱いているわけでもなく、何となく教えられたことだけ信じている状態なので会話のしがいはある。
「もちろん今話したこと全てが正しいわけじゃないかもしれないし、もし疑問を抱いているなら調べてほしい。個人的な感情や思想でこう言ってるのではなく、ファクトを知った上で政治の選択をしてほしいと、ただ切実に思う。」という旨を伝え、「そうっすね!」というリアクションで穏便に会話は終わった
政治に疑いを持つことは大事だし、人から聞いた話を鵜呑みにするのは違う。この友達をバカにしたいわけでももちろんないし、向こうの「真剣に向き合おう」という意志は僅かながら感じられた。ただメインストリームな認識と異なる考えを持つことにここまで強い拒否反応を抱いているとは...
とにかく、「喧嘩したいわけじゃない」ということと、どうしてそういう思想になるのか、環境に理解を示すことは「思想がバラバラかつめちゃくちゃ意志が強い」アメリカ人同士で話していると重要だと学ぶ。価値観や知識の差で優劣があるわけではなく、否定せずただ会話をすることに意義がある。
意見が違っててもいい。自民党支持でもそれは個人の自由。自分もある政党を押し付けるために会話・議論しているわけではないことは明確に記しておきたい。 ただ抑圧されている人や政策から影響を受けている人がいる以上、無知無関心な上で会話の共有までをも抵抗する人がかなりいるのは課題だと思う。