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アート市場のニュースを鵜呑みにしないー批判的な見方へのヒント。

高価格帯アート市場は外に出ない情報が多いため全貌があまりはっきりせず、オークションハウスからのニュースが一方的に流れる傾向にあります。クリスティーズがアンディ・ウォーホルの作品を5月に競売にかける以下の記事も、予想落札価格2億ドル(約247億円)を達成するためのオークションハウス側の広報戦略にFTがつきあった感があります。

圧倒的多くの人にとっては直接的には関係のない話であるため、その記事の趣旨を批判的にみる必要がないと思っている節があります。しかしながら、アートが世界の文化ビジネス動向を見る際の参考分野になっているのは確かです。だから、もう少し情報を批判的にみるのが良いのではないかと常々思います。

最近、服飾史研究家の中野香織さんと共著で出した『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』で触れたアート市場について、その内容をここで紹介しておきましょう。どのように動向をみると妥当なのか?です。

高額アート市場は極めて限定された世界である。

高額アート市場を語ることが、アート市場全般を語ることになるのか?ですが、まずアート市場がどのくらいの規模なのかを確認しましょう。

毎年、スイスのバーゼルで開催するアートフェア、アートバーゼルとその公式スポンサー、スイスの銀行UBSの発行している2021年版アート市場レポートによれば、2020年のアート市場はおよそ5兆5千億円(110円/ドル)でした。

パンデミック前の2019年は7兆円を超えていましたが、この10年、それ以前の10年の伸びと比べると比較的横ばいです。つまり全体として「活性化している」と形容するには勢いが不足しています。FT記事タイトルの「順風満帆」は適切でしょうか?

2020年の取引金額ベースで3分の2以上がオークションによるものと推定されています。残りがディーラーやオンラインでの売買になります。オークションとはセカンダリー市場であり、一度市場に出た作品の再販です。アーティストと直接最初の取引をするギャラリーがつくるプライマリー市場と違い、セカンダリーは投資の色彩が濃いものになっています。これが3分の2以上というわけです。

他方、プライマリーを扱うギャラリーをみると、35%は若手アーティストの作品、40%は中堅アーティストの作品、25%は高い評価が定まったアーティストの作品を扱っています。

即ち、定評ある作品を扱う(金額と信用の両面から「扱える」と表現すべきでしょう)のはトップギャラリーで、若手や中堅のアーティストの作品は中小ギャラリーの範疇となっています。その割合は次のような数字になります。

2019年時点で生存している作家に限ると、1千万ドル以上の作品の取引件数はわずか0.03%ながら、金額では全体の18%にも及びます。一方、1千ドル以下の作品の取引件数は全体の40%ですが金額では0.4%です。

要するに、金額ベースになればオークションやトップギャラリーが市場の大きな傾向を示すことになりますが、売買件数でいくと中小ギャラリーの扱う若手の作品が目立ちます。この数字のアンバランスのうえにアート市場は成り立っているのです。

コンテンポラリーアートが話題になる理由は?

オークションハウスのニュースに印象派以前の作品の名前も出てきますが、多くの話題はコンテンポラリーアートに集中していると言ってよいでしょう。

この20年間で市場で売買される作品のジャンルががらりと変化しています。戦後アートとコンテンポラリーアート(1910年以降の生まれで2019年時点に生存しているアーティストの作品)が2000年には全体の17%だったのが2020年には55%に伸びています。

モダンアート(1875-1910年生まれ)は31%から26%、それ以外(1874年以前生まれの印象派やオールドマスター)が52%から19%に激減しています。コンテンポラリーアート隆盛がこのような数字でもはっきりと出ています。

アーティスト、ギャラリスト、投資家、批評家、美術館、オークションハウス、コレクターなど、それぞれのプレイヤーがどのようにアートに関与しているかをリアルに描いた『巨大化する現代アートビジネス』(仏語2010年、邦訳2015年)の著者のカトリーヌ・ラムールさんは、今年はじめ、次のようにぼくに語ってくれました。

近代以前の作品はコレクターや美術館などおさまるところにおさまり、新しい動きに乏しいですね。コンテンポラリーアートは伸びていますが、取引額ベースでここからさらに大幅に伸びるほどの勢いはないです。アートに流れ込む投資額が天井を打っているのでしょう

今世紀に入りコンテンポラリーアートの作品を扱うしかないわけです。また、アートを語る人が変わりました。1990年代後半からアート、特にコンテンポラリーアートが美術史領域からビジネスの領域に足を踏み入れました。学芸員が語るアートシーンよりも、投資家や億万長者のコレクターが語るアートシーンが公に目立つようになったのです。

米国で活躍したフランス人、マルセル・デュシャン(1887-1968)が1917年、男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」と署名した『噴水』を発表し、アートのテーマは美から意味に変わる分岐点をつくったと言われます。

特に20世紀後半以降、アーティストたちの関心が同時代の社会に向いたことで、ビジネスパーソンと共通した風景をみはじめたことになります。しかも古典絵画ほどには美術史やその他の素養が鑑賞に求められません。ビジネスパーソンがアートについて語ろうとする一因にもなります。

グローバルのアートシーンをどう見るか?

印象派の影響が強かったことから、アートといえばフランスやフランス人が主役だろうと思い込みがちです。ルーブルをはじめとする美術館の人気と入場者数(パンデミック以前の2018年のルーブルは1千万人を超し、かつ4分の3は外国からの訪問者)からもそう想像します。しかし、実際のアート市場を金額でみると、中国と米国が1-2位を争い、その後に英国がつき、フランスはそのあとです。

上述の『巨大化する現代アートビジネス』によれば、フランスの国家文化予算が必ずしも戦略的に特定の部分に集中して投資されていない、アーティストを公的資金で保護し過ぎているので国外市場でのフランス人アーティストの存在感が薄い、ギャラリーも米英や中国のそれらに比較して活躍が目立たない等の指摘がされているのです。

著者のカトリーヌ・ラムールは、現在のフランスについて次のように語ります。

「アート市場の国際化はますます進み、フランス政府はパリをアートの中心とすべく巻き返しに力を入れてきました。公的美術館のリノベーション、私的美術館開設の促進などです。そのおかげでパリは復活の道を歩みつつあります。またアートバーゼルをバーゼル、マイアミ、香港に加え、2022年からパリでも開催することが決まりました。従来のパリのアートフェアを置き換えるものです。このようにパリがアートの街として返り咲くのは確かです」

このようにラムールさんはコメントしながら、これらがフランスの中小のギャラリーやアーティストの国際舞台での活躍を保証するわけではない、と注釈します。

すなわち、フランス人のアーティストはローカルのアーティストとしてローカルの中小ギャラリーとつきあい、例えば公的美術館に作品を買い上げてもらうなど、公的援助によって評価され続ける事態には変わりがないというわけです。逆にいえば、グローバルとローカルの境界がよりはっきりしてきたと言えます。グローバル一辺倒からローカルに価値の重心が移ってきた今、これ自体、肯定的にみるべきかもしれません。

今後、アートコレクションをどう見るか?

グローバルの高額アート市場を今後、どうみていけばよいのでしょうか。限界に達しているのは、ラムールさんの意見にもうかがえます。ミラノ・ビコッカ大学の准教授、フェデリカ・コディニョーラさんにインタビューしました。

彼女はアート市場をマーケティングの観点から研究しています。ファッションのコングロマリット、そしてクリスティーズも傘下におさめているケリングのトップの地位にあるコレクター、フランソワ・ピノーのコレクション分析も論文にしています。

彼女は、社会に多大な影響を与えるトップコレクションは、社会にある主流を壊し、新たな道を示すところにも意味があると示唆しています。そして、ぼくの問いーこれからアートコレクションをどう見ていくと良いと思うか?ーに対し、コディニョーラさんは次の答えをくれました。

作品所有を第一とするコレクショニズム自体が問われています。コモンズ(社会的共有財産)としてのアートコレクションの道を探るべき時期にきています

コレクション自体のイノベーションが必要だと議論されているのです。とするならば、オークションハウスの打ち上げ花火的な情報を慎重に見極めるのがますます大切ではないかと考えられます。

写真©Ken Anzai




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