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「リーダー」と「マネージャー」を混同してはならない

マネージャーとリーダーは別物

外資系の航空会社に勤めていたとき、営業・マーケ系の日本人管理職が3人選ばれて、「リーダーシップ・トレーニング」なるものを受けることになりました。本社が選んだ研修会社から講師が日本にやってきて、そこから何日間か、我々は日比谷の帝国ホテルの会議室に文字通り缶詰になります。

講師はオーストラリア出身の女性で、「結局のところ(At the end of the day)」というのが口癖でした。名前は忘れてしまったので仮に「ジエンド先生」としましょう。ジエンド先生は、はじめの自己紹介パートまでは上機嫌でしたが、その後研修が進むにつれだんだん怪訝な顔つきになってきます。様々な質問に対する我々の答えが、どうもどれも腑に落ちないようです。

1時間ほど研修が進んだところで、ジエンド先生は遂に何かに気づいたようです。ユリイカ(発見)! と叫ぶアルキメデスよろしく、目を見開いて手をたたき、こう言いました。「わかったわ。あなた達はずっとマネージャーの話をしている。私はずっとリーダーの話をしている。だから話が噛み合わないのね」。

このとき始めて、私はこの日本における管理職教育上の大問題を自覚しました。そうなのです。マネージャーとリーダーは本来別物なのです。それなのに、それらを混同して一人の管理職に全て押し付けてしまうので、よほどの逸材でもないかぎり、結局両方とも上手くこなせずに疲弊してしまいます。そんな管理職を見る部下たちは、これは自分にはとても無理だ、と管理職意向を失っていきます。悪循環です。

マネージャーは「管理者」、リーダーは「指導者」

まず、リーダーという言葉ですが、英語でリーダーというと、大体会社のトップを意味します。要は社長です。社長が率いる経営陣は「リーダーシップチーム」です。つまり、リーダーとは、大きなビジョンを指し示し、そこにみんなを引っ張っていく人、文字通りフォロワーを先導(リード)する人なのです。日本語に訳すなら「指導者」ということになります。国のリーダーのことを「指導者」と言いますよね。あの指導者です。

それに対してマネージャーは、会社組織でいうと係長や課長、部長などといった中間管理職です。数人からなる小グループの長が「リーダー」と呼ばれることは、英語圏のビジネスシーンでは基本ありません。マネージャーはリーダーが示したビジョンを実現すべく、会社から与えられたチームのアウトプットを最大化する役割を担う「管理者」なのです。

会社の経営陣は「マネージメント」と呼ばれることもありますが、この場合は株主に対しての責任に焦点があります。私たち株主はお金をだして会社を設立しますよ、あなたたち経営陣はそれをしっかり「管理」してくださいよ、というわけです。株主にも従業員にも向き合う会社の経営者ともなれば、リーダーとマネージャーの顔を両方備えている必要がある、ということになります。

もっとも、管理業務の方は役員やら部長やらにある程度委任できますので、経営者が求められる期待の比重としては、やはりリーダーシップの方が圧倒的に大きいでしょう。リーダーが9でマネージャーが1といったところでしょうか。一方で中間管理職にも全くリーダーシップがいらないかというとそうでもなく、課長が9対1でマネージャー寄りなら、部長、本部長と上にいくに従ってリーダーの比重は徐々に高まっていきます。

マネージャーの仕事は「技能」で何とかなる

この2つを混同することの問題は、最もマネージャー寄りの課長レベルでは、リーダーシップの重圧に押しつぶされてしまうことと、マネージャーとしての技能が育たないこととして顕在化します。まず前者ですが、「チームを引っ張らなくてはならない」と気負い、それが上手くできずに、自分は向いていないと絶望してしまう人が一定数でてくるのです。

「人を引っ張る」というのは、訓練と経験を詰んで覚悟を固めたトップだからこそできる、いやそれでも難しい一大事です。それをこの前まで一メンバーだった、新任の課長や係長にいきなり求めるのはかなり無理がある、と言わざるをえません。そこは技術や知識だけで何とかなるものではなく、どうしても「資質」が問われますし、加えて修羅場経験を詰み人間性を磨いたり、自分なりの哲学や美学を養う必要もあるでしょう。

そこだけを見て「技術や知識でどうにかなるものではない」と開き直ってしまうと、十分に技術や知識が活きる「管理者」の仕事も根性論に近いもので何とかさせようとする風潮が生まれてしまいます。しかし、目標設定、委任(デリゲーション)、関係づくり(リレート)、ティーチング・コーチングなど、管理者が拠り所にできる知識や技術はかなり確立されており、それらを身につけることでマネージャーの仕事は飛躍的に効率化します。

ものすごく単純な例をあげると、マネージャーの仕事は、例えば「アルバイト3人を使ってなるべく沢山のハンバーガーを作る」ことです。1日1,000個作れるマネージャーは、100個しか作れないマネージャーより優れています。その差は、例えばどう作業を分担するか、どう監視するか、どうコミュニケーションをしてどう教えるか、などの技術の違いから生まれます。よく言われる「部下との関係性」も、割り切ってしまえば生産性を上げるための一つの手段=レバーです。そのレバーをどう操作するか? は技術の問題なのです。

尖った人材が腐り、有能な管理者が無能化する

一番リーダー寄りの経営者のレベルで起こる問題は、マネージャーとして結果を出し評価をされてきた人材が、トップになった途端にリーダーシップで評価されるようになり、急に無能化してしまうことです。リーダーとしての心得や覚悟が養われない状態で、いきなりビジョンを描き人を引っ張れ、と言われても困ってしまうのは当然です。そもそも資質がない場合は、さらに厳しいことになるでしょう。

また、逆にリーダーの資質がある人は、少なからぬケースでとても尖っていたり、対人関係の作り方に問題を抱えていたりします。そういう人は管理されるのも、またするのも苦手だったりするので、係長とか課長のレベルでは活躍できない可能性も往々にしてあります。イーロン・マスク氏が大企業の課長をやっているところを想像してみてください。そこで嫌気が差して組織を飛び出し、起業でもして大成すればいいのですが、変に根気強く組織に残っていたりすると、評価されないで終わるか、せっかくのリーダーシップの源泉に蓋をされてしまうようなことにもなりかねません。

こういう事態を防ぐには、やはりマネージャーとリーダーを分けて考え、それぞれの適性を踏まえて人材を育成していくことが重要なのではないでしょうか。もちろん、両方の資質がある人を相手に、両方を育めればそれがベストです。ただ、マネージャーの適性だけがとても高い人もいれば、逆に適性がリーダー方面にいい意味で歪んでいる人もいます。前者には管理のプロの道を示し、後者には最低限のマネージメント教育と良き協力者をあてがってリーダー教育を施すことで、両者の無駄な挫折を避けて通ることができます。

自分自身のキャリアを考える場合は、まず何より自分の適性を把握することが大事でしょう。管理職に向いてない、と考える人は、実際は「マネージャー」と「リーダー」のどちらに向いていないのでしょうか? リーダーに向いてないのであれば、そこは無理に目指さず、マネージャーの技能を身につけることがきっと救いになります。LinkedIn Learningなどは有料ですがコスパがよくおすすめの教材です。

マネージャーには向いていないけどリーダーは向いている、と考えるなら、協力者を見つけて管理と指導・先導を分担してみるのも一つの手です。ここは会社の理解がないとなかなか難しいかもしれませんが、それなら独立してみる、という選択肢もあるかもしれません。ただ、向いてないからといって全てを放り出してしまうのは極端ですし、本当の適性を自分で判断するのは難しいということもあります。本当に向いていない、ということをはっきりさせる意味でも、会社勤務であれば、まずは今の職場で管理職を目指して・続けてみることもぜひ検討してみてください。

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マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動

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<理解を深めるために読みたい記事>
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC27AZO0X20C23A9000000/



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