セレーナ・ウィリアムズは1兆円以上! 「アスリート投資家」という新たな存在
ユニクロが引退後のアスリートを支援し続ける理由
「引退後のアスリートに対してもユニクロは支援を続ける」との日経MJ記事がありました(2023/6/19)。トップアスリートの商業的価値の源はこれまで、「オリンピックのような国民的注目を集める場で活躍し、広告主にメディア露出をもたらすこと」とされてきたので(記事参照)、引退後の支援とはたしかに新たな動きです。
同記事は、支援する企業側の視点に立っており、当noteでは、対となるアスリート側に注目して考えてみましょう。
私はこの10年間ほど、市民アスリートの社会学を考察し、体育大でキャリア教育を行い、趣味のトライアスロンでは世界選手権に公費派遣いただくレベルでハマっていた者です。アスリートという存在について考えてきた中で、世界的トップアスリートの変化を感じるニュースが増えているように感じます。その1つが、競技成績を超えた「存在自体の価値」が高まっているのでは?ということです。
SNS時代の「遠心力」と「求心力」
この日経MJ記事では、
と、SNSがアスリートの価値を高めている面を指摘しています。
20世紀型マスメディアの時代、トップアスリートのような有名人は、新聞雑誌テレビなど限られた場にその露出を依存していました。プロ野球のトップ選手も大新聞社の下にいる存在だったといえるでしょう。
しかしSNS以後のネット世界とは、情報発信源が個人化=最高レベルに分散化しています。これは好みの多様化も進めます。「NHK紅白歌合戦が知らない歌手ばかり」という現象が起きるの、その一例でしょう。
このような遠心力が強くなっていく情報社会にあって、スポーツには、国民的な関心を集中できる求心力があるわけです。
スポーツの「身体性」
では、なぜスポーツに求心力があるのか? 「自分と同じ人体を使っている、という身体性」が本質であるように私は感じています。
この特徴は、「嫉妬を挟まず、純粋に尊敬できる」というアスリートの存在価値にもつながります。
SNS時代、有名人たちのきらびやかな姿は、個人の手元に、双方向コミュニケーションが可能な状態で、ダイレクトに突きつけられています。この状況は反発も増幅させます。「運が良くて大当たりしただけ」「好みじゃない」等々ディスられがちです。
しかしスポーツでは「身体性」があることから、こうしたマイナス感情がはさまる余地が少ないのではないでしょうか。100mを9秒台で走りピークで時速44kmを超える、時速160kmでボールを投げる&それを細い木の棒で打ち返して100m以上とばす、50m8.6秒ペースで2時間走り続ける(男子マラソン世界記録)、などのパフォーマンスは、自分と同じ身体によってうみだされています。この点に言い訳が挟む余地がありません。運のせいにはできず、ただ凄いと認めるほかありません。
これが「スポーツの身体性」です。これによりトップアスリートは、条件付きではない純粋な注目を集める存在となります。その求心力は、遠心力が上がってゆくほど、希少価値をもってくるわけです。
なぜイチローは引退後もCM露出を続けられるのか?
上記の日経MJ記事では、2018年、テニスのロジャー・フェデラー選手とユニクロとの10年間の長期契約が紹介されています。
この契約総額は3億ドル、契約期間中に引退した場合でも満額が支払われる、とも報道されました。フェデラー選手は当時36歳、2016年に膝の怪我を負って、引退も囁かれ始めた時期のことです。
ちなみに2018年とは、野球のイチロー選手の去就が注目された年でもあります。イチローは5月にMLBマリナーズとの特別補佐の契約を結び、当時44歳で実質的にプレイヤーとしてのキャリアを終了しました(正式には翌年3月の日本開催試合で引退)。しかし国民的な注目度は高いまま、CMなどの露出は続き、そこでの描かれ方も「引退したおじさん」ではなく現役時代と同じトップアスリートとしてのイメージを保っている印象も受けます。
フェデラー選手は以前のNIKE社との契約が2018年5月に終了し、ユニクロのウェアで試合に出始めたのが同年7月から。これは私の完全な推測ですが、ユニクロのフェデラーに対する投資判断を後押ししたのが、イチロー選手が示した「競技成績よりも存在自体に価値がある存在」という姿であったのかもしれません。
「アスリート投資家」という最新形
こうした「存在価値」の新たな現れと思われるのが、「投資家としてのアスリート」というありかたです。
代表例がテニスのセレーナ・ウィリアムズです。2014年、選手として4大大会制覇=グランドスラムを2度達成するなどテニス界の頂点を極めていた33歳当時に、ベンチャー・キャピタル「Serena Ventures」を設立、
ビジネスパートナーは、大手投資銀行JPモルガン出身の女性 Alison Rapaport Stillman です。(左のリンク先はLinkedInページ。ハーバードMBA、2009年から金融キャリアを開始、2018年から参画し短期間でトップに昇進。年齢は非公開ながら、おそらく41歳のセレーナと同世代あたりでは?)
公式サイトやLinkedinなどから推察すると10名程度の小さなチームのようにも見えますが、保有株式の時価総額は1兆円を超えるというニュースが2019年にありました。
(ちなみにセレーナの夫も著名起業家で、世界最大級のニュースサイト「Reddit」の共同創業者、Alexis Ohanianです。ファンド設立の翌年2015年に、ローマでの試合時、ホテルの朝食で出会っているようです。家族社会学でいう「同類婚」現象の1例ともいえそうです)
セレーナのような存在は、地球上にも唯一無二のレベルです。おそらく優れたスタートアップ企業が出資を求めて集まり、「セレーナが参加する会社」としての注目はビジネス自体にも好影響して、相乗効果がうまれるのでしょう。こうして、
テニスのセレーナ・ウィリアムズ:1兆円以上
バスケのレブロン・ジェームズ:1000億円以上
自転車のランス・アームストロング:100億円以上
といった規模感(直接の情報は少ないですが、報道からうかがわれる最低ラインとして)で資産を投資できているようです(上記の私のnote参照)。フェデラー選手も、投資家としてスイスの高級ランニングシューズメーカーOn(オン)に出資し、2021年のNY株式市場への株式公開を迎えました。スポーツ以外でも、歌手のビヨンセなども投資活動を成功させているようです。日本でも、著名選手の投資活動が注目されるようになっています。
幸福は「おカネだけ」では得られない
これら超トップ級のアスリートたちは、数億〜数十億円レベルの年収が何年も続くわけで、豪邸を建てようがジェット機を買おうが、おカネが余り続けてしまいます。不動産や上場株式などへの資産投資では、もともと余っているおカネがさらに余ってしまいます。
現代資本主義におけるおカネの特徴の1つは「無限増殖性」ではないでしょうか。「身体性」がないのです。そこで「海水を飲めば飲むほど喉が渇いてしまう」といった感覚も発生します。私の日経ビジネス電子版での連載「大人のトライアスロン」でも取り上げた話です。
(「出家した元IT起業家が振り返る 長距離スポーツの中毒性と修行性」2023.5.15)
しかし、ビジネスへの投資であれば、社会へのリアルな影響力を獲得しやすいのではないでしょうか。もともと余っている自分のおカネが主になるので、自分自身の価値観に沿った活動を選ぶことができます。スポンサーの意向に振り回されることも少ないでしょう(セレーナ級の場合ですが)。
こうして、出資者、投資実務を担当するプロフェッショナル、投資先の企業、さらにその顧客・・・、と関係者の全てが良質なチームが実現し、おのずと成功していく、といったストーリーも見えてきます。
このような過程を経ての成功ならば、成功が幸福感に直結するのではないでしょうか。「身体性のある成功」、といえるかもしれません。
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皮肉な見方をするならば、こうした投資活動が可能であるのは、高い知名度を持つトップスターだから、なのかもしれません。「ごくごく一部の勝者が世界規模で富の総取りをするハイパー格差社会」の一部、といえるかもしれません。
とはいえ、投資を通じて新たな価値を創出しているという現実はあり、これは従来の「単なる注目度の切り売り」であった、いわゆるタレント業との明確な違いです。おカネという数字だけの自己増殖ではなく、アスリートのような身体性ある存在によって実現しているのも興味深いところです。
今後、注目していきたいと思います。
(トップ画像はプロカメラマン稲垣純也さんのスマホ撮影の1枚。文字入れでの使用許諾済です)
※今月より日経COMEMOキーオピニオンリーダーに選出いただきました。よろしくお願いいたします m(__)m