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あの時「ドラえもん」を観そびれなかったら、今の自分がいなかった

そんな私が映画を初めて見た時を今でも覚えている。
初めてって言っても、”初めて”の意味がいろいろあるんだけど、ちゃんと初めて映画を見たという意味になるのは、中学生の時に観た「12モンキーズ」だ。

始まりは完全に中二病全開で、「大人になった自分たちがドラえもんを今更見たら」という冷やかしみたいなノリで地元の友達と隣街にある映画館に行こうという思いつき。でも、いざ映画館に着いたら、もう『ドラえもん』は売り切れ・・・。

そのまま帰るのも癪でなんでもいいから映画を1本観て帰るかって話になったのだ。その時同じ映画館で上映していたのが『12モンキーズ』。「ブラット・ピットが出てるならそれなりにメジャーで見ても損はしない映画なんじゃね?」程度の認識でチケットを買った。それが僕にとって初めての映画になったのだ。

それまでは、そこまで映画に興味がなかった。なぜって大体の映画ってハッピーエンドだから。結論が決まり切ってて「わざわざ観なくても」というのが映画への認識だった。

しかし偶然観ることになったその映画「12モンキーズ」はそんな映画観をひっくり返してしまった。

序盤はよくある大作映画らしい雰囲気である意味安心して観ていたけれど、話が進むにつれて全く様相が変わってくる。最後にはハッピーエンドどころか哲学的なバットエンドで終わっていまい、しかも滅茶苦茶痛烈な皮肉で、雷に打たれたような衝撃だった。

なんとなく反抗的だった中二病の当時の自分は「こんなに社会に痛烈な皮肉を見せつける映画があるんだ」と驚き、「もしかしたら映画って本当はこういうものなのかもしれない」と気付かされたのだった。人生観、そして映画観を転覆させられ、「12モンキーズ」の監督のテリー・ギリアムの過去作を皮切りに貪るように映画を見始めたのだ。

なんと今リバイバルで、ドラマ化も始まっている・・・!

作家性の強い映画を見れば見るほど、第一回で触れた「社会の解像度」が上がっている感覚が確かにあった。自分の視点だけでとらえていた社会が、客観的に捉えられるようになり、その多様さに気付かされた。「自分が思いもよらないことを考えてる人がこんなにいるんだなとか、自分が知らないことをこんなにあるんだな」とか。

振り返って思うのは、この出会いが偶然だったということ。
この偶然が人生で起きるかどうかだけが、映画や現代アートなどに興味を持つかどうかの違いなのではないだろうか。

そういう原体験に突き動かされて今の僕の仕事がある。
生活必需品ではないと思われているクリエイティブこそが、むしろ人間として生きていく上で超重要だよと伝えていきたいのだ。

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大高健志@MOTION GALLERY
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