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君は住んでいる街のことを知っているか?

長い間住んでいる街のことを何でも分かっているなんてまったくありえない。知らないことだらけです。誰でも自覚していることでしょう。日常生活に差しつかえない程度のことを知っていれば、それで十分です。しかし、たまに知らないことを起点に知的探索するのも楽しいものです。

最近、ミラノの街の建物の外壁に何故、緑色が使われているのか?ということが気になっています。いや、前々から気になっていたのです。1990年代半ば、トリノからミラノに引っ越してきた時、「ミラノってタイルの外壁が多いなあ。それもグリーンだよ、ちょっとダサくない?」と実は思っていました。

このところ、その理由を知りたいと思うようになってきたのです。なぜかと言うと、前世紀に多用されたにもかかわらず、今世紀に設計された建物からは緑色が消えているからです。

結論から言うと、まだ理由は分かりませんから、ここに書いている内容はリサーチの途中経過です(もし、参考情報をご存知の方がいたら教えて欲しいです)。いずれにせよ専門の詳しそうな人に聞いても、即答が容易に聞けるようなテーマではないことが分かってきました。

まず言っておくと、ステファノ・ボエリが設計した下の写真にある「ボスコ・ヴェルティカーレ(垂直の森)」(2014年)にある、いわゆる環境意識との絡みとしての緑色を言っているわけではないです。サスティナビリティという言葉とは無縁のグリーンです。

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(Photo by Chris Barbalis on Unsplash)

「外壁の緑って、別にミラノに限らないでしょう?地中海沿岸に行くと、こんなカラフルな街は珍しくないじゃない!」と言われそうです。こんな下の画像を引用しながら(手前の方にあるでしょう!)。確かにイタリアに限らず、ドイツなんかにも緑色の外壁はあります。

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(Photo by Tim Trad on Unsplash)

ぼくが気になっているのは、次のようなタイプです。今世紀に入り、このような外壁の色が減り、グレーやブラウンを基調とする外壁が増えてきたので、「あのグリーンに何か意味なかったの?」という疑問が湧いてきたわけです。それなりに存在感のあった色がなくなり、そこで存在感があった理由を知りたくなるんですね。当たり前と思っていたものも、その不在が背景への興味を引き出すのです。

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もともとミラノに限らず、窓枠や鎧戸あるいは扉に緑色を使うのは、ミラノに限ったことではないです。例えば、下の鎧戸はエミリア・ロマーニャ州のものです。これはレンガや石の外壁とのコントラストから生まれた選択という感じがありそうです。この手のものは沢山あります。

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こんな(↓)使い方です。ミラノです。これも外壁の黄色に対する緑色という関係がありそうです。即ち、外壁の色が決まった後に緑色が選択されたのでしょう。でも「それじゃあ、外壁の色の理由にならないじゃない!」と言われてしまいますよね。

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こういったことを疑問に思いながら、緑色がイタリアの国旗の色(緑、白、赤の三色旗)と関係あるだろうか?とも思いました。それで緑色に敬意を払うと。なんで、緑だけ?とも思うのです。なぜミラノに多い?という問いにも答えてくれません。

あるいは、ブリティッシュグリーンへのオマージュもあり?とも想像したのですが、ちょっと的外れかな、とか(イタリアの人々には英国文化への憧れがあります。同時にシェイクスピアにあるように、英国人のイタリアの憧れもあるのですが)。

そこでイタリア人の建築家であるアレッサンドロに聞いてみたところ、「一つには、1960年代、ジオ・ポンティのグリーンのタイルを使ったモンテドリアのデザインの後追いではないか?特にタイル壁については、そうだと思う」との答えが返ってきました。ということは下の写真みたいな外壁をもつ建物はジオ・ポンティの影響だったと推測できます。

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じゃあ、モンテドリアって何?ということになりますね。その前に!。ジオ・ポンティは20世紀を代表するイタリア人建築家です。ミラノの中央駅の正面右側ににあるピレッリビルもジオ・ポンティの設計です(これ、1950年代のデザインとは思えない洗練さがあって、ぼくの好きなビルです)。

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そして彼の設計したモンテドリアとは、この建物です。外壁がグリーンです。1960年代後半の設計です。

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このタイル、よく見ると突起があって素敵です。巨匠がこういうデザインをしたのですから、まあ、フォロアーがいるのも当然です。それ以降、ミラノの建物の外壁に「タイル」と「グリーン」が使われるようになるブームがあったのだろうと想像できます。

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つまりジオ・ポンティは伝統的にある緑色の外壁をタイルにしたところに独創性があったということになります。じゃあ、例えば、カドルナの広場にある建物のグリーンはどうなの?という疑問がでます。世紀がちょうど変わる頃にできたガエ・アウレンティの設計です。マルペンサ空港とカドルナ駅の間に直行便が開通したとき、カドルナがミラノの玄関口の一つとして、この空間を整備しました。

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デザインギャラリーを経営しているダニエレの解説によれば、「広場にある彫刻はミラノの地下鉄の路線にある緑、赤、黄色を使っている。そのオマージュとして、ガエ・アウレンティは駅の上の建物を緑にしたのであって、ミラノの他の外壁の緑とは文脈が違う」ということです。

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彫刻とはスウェーデンのアーティストであるClaes Oldenburg と Coosje van Bruggenの夫妻によるペアとなった2つの作品です(上の写真)。当時、「これはなんなんだ!」と大層騒がれた都市整備計画です。で、地下鉄は20世紀末のミラノには3本あって、路線が色で分かれている(今は紫ラインが加わり、青の路線が工事中)。グリーンラインは下のようなカタチで駅構内が表現されています。

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ダニエレは「イタリア文化において緑は幸運を呼ぶ色という意味がある。いずれせよ、コンテクストによって緑色の意味は違うが、1つ確かなのは、軽快さを表現しているという点で共通している」と言葉を加えます。

ぼくは「え!」と思ったところで、お互いに電話を切らざるを得ない状況で、その先が議論できていません。その「え!」の続きを、たまたま会ったアイルランド人のデザイナーで長くミラノにも住んでいたフレーザーに話しました。「ねえ、ミラノでの緑色が軽快さの表現と言われたんだけど、緑色を軽快と考えたことある?」と聞いたら、「Never!」と即ノーの答えが返ってきました。彼はカラーのデザインに強い事務所で働いたこともある人間なので、ぼくも「だよねぇ」と同調です。

それで、今、別の建築家に休暇が明けたら意見聞かせてね、と頼んでいるところです。彼は都市計画もやっているので、もう少し突っ込んだ解釈が分かるかもしれません。

ここまでで確実なのは、極度な一般化は危険である、という点です。しかし、一般化を試みようとしないとある体系的な理解は得難い、という別の側面もあります。

さて、この探索をどう使おうか?

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