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いつも真っ先に犠牲になるのは、素直で誠実で真面目な方から

緊急事態宣言延長が取沙汰される中で痛ましい事件が起きました。

4月30日夜、東京都練馬区のとんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで死亡した。男性は東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれていた。新型コロナウイルスの感染拡大で大会は延期されたうえ、店も営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観するような言葉を周囲に漏らしていた。遺体にはとんかつ油を浴びたような形跡があり、警視庁光が丘署は出火の経緯を慎重に調べている。

亡くなった彼はフェイスブックで投稿をしていました。時系列にそれをご紹介します。

3月末頃「店で今日も明日もお客様を迎えられることに感謝しながら、料理を作り続けたい」

4/13緊急事態宣言を受けて自分の店を休業「働くのが大好きで、定休日も設けず家族旅行に行くのも数年に1度で、30年弱働いてきた。自問自答しているが、感染予防に徹したい」

4/28最後の投稿「必要な消毒液が手に入らない。また振り出しに戻った」「あなたの命を、家族を、大切な人を、社会を守るため、感染拡大を食い止める。その言葉を改めて心に刻みました」

4/29「店をやめたい」と知人に漏らした。

4/30夜自死…。


このとんかつ屋のご主人が一体何をしたというのでしょう?仕事が好きで、料理が好きで、とんかつを作ってお客さんの笑顔を見たかっただけなのに。

投稿から見られるお人柄からは、とても誠実で真面目な方だったんだろうなと思われます。

でもね…どうかお願いです。誰かを守るために生きなくていいんです。自分を犠牲にして誰かを救おうなんてしなくていいんです。そんなことで自分を追い込まないでください。利他なんてクソ喰らえ。ご自分が笑って過ごすこと、毎日働いて生活すること、それが周りの人のためになるのですよ。自分を大切にしてください。

にも関わらず、国は、さらにこうした誠実で真面目な方を追い詰めるべく、罰則付きの休業要請をするなどという暴挙へ出るようです。地獄だ。


もうひとつこんなニュースもありました。

これは、心温まる話であるという前提の上で。

この豆腐屋の店主も、辞めたくないのに辞めざるを得なかったわけです。こういう人達の無念を思えば、本来するべきは廃業後に感謝の言葉を掛けることではない。無念の廃業をしなくてもいいように、今何ができるかということを考えるべき時ら来ていると思います。

「殿、利息でござる」という映画があります。

村のために全財産をなげうって投資し、造り酒屋を廃業せざるを得ない状況に追い込まれた浅野屋という商人がいます(妻夫木聡が演じた)。しかし、それは本人としては「村人を救ったから満足」という納得の廃業ではありましたが、一緒に協力した他の村人も商人もそれではあんまりだと、金を集めて再起を促しますが、浅野屋は金を受け取らず首を縦に振りません。

そんな中、そもそも彼らから金を巻き上げた形の仙台藩の殿様がやってきて、「廃業することは許さん! 」と命令しつつ、自分自ら酒のブランド名を3種類贈って続けさせ、その後も浅野屋は栄えたという逸話(史実)があります。

まあ、もともと、殿様及び藩の重臣たちがちゃんと財政政策してればよかった話ですが、殿様が「許さん」と強く命令したのは、浅野屋に再起をしてもいいんだという背中を押そうとした言葉で、殿様のやさしさの表れです。藩として金の援助はできなくても、殿様命名の日本酒なら当然領内での拍と評判が付きます。

失政があっても、それを認め、今自分たちができることを考えてする。それが政治というものだと思います。国も自治体も少しはこの殿様を見習ってはどうでしょうか?ちなみに、映画でこの殿様を演じたのは、フィギュアスケートの羽生選手です。

困っている時は武士も農民も商人も関係なく、金がないなら金以外でできることをする。それこそが日本人の持つ「お互い様の精神」なんだと思うわけです。



廃業してしまってから、亡くなってしまってから、どれだけ感謝の言葉やお悔みの言葉をかけても仕方がありません。今できることは何かをやらないといけないのです。

先のとんかつ屋のご主人の話に戻せば、個人的な推測ですが、補償などのお金が欲しかったわけではなかったろうと思います。たとえ、客が入らなかったとしても、店を開け、仕込みをし、仕事をしたかったんだと思うんですよ。それが彼の生きがいだったのだと。

しかし、自粛要請後に世間で起きているのは、営業している店に対する嫌がらせ・異常なバッシングなど「コロナ自粛警察」と呼ばれる者どもの愚かしい行為です。そいつらは自分では正義のつもりらしいが、とんでもない。やっていることは、「間接的殺人」です。物理的に人を殴ったり、刺したりしてはいませんが、人は殺しているのと同じです。「社会を守るため」などという欺瞞に満ちた大義名分で、真面目な人達を次々と追い込んでいる。

自粛警察連中に「そんなことはやめて」といくら言ったところでやめやしないでしょう。もはや、誰かを叩きまくることで噴出するドーパミンの中毒者ですから。

でも、それ以外の人達は、いい加減「コロナ脳」から脱却して、自分たち個人個人は一体どんな行動をすべきなんだろうか、と考えていただきたいのです。もちろん、無闇やたらに意味のない外出をしろということではありません。ただ、国民には「家にいろ」「人との接触を8割減らせ」などといいながら、自分たちは相変わらずリアルな会議で集まって、ちっともリモートワークしようとせず、接触も減らさないような、言動不一致の専門家会議の連中の言うことを鵜呑みにしていていいんでしょうか?5/7以降もそれまでのように自粛を続けていて本当にいいんでしょうか?

ひとりひとりが考えるべき時に来ていると思います。


最後に、

男の自殺は、誰にも相談なく、突然そして確実に失敗なく死にます。

もし、今辛い人たちがいたら、我慢しないでください。遠慮なく「辛い」と声をあげてください。近くの人を頼ってください。愚痴を言ってもいいんです。人前で泣いたっていい。黙って1人で思い悩んで、廃業を決めないでください。自殺を実行しないでください。

世間は思うほど冷たくはない。そう思いますし、そう信じたいです。



追記

文末の「世間は思うほど冷たくない」という言葉に対し、批判的なことを言う方がいたので反論しますが、「他人のことなんか誰も助けてくれない」と言う人間に限って、他人に助けを求めた事もなければ、助けをどう求めていいかわからない人が多い。「世間なんて冷たい」と思わせてしまうのは、はっきり言って、自分が行動していないだけの思い込みでしかありません。

もちろん、声をあげたからといって全員があなたを助けるとは限らない。見て見ぬフリをする人もいるでしょう。「世間は思うほど冷たくない」というのは別に「世間は絶対に冷たくない」と言っているわけではない。

しかし、忘れないでほしいのは、大前提として、世間は、人間というものはは、あなたに限らずの他人に無関心です。視界に入っていても目に入っていないことが多い。見ているようで見ていない。それは無視しているのではない。関心が低いから不可視なだけです。言ってみれば、あなたも含め、他人なんてものは大抵透明人間なんです。

だからこそ、助けてほしい時は声をあげてほしいのです。真っ赤になって黄色い声でも黄土色の声でもなんでいいから色めく声をあげてほしいのです。その色付きが世間にあなたの存在を気付かせます。

存在に気付いてなおかつ知らないフリをする人もいるでしょうが、他人の存在を気付いた時、あなたと彼・彼女、人間と人間との間に生まれるものが世間なのです。世間を生み出すのはあなた自身の行動なんですよ。

そうやって二人や複数の間に生まれた世間は、案外冷たくないものです。「どうしたの?」と声をかけてくれます。話を聞いてくれます。それだけでも随分救われるはずです。人によってはより親身になってくれるかもしれません。

「世間は思ったほど冷たくない」

それは、世間というものが人と人との接続・交流によって、いわば、人と人との摩擦によって生まれるものであり、摩擦である以上時には苦痛にもなりますが、摩擦だからこそ温かくもなるんです。

何も自分で行動しないと摩擦はおきません。そういうとすぐ自己責任論だと言い返す人がいます。これは自己責任論ではない。「お前が行動しないからいけないんだ」と言っているわけではない。責めてなんかいないのに、責められたと感じないでください。

「お前が行動しないからいけないんだ」なんて一言も言ってない。「行動してください」とお願いしているんです。

「世間なんて冷たい」と斜に構えて放言する者とは、自分が行動していないことに対する言い訳でしかなく、それこそが、実は「自分自身に対して冷たい人間」なんだと思います。

自分自身に冷たくしないでよ。







長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。