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「地球の気温」vs.「目先の生活」~誰のための脱炭素か~

一時的ではないかもしれないインフレ高進
ここにきて世界経済のリスクは新型コロナウイルス感染拡大が脇に置かれ、供給制約を背景とするインフレ高進、具体的にはスタグフレーションではないかとの声が高まっています。経済報道でもそのフレーズを目にするようになってきました:

現状、FRBやECBなど海外の中央銀行はこれを一時的なものと評価していますが、市場参加者としては、徐々にこうした情報発信を真に受けるべきかどうか逡巡すべきステージに入っているように思えます。

例えば、その供給不足が様々な財の生産不足に繋がっていると言われるものに半導体があります。半導体不足に関しては春先の時点で「夏には解消」という声がありましたし、その後は「年内には解消」という声もありました。しかし、今や「2022年上半期までは厳しい状況が続く」という評価も出ていいます。今後に関し確たることは言えないでしょう。国内企業の業績を見ても、半導体不足を業績下振れ要因として挙げるのが日常の光景になってきているように感じます:


各国中銀はインフレ高進を一時的と整理していますが、そもそも「一時的ではなく恒常的」と中銀の口から言えるはずもないわけです。物価は景気の遅行系列であり、自律的な上昇局面に入れば引き締めでは制御できなくなっている可能性が高いでしょう。金融政策の効果はラグを伴って発現するわけですから、インフレ懸念を軽々に認めるわけにはいきません。市場参加者は中銀に対し「もはや一時的とは考えていないかもしれない」という目線を持ち、「次の一手」を予想しなければならないと思います。

「エネルギーだから一過性」とも割り切れず
思えば、リーマンショック後の世界ではインフレ率の低迷が常態であり、上昇する際は大体が「エネルギー価格上昇による一過性の現象」と整理できました。今回もインフレ高進の主因はエネルギー価格であり、実際に欧米圏で起きていることの半分程度はそれで説明可能です。しかし、「だからインフレ高進は一過性なのだ」と言い切れない難しさがあります。

言及すべき論点が複雑に絡み合っているため丁寧に議論する必要があります。まず、需要と供給の観点に切り分けて理解するのが基本でしょう。需要面で言えば、世界経済の急回復に伴う需要拡大にエネルギー供給が追い付いていないという本質的な論点は確かにあります。昨春、世界経済が同時に「谷」へ落ちた際、原油先物価格がマイナスを記録しました。反対に、世界経済が同時に「山」へ駆け上がればやはり類似の異様な動きが出てくるのは頷けます。欧米を中心とするコロナ禍からの立ち上がりが、需要超過の状況を作り出し、インフレのドライバーになっている側面はありそうです。

しかし、そうした需要動向を前提に供給動向を考察することがより重要です。ここにきて、エネルギーを供給する側の能力問題を指摘する声も多く見られます。ここでも論点は多岐に亘りますが、整理すると①クリーンエネルギーの脆弱性や②生産国による意図的な供給制約という問題に直面します。①が長期的な話、②が短期的な話となります。

先に②を触れておくと、OPECプラスによる増産見送りが原油価格の上昇を招いたことは既報の通りとして、ロシアの動向も天然ガス価格動向に大きな影響を与えているとされます:

天然ガスは指標価格である「オランダTTF(11月限)」が年初から約6倍まで上昇するという異様な事態に陥っており、価格支配力を持つロシアによる意図的な操作ではないかとの疑惑も持ち上がっています:

もちろん、プーチン大統領はあくまで需要拡大に要因を求め疑惑を否定していますが、10月6日、9月に完工した天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」の早期稼働と欧州への供給増加にプーチン大統領が言及したことで天然ガス価格は急落しています。ロシアが陰に陽に天然ガス価格を支配している事実は否めません:

EU内ではノルドストリーム2への依存が安全保障上の危機に繋がるとして慎重な向きもありましたが、脱炭素を進める上で、望む望まないにかかわらず天然ガスは必要であり、生殺与奪を握られてしまっている現実が見受けられます。正直、ロシアの脅威を受け入れてまで脱炭素を進めるというのは政治家の価値判断として正常と言えるのか、筆者には良く分かりません

もちろん、米国の液化天然ガス(LNG)なども代替的な選択肢として検討され得るものですが、やはり隣国ロシアから陸送される天然ガスの方が安価であり、切っても切れない現実があります。周囲の反対に遭い、犬猿の仲であるプーチン大統領の存在を脇に置いたとしても、メルケル首相がノルドストリーム2計画の完遂に拘ったのはほかに有力な代替案がないことが分かっていたのでしょう。

始まる対立構造、「目先の生活」vs.「地球の気温」
その上で大きな話として①を考える必要があります。周知の通り、世界全体が脱炭素に向けて舵を切り始めており、再生可能(クリーン)エネルギーへの切り替えが各分野で模索されています(ロシア産天然ガスは安価の上にクリーンなので魅力があるというわけです)。その意味で今はエネルギー革命の最中、言い換えれば「古い時代」と「新しい時代」の狭間であり、狭間であるがゆえに、供給能力が万全ではないという実情があります。クリーンエネルギーの貯蔵は難しく、脱炭素のペースが早過ぎれば当然エネルギー価格の需給均衡を崩すことになります。

筆者はエネルギーの専門家ではないので詳述は控えますが、「最適な脱炭素のペース」と「クリーンエネルギー生産のペース」が合致するまでこうした不安定は断続的に発生するのではないでしょうか。場合によっては、前者を調整するために「化石燃料への依存はある程度必要」という政治決断も必要になる可能性があります。どれほどの混乱が起きればそういった話に至るのか・・・と最近はふと考えてしまいます。この意味で10月末のCOP26は世界経済の近況と脱炭素機運に関して、何らかの政治的な情報発信はないのか気にしたいところです。

批判を恐れずに、極めてラフな言い方をすれば、今の世界経済が直面する混乱は「それでも地球の気温が下がるために仕方ない」と割り切れるかどうかが問われているようにも思います。「目先の生活」と「地球の気温」を天秤にかけて、今後、どういった政治判断が下されるのでしょうか

ミクロな話をすれば、例えば、全てが電気自動車に切り替わる途上で「貴方の雇用は明日からなくなりますが、空気は綺麗になりました」と言われて受け入れられる人は多くないでしょう。もしくは公的年金がESG投資に傾斜した結果、「貴方の年金資産が半分になりました。しかし地球の気温は下がりました」と言われて納得できる人も多くないはずです。政治として「長期の時間軸で実現したいこと」に対して、「短期の時間軸で犠牲にするもの」が無視できなくなってくる可能性が今後は否めません。こうした現実問題を直視せずに「温暖化防止は人類の使命」のように語るのは私は単なる自己陶酔だと思います。

ESG活動の一環としての脱炭素機運は現状のところ不可逆的な潮流と見受けられます。しかし、足許のインフレ高進騒動は人類にその本気度を改めて問いかけ始めているように思えます。世の大勢はまず、「目先の生活」の安定を実現して欲しいと希望するでしょうから、インフレ高進は放置できない問題として何らかの措置が検討されてくるはずです。これまでESGや脱炭素は社会への実害の部分があまりクローズアップされてきませんでした。だからこれだけ急速に標語のように拡がったというのもあります。最初はそれでもいいと思います。しかし、「言うは易く行うは難し」の側面も今後は相当に注目されてくることは覚悟しなければならないように思います。社会が痛みを被っても尚、途切れなければそれは本物の機運と言えるでしょう

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