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ビジネスセミナーで他人のフレームワークを撮影する行為について考えること。

スマホで夏の花火を撮影する度に思う。

「見返すことはないだろうな」

でもつい、撮影してしまう。

正確に言えば「一瞬しかない綺麗な光景を撮らなきゃ」という衝動が、発動してしまう。

ただ、綺麗な花火の光景が見たければ、そんな写真素材はどこにでも転がっている。正直、自分で撮影することに意味はない。

そう。スマホで花火の写真を撮ることに意味はない。

この類の「意味のなさ」は何かに似ている。

それがビジネスセミナーにおいて、投影されたフレームワークをスマホで撮影する行為だ。

今日はそんな話。

◾️綺麗なものは、撮りたくなる

夏の花火と、セミナーのフレームワーク。

関連はないが「撮影しても結局、見返さない」という点では同じだ。

実際、あれを見返しているビジネスパーソンはどのくらいいるのだろう。

もし見返したとして、それを業務に活用できているビジネスパーソンはどのくらいいるだろう。

正直、私もできていない。

あの撮影に対する衝動は

「観てるだけじゃもったいない
とか
とりあえず撮っておこう」
とか

そんな貧乏性にも近い感覚な気がする。

「身につけて行く場面もないけど、高級な宝石が9割引から買っておこう」

みたいな感覚だ。

ただ、花火にしても、フレームワークにしても、宝石にしても、そんな衝動を発動させる原動力は、それが「綺麗だから」だ。

撮りたくなるフレームワークは、どこか綺麗だ。

それは花火や宝石のような美術品にも匹敵する。

ではなぜ、フレームワークは綺麗なのか。
もう少しだけ、考えてみる。

◾️フレームワークは努力の結晶

もちろんフレームワークにも綺麗なフレームワークと、そうでないフレームワークがある。

ここでは「思わず撮影したくなるような綺麗なフレームワーク」を対象に話を進める。

その答えは、フレームワークが出来上がる過程にある。

フレームワークを平易な言葉で表現するなら「沢山の事例や事象、アウトプットを集約すると、要するにこういう構造でしたよ」という1枚絵のことだ。

つまりフレームワークには「沢山の事例や事象、アウトプット」という土台が必要となる。

それら1つ1つを
・整理して
・分析して
・共通点や独自のポイントを抽出

さらにそこから
・成功要因、失敗要因を特定し
・構造化する

そんな過程を経て出来上がるフレームワークは努力の結晶だ。

ある意味、小さな火薬を1つ1つ整理して、構造化した花火も近い。

それは美しいまでの努力の結晶だ。

◾️花火とフレームワークの違い

そんな努力の結晶を撮影する行為について、という話に戻す。

ここでようやく花火とフレームワークの違いが出てくる。

ポイントは観客の種類だ。

花火大会に花火を観に来る人の多くは花火職人を目指してはいない。(本来、花火大会は花火の品評会だが)

だからそんな花火職人の努力の結晶を、無関係の一般人として、作品として眺め、ただ「きれーい」とスマホで写真を撮ることもあるだろう。

だがビジネスセミナーは違う。

そこに集まるのは講師の同業者たちだ。同じようなフレームワークを生み出さないといけない側の人たちだ。

しかしその中で「自分もフレームワークを生み出す側になる」という意識を持っている人はどのくらいいるだろう。

花火職人が他社の花火を撮影して研究するように、そのフレームワークを分析して、自分でもっといいフレームワークをつくるために撮影する。

そのくらいの覚悟を持って、あの撮影はなされるべきだ。

しかし実際は、他人が作った努力の結晶とも言えるフレームワークを「とりあえず撮っておこう」と、花火感覚で撮影しているビジネスパーソンの方が多いのではないだろうか。

前述の通り、いいフレームワークをつくる土台はアウトプットだ。自ら沢山アウトプットして、試行錯誤を繰り返す。それらが出揃ったら分析して、その先にフレームワークが生まれる。

フレームワークを求めるなら、まずはこれまでのアウトプットを分析すること。アウトプットがないなら、まずはアウトプットをすること。

フレームワークを生み出す一歩目は決して、他人のフレームワークを撮影することではないはずだ。

成功のポイントだけを知ろうとする人は、成功からもっとも遠い人だと私は思う。

まずは明日から、安易に他者のフレームワークを撮影するのを、やめてみるのはどうだろうか。

自戒を込めて。


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