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自分の直感を信じた仕事選び。

大学の時、初めての就職活動をした。しかし、何かしっくりこない感覚があって就職はせずに大学院に行った。恐らくは、社会に出て何をやりたいかが分からなかったのと、大学4年間で全く手を付けなかった研究に興味を持っていたからだと思う。その後、「目指すは世界」が口癖の教授からの誘いにのって、軽い気持ちで博士課程まで行くことになるのだが、20代の後半入るまで就職とは縁遠い生活をしていた。

一番最初の仕事は、博士課程の学生をやりながら、学生の授業を受け持つ大学の助手だった。26歳の時だ。博士課程への進学は、両親に経済的な負担を強いていたので、助手という制度があることにとても感謝したのを覚えている。とはいえ、一般社会の仕事とは明らかに異なり、研究活動が中心で奨学金をもらっていたような感覚だった。頂いた給料に見合う教育活動などまったく出来ていなかったように思う。その後、助手をやりながら無事に博士号を取得することが出来たが、取得後もしばらく助手を続けていた。

ただ、この頃から再び違和感が自分の中に生まれていた。納得のいく教育活動ができているわけでもなく、どうしても完遂したい研究があったわけでもなかったのだ。悶々とした時間が数ヶ月間、流れていたと思う。そんな時、新たな出会いがあった。外資系の経営コンサルタントが集まる飲み会に参加する機会に遭遇したのだ。飲み会の数時間、とにかく圧倒され続けた。口をはさむ勇気も無かったが、それ以上に会話の内容に、話す人の魅力に、引き込まれていった。各種学会においても、大学時代のサークルに遡っても、全く触れたことのない刺激に包まれた数時間だった。

そこからの意思決定は早かった。経営コンサルタントという職業について改めて調べて、就職のチャンスが現れるのを待っていた。偶然なのか運がいいのか分からないが、日経新聞に求人の広告が出ていたのを見つけて、すぐさま採用試験に出向いた。ここで、またもや運に恵まれる。面接を担当していたのは当時の社長だったのが、履歴書を見るなり、一緒に働こうと言われた。博士号を持っていたということもあったかもしれないが、決め手は早稲田大学高等学院出身だったことだと思う。なんと社長は大先輩だったのだ。その場で来月からお世話になりますと告げて、面接会場を後にした。

晴れてコンサルタントになった後は、様々な業界で様々なポジションの人に会うという別世界が待っていた。激務というおまけもついたが、立場や常識の異なる人々をつなぐことの難しさを学んだ。失敗も沢山あったと思う。ただ、そうした全ての人々にとって唯一普遍なのは、「人として社会として本質的に大事にしたいもの」だと気づいたのもこの頃だった。本質を捉えて、それを軸に組織や仕組みを組み立てる経験を積ませて貰えたのだ。お客様には本当に感謝している。

コンサルタントになって18年、今度はその会社を経営するという立場になった。俯瞰して物事を見れたのか、自分の積み重ねてきたものとは別のコンサルティングのこだわりがあること、それらの良さにも初めて気づけたのはこの頃だった。コンサルティング会社はよく属人的だと言われるが、まさにそれを身を持って意識するようになったと思う。そして、自分の会社が本質的に大事にしたいことを考え抜いた末、創造生産性というキーワードを生み出した。創造生産性に、すべての属人的な活動を紐づけて、ひとつの強みを生み出すべく尽力したのを覚えている。

最も大事にしたのは、どの属人的な活動も活用するということだ。さらに、足りないピースを外との連携で獲得していった。次第に、業界も常識も異なる人と交わることで、大きな刺激となり、新たなアイディアが生まれていくことが分かってきた。同時に、組織もみるみるうちに活性化していった。お客様への提案の魅力度も大きく向上したと思う。当時少しずつ話題になっていた「オープンイノベーション」、これが上手いコンサルティング会社という評価も頂くことができた。その結果、単価を上げていったにも関わらず、コンサルタントの稼働率も上げることができ、大きな収益向上を果たした。さらには、全従業員の給料を大幅に上げるという自分の中のサブミッションも実現できた。

その後、日本での成功を持ち込めと、グローバル組織全体を経営する立場になった。欧州人、米人、アジア人など世界各国のコンサルタントとの対話の機会も広がった。正直ここでも圧倒された。国や育った環境において、こんなにも考え方が異なるのだということを思い知った。ただ、すごく勉強になったという反面で、またもや違和感が生まれてきた。それまでの20数年がなんと恵まれていたのだろうと改めて気づいたのだ。何かを成し遂げたいという人々に囲まれ、そうした人との仕事はなんと幸せなものだろうかと心から感じた。

そこからは迷いはなかった。グローバルの経営陣としての役割は、任期を全うした後、終わりにしよう。再び新たな価値を紡ぐ仲間の下に戻ろうと心に決めた。日本が好きだったということもある。任期満了の半年後、非常勤に切り替えて、小さなベンチャー企業を立ち上げた。コンサルティングの枠を超えて、新たな価値と賑わいを量産するという無謀な目標を立てての独立だった。ただ、出会いというのは凄いもので、日本法人の社長の頃にであった国土計画家・コンセプターの方を始め、様々な方々とタッグを組んで、いまは日本文化を梃子にした賑わいの量産に挑戦できているのだ。これまで全く立ち入ったことの無かった文化やアーツの世界でも、人と社会にとって本質的なことを大事に進んでいけば、いくらでも価値を生むことができるという感覚も湧いてきた。

こうして振り返ってみると、その時々の直感を信じて、自分の生き方を選んできたように思う。決めた以上は精一杯という心持ちで進んだ結果、簡単な道のりでは無かったものの、納得のいく価値が生めてきたのではないかとも思う。なにより嬉しいのは、一緒に物事に当たってくれる仲間が沢山できたことだ。色々な価値観に寛容となり、多様性を自分の中に持つ、その上で人と社会にとって本質的と思えることを目指して一直線に進む。これからもさらに仲間を増やすべく、さらに社会全体を仲間にすべく挑戦を続けたいと思う。

転職活動。これは自分の中に多様性を育む旅だと思う。もちろん転職をしなくても、副業でも、場合によっては社内でも多様性は育める。幸いにも、多くの企業もこれに気づいて、異質と交わる仕組みを整える動きもある。構想に向けて多様な人材を集めている例もある。失われた30年には全く無かった動きだ。これからの日本は新たな価値を生むべく、多様な能力・人材を組み合わせる、そんな動きが活発になると信じている。その先には日本をお手本にする世界があればいいと思う。いやそういう世界を生み出していきたい。


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