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キャリア自律は大事だけど、他律はゼロにしなくてもいい

「配属ガチャ」は、3〜5年の短いスパンで見れば確かに「ガチャ」

この時期、新入社員研修を終えて配属が決まり、連休明けからいよいよ社会人として本格始動、という方も多いのではないでしょうか。配属は希望通りだったでしょうか? 企画職を希望していたのに営業職の配属だったり、本社でのデスクワークを希望していたのに地方の工場に配属されたり。どんな会社でも全員の希望を叶えることは現実的に不可能なので、不本意な配属に打ちひしがれる新入社員というのは、毎年連休を挟んだこの時期の気の毒な風物詩とも言えます。

希望とは違う配属がときに「ガチャ」と揶揄されるようになったのは、「キャリアは会社が(一生)面倒を見てくれる」という前提が崩れたことが大きな理由ではないでしょうか。定年までの数十年の差し引きを考えれば、新卒1年目の配属の不公平はいつか帳消しになります。1回目のサイコロで明暗が分かれた同期も、その後繰り返しサイコロが回されるなかで、それぞれが当たり目やハズレ目を引く確率は同じ程度に収斂されていくからです。

そうなると、最終的にどこまでキャリアアップできるかは、運より才覚や努力で大勢が決まる、ということになります。しかし、新卒からの3〜5年という断面でのみ見たときは、一回目のサイコロで出た目が全てです。そして実際、そこで積んだ経験によって、その後の選択肢の広さは一時的に大きく変わってきます。社外に持ち出せるポータブルなスキル、かつ需要の高い経験を積むことができた人は、転職でキャリアアップを測るチャンスが広がります。そうでない人は転職の可能性が狭まるほか、転職市場での価値を武器にした社内のキャリア交渉力も弱い状態を受け入れざるをえません。

知りもしないことを「やりたい」と思える可能性はゼロ

そう考えると、「配属ガチャ」は事実ある程度「ガチャ」なのです。昔は誰もそんな不平不満を言わなかった、というのは、終身雇用とキャリアの他律(会社がキャリアの面倒を見てくれること)の賜物です。みんながサイコロの当たりハズレを引く確率が、最終的には一定の範囲に収斂していたからに過ぎないということです。そうお断りをしたうえで、私は実は、会社が会社の判断で新卒社員の配属先を決めることに賛成の立場です。理由は3つあります。

  1. 自分が本当にやりたいことは、現時点の自分には解らない事も多い

  2. 本当にやりたいことが見つかっても、それが求められることであるとは限らない

  3. 本当にやりたいこと、求められることは、自分自身や環境、時代が変わると変化することもある

まず1つ目のポイントですが、「やりたいこと」というのは、それまでの人生で見聞きしたことに規定されてしまいます。例えば「不動産鑑定士」という仕事を知っているでしょうか。知人によると、自宅のスペースを使って自分のペースで仕事ができ、フィールドワークがてら全国を旅行する機会も多い、「スナフキンのように自由な仕事」と言います。弁護士、会計士とならぶ3大国家資格なので難易度も高いですが、その分収入も高い水準で保証されます。

不動産鑑定士の存在すら知らなかった人が、この文章を読む前に、そんな仕事をやりたいと思う可能性はゼロでしょう。本当にやりたいことを見つけるには、自分の内面に深く潜り込むと同時に、色々なことを経験し見聞きして、キャリアの視界を広げる必要があるのです。そうして視界を広げる機会は、学生や若い人が自力で用意するには限界があります。一方、会社はすでに広大な、少なくとも自分自身よりも遥かに広いフィールドを持っています。そこで視野を広げる経験は、個人では得難いものと言えます。

100%やりたいことで0%人から求められること vs 90%やりたいことで100%人から求められること

そして、よしんば「自分が本当にやりたいこと」が若くして見つかったとしても、それが同時に人から求められることである保証はありません。もちろん、人から求められようがそうでなかろうが、好きなことをとことん追求するのは幸せな人生の一つのあり方です。しかし、私個人の話をすれば、人から求められ、その人たちの役に立ち、感謝されてその見返りが得られることに何より幸せを感じます。

上司に無理をいって部内報に漫画を描くことを仕事にしてもらった、かつて漫画家を夢見た営業パーソンがいました。最初は意気揚々と漫画を描いていましたが、そのうち気落ちしてメンタルに不調を来してしまいました。誰もその人が漫画を描いていることに感謝をせず、むしろ「忙しいのに漫画など描いて」と白い目を向けられてしまったのです。そんな状況でも、好きなことが仕事にできて自分は幸せだ、と感じられる人は少ないでしょう。

「本当にやりたいこと」と「人から求められること」は、うまく折り合いをつけることができてはじめて、仕事を通じた幸せをもたらしてくれます。100%やりたいことで0%人から求められることなら、90%やりたいことで100%人から求められることのほうが、より大きな幸せを運んでくれるでしょう。そして、そんな「人から求められること」は、「本当にやりたいこと」以上に自分で見つけるのが困難です。

いずれにせよ、長い目でみればキャリアの帳尻は合う

最後に、そうした「本当にやりたいこと」も「人から求められること」も、自分が変わり、環境がかわり、時代が変わるにつれ常に移ろっていきます。子供を持ったことで子供の未来を創る仕事がしたくなり、おもちゃメーカーに転職した友人がいます。学生から社会人への転身は、出産などと並び、おそらく人生で経験する最も非連続な自身の変化の一つでしょう。そんな時期を前に「やりたいこと」「求められること」を自分で予め定めておくことは、不可能ではないにせよかなり不確実な賭けといえます。

やりたいこと。求められること。そして、その折り合いとダイナミックな変化。これらを新卒の社会人が一人で、徒手空拳で探り当てていくのは至難の業です。だとすれば、過去何人もの人材を見てきた上司や人事が、客観的な視点でしてくれるお膳立ては、キャリアのスタートとしてはとてもありがたいものであるはずなのです。

キャリアの自律は今後間違いなく全ての社会人に求められますが、だからといって新卒1年目がいきなり完全に自律したキャリアを歩み続ける必要はありません。若い人ほどキャリア自律の意識が高いがゆえに、会社が会社の判断で決める配属に疑問を覚えがちです。しかし、同時に若い人ほど、会社の判断に身を委ねることで期待できる視野の広がりや、ひいては成長を経験できる可能性が高いのです。

一回のサイコロで向こう数年の運命が決まってしまう不条理さは確かにネックですが、トータルで考えれば、自分にとってのハズレくじを引いた人でも、それを補って余りあるメリットを享受できる可能性が高い。それが新卒時の会社による配属決定です。そこで「本当にやりたいこと」「求められること」の解像度が上がり、キャリアの方向性を調整することができれば、数年でついた市場価値の差など、後々いくらでも差し引きゼロにすることができます。配属先がブラックだったり、心身のバランスを崩してしまうようなことがなければ、どのような配属先でもそこで頑張ってみるのはいかがでしょうか。

#COMEMO
#NIKKEI

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マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動

<参考資料>
「配属ガチャ」外れたら… 心配する若者、悩む企業



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