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ニュースをコラムに。自分を出そう。

  僕は今、日経電子版で読んだ記事を元に、月に2本ほど日経comemoにコラム記事を書いている。これに加え、インターネットラジオのVoicyで、気になったニュースを音声で解説したり、自身の想いを伝えたりもしている。もちろんニュース記事をシェアし、ツイッターで(140字以内で)意見をつけるということは古くからしているが、もう少しまとまった文章でコラム記事にしているのはここ一年ほどだ。

  自分の言葉でコラム記事を書くことにより、より「世の中で起きていることと自分自身との関わり合い(繋がり)」を意識することができる。

 僕らはつい、日々の生活や仕事に追われていると、
「世間で起きていることは自分と違う別世界で起きていることであり、自分自身の仕事や生き様とは関係ない」
と考えてしまいがちである。自分の属する会社や業界のこと、そしてお取引先の人事異動のニュースは(上司から言われる前に反応する必要があるから)必死でフォローするし、一面に出ている記事くらいは、顧客や取引先との会話の中で出てきた時のために一応チェックはするとして、別業界のとある会社が値上げを発表しようが、また、とある政党が法案を提出しようが、「自身の仕事に関わりがなければ関係ない」としてしまったりする。

 だがしかし本当は、
全ての記事が、僕たちの仕事や生活につながっている」
のである。それは当然だろう。全ては、強い繋がりか弱い繋がりかはさておき、社会はシステムとして動いており、その中に私たちもいるわけだから、何かしらの繋がりはある。

 政治の記事に関して言うならば、全ての記事が「僕らの未来をつくる話」であるし、また、例えば今なら参院選でどの政党に票を投じるかを考えるきっかけになる。自分の住む地域でない場所で新しい取り組みがなされているとしたならば、それは「自分の地域でも同じように適用されれば、自分の地域も変わるかもしれない」と考えることができる。

 ニュースは、考え方次第、想像力次第で、自分の生活や仕事にとって何かしらの繋がりを見出すことができる。

 もっといえば、その繋がりを感じながら仕事をすることで、私たちは社会の一員であることを意識することができる。それは仕事へのモチベーションになる。むしろ、僕ら一人ひとりがニュースを通じて、社会との繋がりを常に意識しながら生きるということが大事なのだと思う。

 だから僕は、投稿するテーマは、敢えて自分の専門領域に拘らない。「全範囲をカバーしたい」といつも思っている。きっと、何かしらつながっており、その繋がりを「発見」して、楽しみたいからだ。

 そのうえで、どう書くか。
僕は明確に、コラムを書くためにどう頭を働かせ、文章にしていくか、考える順番を決めている。

1)(自身の専門とは関係なく)ニュースを読み、ワクワクするかどうかを感じる
2)ワクワクするニュースについて、それを自分に引き寄せて考えてみて、どういう意味を持ちそうか考える(So What?
3)こじつけでもいいから、これでこうなるとこうなってこうだよな、だからこうなんだ!という気づきを得る(Aha!
4)その気づきに基づき、自身のスタンスを明確にして、コラムを書く。
という流れである。

 常に大切なのは、「自分」である。
1)自分がワクワクするか
2)自分にとってどういう意味があるか
3)自分がどう気づくか
4)自分のスタンスはどうか
ということだ。

 これは、ニュース解説委員の方とか、コンサルタントの方々の意見とは、根本的にスタンスが異なる。あくまで僕は、「自分がどう考えるか」を大切にする。そうすれば、この記事はオンリーワンになる。世界で一人しかいない自分自身のスタンスを出したものは、当然ながら、世界でひとつしかない。そうでなければ、そのコラムは何のために書かれたのかはっきりせず、専門家の知見もあるわけではないことになると、読者に読まれることはない。

 もちろん、自分の専門領域で「解説する」スタンスに近くなる場合もある。それはそれ。僕の場合はリーダーシップとかマネジメントといった領域だ。ただ、それであったとしても、単に解説することに止まらず、自身のスタンスは明確にする。

 読者にウケるかどうか、は二の次だ。そんなものはどうだっていい。世界に一人しかいない自分自身のスタンスを明確にすれば、面白くないわけがない。それでも、世間の反応が自分の想定より弱いとすれば、身も蓋もないかもしれないが、純粋にわかりやすい文章を書けなかっただけだ。それはトレーニングで改善すればよい。

 しかし、自分自身を出せば出すほど、キャラ立ちすればするほど、いわゆる「炎上リスク」を抱えることになる。炎上とまではいかずとも、批判的なリアクションは出てくる。それは僕も感じることがある。いいねの反応が増加するほど、批判的な反応も増える。これは必ず増える。なぜなら、その主張の「キャラ」が立っている、ということは、その主張と異なることを考える人が増えるからだ。これがエスカレートすれば炎上するリスクがあるから、そこにはしっかりと対応した方がよい。

 僕もcomemoで書く時には、当たり前だが、炎上しないように配慮する
具体的に気をつけているのは、こんな感じだ。
・基本、ポジティブな内容の投稿にする。未来は常に明るい、が基本的スタンス
・ネガティブな方向で投稿する場合には、言葉遣いに注意する(言い過ぎない)
・固有名詞で批判することはなるべく避ける
・価値観(何が好きか嫌いか)の決めつけは行わない(みんな違ってみんないい)
・倫理観(何が正しいか間違っているか)に関わる部分も正解はない。なので、技術的に「私の意見は」と前置きし、他の意見も「ありうる」とする。
(そのうえで、やはりこういう方向であるべき、という方向づけはあり、と思う)
・感情を可能な限り排除し、論理的に文章を展開する
・意見だけでなく、具体的なアクションプランまで提示する(そこまで考えているんだ、と感じてもらう)
・自分の会社のことや業界のことは、よくも悪くもネタにしない(僕は書くが)

 敢えてたくさん書いてみたが、その一つひとつを覚えていた方がよい、ということではない。読んでいただければわかるように、「(他人の文章として)自分が読んだ時に、嫌な気分にならないように考える」ということでしかない。

 そんな面倒くさいなら、自分のスタンスは明確にしない方が楽だ、と思うだろうか。でもそうしたら、興味をひくアウトプットは難しくなる。求められるスタンスは、
配慮はしても、遠慮はするな
ということだ。しっかり読者に配慮していれば、まずその姿勢が伝わり、炎上することはない。

 そして、それでも炎上したらどうするか。僕は過去、20年前くらいまではネットリテラシーをあまり持っておらず、書きたいことを書いて、大炎上を2-3回経験した。そういう経験からの教訓は、
すぐに言い訳せず謝罪すること」
だ。「自分がダメだった、撤回する、ごめんなさい」と謝罪すれば、すぐに収束する。逆に、自分がそれを書いた理由は、、、などと言い訳すると、燃え広がるリスクは高まるのだ。

 ニュースを「自分」で料理し、アウトプットしてみよう。社会との繋がりを意識するし、それが自分の人生を主体的に生きることに、きっとつながっていく。


(aflo)

 

 

 

 


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