自分や社会を客観的に見ると、他者への思いやりを感じられるようになる

以下の日経ニュースにもあるように、コロナ禍で世帯の預貯金が増えたと話題になりました。一律給付金の10万円がそのまま使われず預貯金として純増した、と。

しかし、この手のニュースでは、日経に限らず、ほぼすべてのマスコミがいつもデータとして使うのは「二人以上の世帯」つまり家族世帯の家計調査の結果です。もちろん、全世帯に占める割合はこの「二人以上世帯」が7割なのでマジョリティであることは間違いないわけですが、さりとてもはや3割にもなっている一人暮らしの単身世帯の数字を全く無視し続けるのはいかがなものかと思うわけです。

単身世帯にも男の単身、女の単身では違うし、有業者単身(現役世代)と無業単身(高齢者)でも違います。ただ、以前、外食産業は独身男が支えているという記事でもエビデンスを提示した明らかにしたように、単身や独身の消費は決してバカにできるレベルではありません

というわけで、「預貯金が増えたっていうけど独身もそうなのか?」という素朴な疑問から、家計調査の単身世帯データをこまごまと分析した結果(まあ、これが大変で1週間くらいいろいろやりました)、預貯金以前の問題として、家族世帯と単身世帯との根本的な違いが明らかになりました。

そんな事実を記事化したのが、プレジデント連載「ソロ時代の羅針盤」にて本日公開した記事です。まず、こちらの記事を最後まで(←ここ重要)読んでみてください。

預貯金が増えているといっても、それは二人以上世帯だけの話で、単身世帯の預貯金は減っています。それは決して無駄遣いをしたからというわけではありません。家族世帯同様、消費支出を節約したにも関わらず、です。記事内でわかりやすくグラフ化してあるのでそちらを参照してください。

その原因は、タイトルにある通り、単身者(親元に住んでいても独身はそうですが)には、可視化されていない「ステルス独身税」的なものです。家族と単身の非消費支出率(税と社会保障負担が実収入に占める割合)の比較癖ラフも本記事に乗せていますが、簡単に言うと、世帯所得1000万以上の家族と同じくらい単身者は非消費支出負担があるということです。

相変わらず一部の既婚者からは「独身はフリーライダー」だとか「我々は子育てには金がかかるのに」とか声があがりますが、なんだかんだ独身も独身なりに社会に貢献してますよって話で結んでいます。最後まで読んでくださいというのはそういう意味です。独身税云々とかの話は前フリで、この記事で伝えたいのは「そもそも経済の本質ってなんだったっけ?」という話なのです。

ツイッターでもたくさん感想いただきました。ありがとうございます。

NewsPicksでも以下のようなコメントが。

"互いがそれぞれの立場でそれぞれの役割を果たしていることを理解し、「見えないけれど確かな支えあい」があることを実感するようになってほしいと考えます" さすが経済ニュースサイトにふさわしい名言です。経済というものをこの一言で言い表しています。資本主義だから社会の構成員の協力に「お金」という紙切れを媒介しており、だから見えにくくなっているだけ。
独身者も社会貢献しているよ。「独身者はいいよな、自由でお金もあって」っていう考えはよしなよ。実は独身者も既婚者も子持ちもみんなで支え合ってるよ。って言っているんですね、この記事は。このように社会の仕組みを解説していただけると、無闇に知らない他人を批判するのが的外れだって気付かされます。
独身vs既婚という対立にみえがちなタイトルですが、メッセージは『目に見えにくい支え合い』を知り、それぞれの存在を認め合うことなんですね

一方で、毎度ヤフコメにはこんなのも来ています。

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独身税を10倍にしたら少子化は解消されるんですかね?こういうのを見ると、結婚して子を授かったことをなんでそんな、まるで罰のように感じてるの?と聞きたくもなります。

僕の調査によれば、既婚者は未婚者に比べて圧倒的に幸福度が高いし、既婚者でも子有の方が子無より幸福度が高い。子育て世代真っ只中の30代夫婦が一番幸福度が高い。子がいるということはそれだけご自身の幸福度を高めているのですよ。

万が一、不幸な親もいるかもしれません。が、自分が辛くて苦しいからといって、独身者も辛くて苦しい目にあわせたところで、あなたのその辛さや苦しみは解消されるんですか?もしそういう考え方の親なら、そんなのに育てられた子は可哀想だ。

あと、こういう記事に「うちは夫婦ともフルタイム共稼ぎで子どももいないから独身と同じなんだけど。自分らだけ被害者ヅラするな」とかツイッターのクソリプみたいな意見もきたりするのですが、独身者のみなさんがいつ被害ヅラしたんですか?ほとんどの独身者の方々は、どこかの界隈の人たちみたく「不公平だ!差別だ!」なんて声を荒げたりしません。粛々と納税しています。そもそも控除がなくても二馬力で補い合っているのだから、別にそれでいいじゃありませんか。

またこんな文句も来ました。

「みんなで仲良くしましょうという御託は結構だが、それで少子化が解決するの?将来の高齢者増の負担に耐えられるようになるの?」

何度も言うように、少子化なんて解決しないから。何をどうあがいても、1990年代に第三次ヘビーブームが来なかった時点で、出生数は減り続けます。それはこちらの記事に書いた通り。

また、高齢者が増えて負担増といいますが、高齢者自身の労働人口も増える中で有業人口依存指数でみれば、それほど現役世代の負担が増えるものでもない。むしろ65-70歳はもはや高齢者ではないし、高齢者は支えられる側ではなく0-19歳の子どもたちを支える側になってくれないと困ります。それはこちらの記事や拙著「結婚滅亡」にも書いた通り。

大体、いちいち細かい文句を言う人たちに共通しているのは、とにかく「自分の主観でしか物事を見ていない」ということです。最近、よく言っていますが、世阿弥の「離見の見」というメタ認知力を誰もが身につけたほうがいいと思います。

要するに、自分を客観的に見るということ。加えて、それは、社会を客観的に見るということでもあります。当然ながら、社会は自分だけが生きているわではありません。知っている人だけでもない。知らない人もたくさんいて社会が成り立っている。

主観だけで社会を見てしまうと「苦しいのは自分だけ」と思いがちですが、そんな人は社会にたくさんいる。それと「自分は苦しい」と思っていたとしても、それはある瞬間の自分でしかないかもしれませんよ。

一人だけが苦しいなんてことはないし、その苦しさもずっと永遠に続く苦しさではないし、苦しさを紛らわしてくれるのは、他でもない誰かの作ったゲームだったり、アニメだったり、小説だったり、漫才だったりするかもしれない。そういう意味で、無意識に誰かに支えられながら我々は生きているのです。

そして、何もしていないと自分を卑下する必要もなく、生きて生活しているだけで自分も誰かを支えているのです。社会とはそういうものです。

自分を客観視し、社会を客観視するということは、言い換えれば、自分の価値を発見するのと同時に他者への思いやりを感じられるようになります。

自分に価値を感じられない人って「ありがとう」というべき時に、つい「すみません」って言いがち。自分に価値を感じられないから平気で他者の価値もふみにじる非難ができるともいう。

もし自分が、「あいつが悪い」などと誰かの責任を追及してばかりだったり、「あいつだけズルしてる」と、他者の足を引きずり下ろすことばかり考えているなら、その思考の瞬間、鏡でご自分の顔を見てみてください。

どんな顔ですか?

文句を言いたいがために、自分の不快なことを言いそうな人をフォローして、毎日不快な気分になって文句を言うって人もいる。不快になることより、文句を言うことの快感に負けている人ですね。それ負の依存なんですよ、完全に。

文句や悪態つくのが悪いとはいいません。生きてりゃ言いたくなる時もあるでしょう。我慢するより吐き捨てた方が健康にもいい。しかし、文句ばっかりになっていないか?と自分を客観視することは大事です。文句ひとつ言ったら、ひとつ「ありがとう」や「いいね」ひとつ言うくらいでバランスとりましょう

「ありがとう」を言う相手が一人もいない?「いいね」したい対象が何もない?そんな人生なら、そもそもあなたに社会は必要ないかもしれません。おめでとうございます。多分、絶海の無人島でもサバイブできるのではないですか?では、ごきげんよう。  

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。