「わたし、ポリアモリーなんです」と言った後の流れについて説明します。
ポリアモリーという言葉をご存知だろうか。
1対1の恋人関係に縛られず、合意の上で複数と恋愛関係を持つライフスタイルのことで、僕はこのポリアモリーを実践している。
近年は日本のメディアでも紹介されはじめたが、一般的な認知率はまだ5%程度。「知らなくて当たり前」なのが、ポリアモリーだ。
そのため「わたし、ポリアモリーなんですよね」と伝えた際は、毎度同じ説明をすることになる。
そして毎度、同じ質問を受ける。
そのやりとりが、もはやフォーマットになってきたので、今日は一連の流れを紹介しようと思う。
■で、何人いるんですか?
ポリアモリーであることを告げ、ポリアモリーの説明を終える。
訝しげな表情をしつつ、なんとか概念を飲み込んだ知人や友人は、共通の質問をする。
この質問を皮切りに、恒例のフォーマットがはじまる。
「ここから面倒くさい時間はじめますね。でもこれ、ポリアモリーの理解に大事なんことなんで」
と前置きをした上で、僕は質問に質問で返す。
きょとん、とされる。
すると質問は言い換えられる。
「え、だって複数と付き合ってるんですよね?だから今、何人と付き合ってるんですか?」
僕はまた質問で返す。
「付き合ってる、の定義から確認してもいいですか?」
一旦、ここで相手は詰まる。
僕は続ける。
「だって『恋人はひとりだけ』って概念がもう崩れているので、恋人の定義からやり直さないと。実際、ポリアモリーの人たちって、こういう擦り合わせを大事にしているんですよ」
「つまり、○○さんは何を聞きたいんですか?概念ではなくて、事実ベースで聞いてください。」
と、こんなやりとりをすると
・「定期的に1対1で会う人」が何人いるか?
・「定期的にセックスをする人」が何人いるか?
のどちらかに分かれ、その2つの条件が or でいいのか and かを確認するとandであることが多い。
案の定、僕はさらに重ねる。
徐々に空気が重くなる。
舌打ちが聞こえてくる。
「2週間じゃない?」
「3ヶ月とか?」
「いや、私は1ヶ月でいいと思う」
などその場で議論が起こり、仮に「1ヶ月に1回以上」などと、結論が出たら最終確認だ。
「じゃあ○○さんの『付き合っている』の定義は、『1ヶ月に1回以上、1対1で会って、セックスをする人』でいいですか?」
と、投げかける。
質問をしはじめた○○さんは、なんだかバツの悪そうな顔になるが、さらに畳み掛ける。
「つまりさっきの質問は、僕がこの1ヶ月で何人と1対1で会って、セックスしたかを聞かれたってことですか?」
大抵、この辺りで「もういいです」となるパターンが多いが、それでも聞きたがる人には、きちんと回答する。
ただ1つだけ、条件をつけて。
それは相手も同じ質問に答えてもらうこと。
この条件が通ることは、滅多にない。
■恋愛における無意識の思い込み
以前、このやりとりを経て最後の条件を突きつけた瞬間、憤慨されたことがあった。
質問者の女性はこう言った。
「小島さんは男性だし、ポリアモリーとか言うから聞いたんじゃないですか!なんで私が答えないといけないんですか!」
この発言からは、恋愛における固定観念が読み取れる。
まず、性体験を聞くのが失礼だとしたら「男性だから失礼じゃない」ということはないし「ポリアモリーだから失礼じゃない」ということもない。
ポリアモリーは「1対1の恋人関係に縛られない」という思考なだけで、それと「セックス経験を聞いてもいい」は、順接(だから〜の関係)ではない。
これらがイコールになるとしたら、その背景には
「ポリアモリーなんて、どうせ男が多数の女とセックスするための言い訳でしょ」
という疑いがあり、そこには
・恋愛=セックスありき
・セックス=男性本位
というその人の価値観が表れている。
どうだろうか。
ポリアモリーという議題には、こうした自らの恋愛における「無意識の思い込み(アンコンシャスバイアス)」を抽出し、世間やパートナーとのズレを認識させる力があると考えている。僕の多少乱暴で、意地悪な質問返しはその過程でもあった。
・世間一般の当たり前
・自分の当たり前
・パートナーの当たり前
本来、そのズレをすり合わせるのは、ポリアモリーに限らず、あらゆる恋愛関係で必要だ。
・恋愛はセックスありきか
・1ヶ月に1度会うのが当たり前か
そのすり合わせの過程で「恋人はひとり、じゃなくてもいい」というポリアモリーの価値観はどの位置にあるだろうか。
パートナーとの議題の1つにしてみたら、明日からの関係性が前向きに進むかもしれない。