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哲学を学ぶ意味がなんとなくわかった話

最近、哲学がマイブームなんです。ソニーで宇宙開発をやってる友人に「この人面白いよ」と、哲学者の谷川嘉浩の著作「スマホ時代の哲学」を紹介してもらったのがきっかけ。この本を読んでの感想は、この人はすごく漫画とアニメに詳しいなぁというもの。
おい、それ哲学とカンケーねーじゃん(怒)って声が聞こえそうだけど、谷川さんは哲学を説明するのに、この概念はこの漫画におけるこのシーンだ、なんてリファレンスをしてくれるのです。例えるなら「ハイデッカーの言うところの時間の概念は、『ドラえもん』におけるこのシーン」みたいな説明ですね。なんかモヤモヤしてる概念の輪郭が感覚的に掴める感じがするでしょ。

この書籍で谷川さんは、「ファストフードのようにニーチェを消費する時代」に、人はどう生きていけばいいのか?という問題を投げかけています。まあ、スマホのタイムラインに大量に情報が流れてくる時代の生き方を考える本なのです。それについては、是非本を読んでね!

その本にいたく感じいった自分は谷川さんに会いに行かなきゃ!ということで先生の大学のある京都まで押しかけてしまいました。哲学に関して会話をさせてもらって、なるほど、哲学を学ぶ意味ってそういうことなのかって気づいた話を今回は書いていこうかと思います。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC183WF0Y3A710C2000000/

ポッドキャストで歴史を語るC O T E Nの深井龍之介さんも「これからは哲学と宗教の時代だ」って言ってたし。

哲学書を読むともれなくついてくる挫折感

京都のレトロ喫茶が似合うってのが谷川先生にお会いした時の第一印象。シルバーのメガネフレームが似合ってる! いろんな質問をさせてもらったんだけど、理路整然といろんなエピソードも散りばめて情報量多めお話(大好物だ)をしてくれたんです。

先生はとにかく哲学を始めるにはまず哲学書を読みなさいとおっしゃる。

「それで哲学わかるんですか?」と小学生のように元気に聞き返すと、先生は「いや、本を読んだら味わえるのは挫折感です。」とお答えに。哲学を語れるとなんかかっこいいのではと先走ってドゥールーズやアタリの本を買ってみたけど大体挫折。「積読には意味があるのだ」と強がりを言っていた黒歴史を持つ自分にグサリと刺さるお言葉です。

でも、哲学書はコスパがいいのですよ

しかし、谷川先生はおっしゃるのです。

「哲学書ってコスパがいいんですよ」。

一体なぜ?

哲学という言葉はかなり広義な意味で使われていると先生は指摘します。確かにそうですよね。先生が研究しているのはソクラテスから綿々と連なる西洋哲学の思想体系なんだけど、うちら広告やコンテンツを作るクリエイターは、「哲学」という言葉をカジュアルに多用しがちです。「メニューを一品しか出さないのがこの店の哲学」なんてね。

先生は、その哲学も哲学なのだと嬉しいことをおっしゃってくれたわけです。飲み屋で酔っぱらいのおっちゃんと、あーでもないこーでもないとグダグダ議論するのも、世の中を知る立派な哲学なのだと。そう考えると、自分はかなり哲学的な生活を送ってきたわけです。むふ。

しかし、先生はいきなり手のひら返しです。

「でも、飲み屋の会話ってコスパ悪いんですよ。」

 えーっ、そうなの? なんだか自分の人生が瞬殺された感じですが、笑顔で対応してみせます。このリアクションこそ飲み屋で手に入れた哲学。

ではなぜ、哲学書はコスパがいいのか?

「哲学はソクラテス以来、天才たちが2500年もの間、綿々と人生の意味を考えぬいてきたスーパーコンテンツなんです。」


過去の天才たち、つまり哲学者の議論は綿々と連なっているコンテンツ


古代ギリシアでソクラテス(このエッセイのトップのビジュアルがソクラテスですね。ギリシアの哲学者は酒飲んで一日中議論してたらしいです)から始まった問いは、天才たちによって語り継がれ、深められ、彼らの議論は時間に揉まれ、価値あるものとしてサバイブしてきたわけです。そんな天才たちの知見が詰まった哲学書を読むことは、歴代の天才たちとの会話であり、それはとんでもなくコスパのいい体験なのだということですね。

2500年の哲学の歴史をさらうと、たいていのことは先人たちが既に考えてるわけです。自分でゼロから考えるより楽でしょと先生はさらりとおっしゃいます。はい、確かにごもっとも。

飲み屋で出会ったたくさんの天才たち(と言うことにしておく、しておかないと自分の人生が虚しいものになってしまう)との会話は翌日忘れちゃったりしたもんなあ。

そう考えると哲学書を通じた天才たちとの会話も悪くない、うん(あくまで敗北を認めない痩せ我慢的納得)。

巨人の肩に乗ってみる

谷川先生は哲学は何かに対する結論や答えをくれる学問ではないと明言します。哲学は世の中の見方の補助線を引いてくれる学問だと。

「世の中で起きてる事象を見極めるためには、世の中が見渡せるバルコニーの登る必要があります」と先生はおっしゃいます。

確かにバルコニーからの眺めは世の中を相対化してくれます。でも、そんなことを言いつつ先生は、「でもバルコニーってどこに行けば登れるかわからないじゃないですか」なんていうんですよ。

確かにそりゃそうだ。今、目の前の仕事が火を吹いている状況で、バルコニーはどこですか? 客観的に世の中を見てみたいんです!と叫んでも誰もバルコニーの登り方は教えてくれないでしょうね。


バルコニーはどこ? 

そのバルコニーが哲学者の思考なのだと先生は言うのです。
なるほど。それ、万有引力の法則を発見したニュートンが「プリンピキア」の冒頭で、自分の発見は過去の偉大な哲学者や科学者の巨人たちの肩に乗ったからこそ見つけることができたって書いてた「巨人の肩に乗る」ってやつだ。


ニュートンのいう巨人の肩に乗るってことは、
先人たちの思考は効率よく使いましょうってことか

そういうことで、この2か月先生リコメンドの哲学書をちょとずつめくってみたりしているのですが、巨人の肩はなかなか見えてきませーん(涙)。



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