なぜ一流選手は個性的なのか オリンピックに見る「型(カタ)」の使い方
コロナ禍の中ということもあり、賛否両論の中で開幕した東京オリンピック2020大会ですが、この日のために長い積み重ねを行ってきたアスリートたちが、全力を尽くしてプレーするのを見ることは、やはり感動を生みますね。
そのような中で、ひと際印象に残ったのは、自転車女子ロードレースでした。激闘を制したのは、スタートから先行して逃げ続けたオーストリアのキーゼンホーファーでした。
この選手は数学の博士号を持つ研究員で、プロ契約もしていない選手でした。多くの選手がプロとして活躍している、競争の激しい競技ですので、アマチュアの選手が優勝した!ということでも注目を集めています。
キーゼンホーファーが優勝した背景には、強豪オランダチームの無線の調子が悪く、逃げに気が付かなかったということもあるようですが、そうだとしても他の選手と逃げ続けた脚力は明らかで、見事な勝利でした。
ところで、これを見ていて私は別のことにも気が付きました。キーゼンホーファーの走りは終盤の疲れもあったかもしれませんが、肩に力が入った力みと感じさせるものでした。
自転車競技では、肩の力を抜いて、骨盤の角度はこれくらいで、上体はブレてはいけない・・・といったフォームについてよく指摘されることがあります。要するに、フォームという「型」を重視した議論をよく聞くことがあります。
しかし、ツールドフランスに出場するような超一流選手たちを見ていると、上体がブレブレで全身を使って走る選手もいたり、肘を外に出す人や絞る人、骨盤を立てる人や寝かす人など、結構人それぞれなのです。
別の分野でも同じようなことがあります。例えばチェロ演奏なんかですと、ヨーヨー・マとミッシャ・マイスキーでは、楽器の構え方から指の使い方まで、結構違います。ゴルフでも、デシャンボーと渋野日向子ではスイングが全然違う。
これはどういうことなのでしょうか。物理的に合理性のあるフォームがあるのであれば、それを全員が突き詰めた方がパフォーマンスが良くなるはずなのに、一流の人は必ずしもそうではない。必ずしも「型」は良いことばかりではないではないか、という疑問が浮かびました。
日本的な「型」とは何か
そもそも「型」とは何でしょうか。Wikipediaで紹介されている定義の一つを参照してみましょう。
武道・伝統芸能・スポーツなどで規範となる方式[1]。名人などによって生み出された技法や表現形式といえる[2]。(Wikipediaより。[1]広辞苑第六版「かた(形・型)」[2]ブリタニカ百科事典「型」)
前半の「規範となる」というのがなかなか意味深ですね。規範というのは「べきである」という価値判断を含んだ表現ですが、「最適であるので従うべきである」とまでは言っていない。
一方、後半の「名人によって」というのはもう一つの重要な要素です。この「型」には先人による実績があるということです。
つまり、「型」とは先人によって実績のある方法であるから、とりあえず従うべきお手本であるということになるでしょう。それと同時に、あなたにとって最適かは分からないということも包含しています。
一方、伝統的な「型」以外ではこのような領域はどのように扱われるのでしょうか。例えばバイオメカニクスという領域では、スポーツにおける体の使い方を物理的に捉えて、最適な体の使い方を探求します。
運動生理学はもう少し目に見えない代謝や体の内部で起こっている筋肉や神経の働きを探求します。
ただ、これらは日本の「型」とは異なり、守るべき「規範」という観点はあまりなく、あくまでも科学的に捉えるという視点になります。規範から離れるということは、絶対的な答えがあるわけではなく、一人一人の骨格や筋量、柔軟性等に応じた解析と最適解の導出も可能になるということを意味しています。
「型」の良し悪し
それでも、「型」というのは便利な時もあります。実績のある先人(それも一流の人々)が行ってきたやり方であれば、自己流で変な癖が付くよりも、美しい型をまず身に付け、それを守った方がずっと効率的で良いようにも思われます。これまで実績があるのであれば、すごく変なモノである可能性は低いわけです。
また、型を身に付けることが当面の目標である場合もあります。研究においても分析や論文の型を学ぶことは重要です。
しかし、長期的には、その型が合わないということはあるかもしれません。スポーツでは骨格や筋肉、あるいは性格などによって、そのフォームが合わないということもあるでしょう。そのような場合に型にこだわると、パフォーマンスが十分に伸びないということもあるかもしれません。
これに関連して、カリスマゴルフコーチの井上透さん(東京大学ゴルフ部監督)は、かつて「癖があるというのは強さでもある」「癖が嫌だと思った瞬間に、変えられないという非常に難しいものになる」とYoutubeで語っていたことがあります(*1)。
「型」は、初心者がそこそこのレベルになるには良いけど、一流になるためには制限要素になる可能性がある、ということではないでしょうか。一流になるためには、自分と向き合い、自分流のスタイルを築いていけるようにならなければならないということでしょう。
最後に、冒頭で紹介したキーゼンホーファーの言葉を紹介します。
若くて何も知らない選手には "これをすれば上手くいく” とコーチや周りの人間に言われる危険がつきまとう。私も一時それを信じ、そして被害者の1人だった。だがいま30歳になり、何かを知っている人なんていないことを学んだ。なぜなら本当に何かを知っている人は「知らない」と言うからだ。
「型」をどう使うかも自分次第かもしれません。一流を目指すなら、型は決して絶対的なものではないということを感じさせてくれるレースでした。
*1 https://www.youtube.com/watch?v=5QREa2PuEfs&t=1426s 参照。
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