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まちが舞踏し演劇する。 東京ビエンナーレは「絶望」からはじまる「まちであり」の実験かもしれない

お疲れさまです。uni'que若宮です。

昨日やっとこさ東京ビエンナーレに行ってきました。



東京ビエンナーレとは…
“東京”のまちを舞台に“2年に1度”開催する国際芸術祭。世界中から幅広いジャンルの作家やクリエイターが東京のまちに集結し、まちに深く入り込み、地域住民の方々と一緒に作り上げていく新しいタイプの芸術祭です。


もともとは2020の開催予定でしたが、オリ/パラと同様コロナ禍で延期に。国とちがって民間の開催ですから、延期は予算的にかなりシビアな死活問題です。昨年、クラウドファンディングを実施し7,371,000円を集めてその危機を乗り越え(残念ながらいまも昨年以上の緊急事態宣言中ですが…)なんとか開催!


こちらは発足当時の記事ですが、

まちとまちに住む人たちが主体になるビエンナーレ、ということで注目していたので、微力ながらクラウドファンディングを支援しまして、

そのリターンとして、総合ディレクターである中村政人さんが直接神田エリアを案内してくれる「ディレクターツアー」に参加してきました。


ディレクターツアーの流れ

※緊急事態宣言下ですが、参加者は7人の少人数、会場ごとに検温と消毒が徹底され、十分に感染対策されていたことを記しておきます。(もったいない事ですが)来場者がさほど多くないのもあり密な状況はありませんでした

①「優美堂」に集合

小川町駅すぐにある優美堂は1940年代から営業していた額縁屋さんです。ここは東京ビエンナーレのインフォメーションセンターにもなっています。

(秋田出身中村さんちの秋田犬「ののちゃん」もお出迎えしてくれました。ふわふわもふもふである)

まずは優美堂内から鑑賞。1階にはカフェや休憩スペースがつくられリラックスできる空間。2階にあがると優美堂製の額縁が沢山飾られており、中村さんが来場者と対話しながら「やさしい」絵を描き額縁に収める参加型アートの会場になっています。

3階から屋上に。増築を重ねた優美堂はつくり自体がかなりユニークなのですが、ビルの隙間にある屋上はちょっと面白い空間ですのでぜひ。

(優美堂については後の考察で詳しく書きます)


②レインボービル

続いて優美堂から徒歩2分ほどのレインボービルへ。その名に恥じぬレインボーである。

9階に「東京Z学研究所」と題された展示会場があります。実はここ、中村さんがついこの間まで住んでいた旧・自邸。

天井からにょきっと生えている、街灯をユリゲラーが曲げたりくっつけたりしたような照明は中村さんの作品。なんとこれ、引っ越した時から設置され、家族はこのまま照明として使って生活していたそうです。

ときどき誰かが頭をぶつけてました。洗濯ものを掛けられたりするとイラッとしたり…

アートとの暮らしには、実用面ではいろんな苦労がつきものですね…!

この会場で「東京Z学」の展示がされているのですが、ここかなり東京ビエンナーレの核になる部分なので後述します。


③街歩き → 宝ビル・Hogalee壁画


④「顔のYシャツ」へ移動

神田のオフィスビルの間に突如あらわれるインパクト絶大な看板建築。この顔はビエンナーレ用につくられたものではなく、もともとあった店舗の看板です。


⑤正則学園高校

高校の一部を夏休み中だけ展示会場にしてしまった同会場。

7階には神田の人々を佇まいを撮影した池田晶紀さんの展示《いなせな東京 Project》

6階には佐藤直樹さんの展示《そこで生えている。2013-2021》がありました。作家本人が制作滞在しており、直接お話を聞くこともできました。


⑥最後は神田ポートビルに

最後に神田ポートビルにいって一息つき、感想をシェア。
神田ポートビルはB1Fがサウナ、2Fがカフェ&物販スペースで作品も展示されている面白いビル。3Fには「ほぼ日の学校」もあります。実はここ、中村さんがかつて「コマンドN」の拠点を構えていたビルで、「神田×アートの出発点」で最後にツアーを振り返り、解散となりました。


純粋×切実×逸脱=「絶望」のZ?


東京ビエンナーレのテーマは「見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―」と題されており、ここに東京ビエンナーレを読み解く鍵がすべて表現されている気がします。なのでこのキーワードを意識しながら各会場(そしてまち)を体験すると、東京ビエンナーレの取り組みの面白さがじわじわわかってくるはず。

そのためにも、レインボービル9Fの「東京Z学研究所」に最初に行くことをおすすめします。

そこに展示されているのは「東京Z学」のオブジェクトたち。

たとえば、写真中央にあるボロッボロになったカラーコーン。

これは実際にとある街の一角にあったものだそうですが、ひび割れて自立すらできないようになったところ土台を補強され、上部もバキバキに割れまくって剥がれてきているのを無理やりビニールテープでぐるぐる巻にされながら、それでも街に立っている。

あまりに満身創痍なのになお小突き回されるその姿に

「アニキ…もう堪忍したってつかあさい…」

と見知らぬ僕ですら懇願したくなる佇まいなのですが、懇願するにも所有者不明。そもそも誰に言ったらいいのかもわからないようなモノたちなのです。誰かに立たされているのか、いやひょっとして、惰性と葛藤しながらも自らのアイデンティティのために傷ついた身体を踏ん張り立ち続けているのか…

「…カラーコーン…あんたってやつは…」


「東京Z学」の会場にはそんないくつもオブジェクトが展示されています。こうしたオブジェクトを「Z」と呼び、Zを見出す研究的活動が「Z学」なのです。Zとは何だろうと思い、キャプションを読むと一行目にはっきり書かれてました。

Zとは、「絶望」のZです。


ガーン!!絶望!!!(カラーーーーコーーーーン!!!)

そしてZ(絶望)は下記の3要素から成ります。

「純粋」「切実」「逸脱」

Z学の「絶望」は単なる諦めや厭世ではありません。

ボロボロになり、「役立つ」の地平からはほとんど落ちこぼれかかり、およそ美的とはいえないいびつな姿をさらしながら、誰にも気にも止められず黙殺されながら、それでも「ただ立つ」。その孤独、孤高。(カラーコーーーン!!!)

いかがでしょうか、なんとなく「Z」な感じがわかってきましたでしょうか?

「カラーコーン」としてつくられた瞬間から(おそらく本人も望まずに)負わされた機能性や記号性から、いままさにカラーコーンがその存在自体を取り戻さんとしている。人間からみた道具的存在としてではなく、カラーコーンが「おのれ自身である」あり様、ハイデガー風に言えば 「おのれの示すものを、それがおのれ自身のほうからおのれを示すとおりに、おのれ自身の方から見させる」(アポファイネイスタイ・タ・フェイノメナ)」 のであります。

Z学や東京ビエンナーレにはそうした現象学的まなざしを感じます。

そしてそれは、「絶望」の瞬間においてこそ現れ、絶望(Z)はAに続いている、と中村さんは言います。

Zの次はAであることから、Zは絶えず次なるAを求めている状態といえます。
私は 2015年に「明るい絶望」 というタイトルの個展を開催しましたが、Aとは、この存在の 「明るさ」であり感情的には「愛」のAです。価値の生成過程において誰しもがその価値の存在をあきらめてしまうほどの絶望の縁から、 凝縮した愛(または存在の明るさ)のエネルギーが生まれている状態をZとして捉えています。
私は、この「Z=絶望(愛、 明るさ)」に達している存在を知覚・研究する事を「Z学」 と命名します。


ここで重要なのは「絶望の縁」の存在のエネルギーをしっかりと見、感じることです。「絶望」は一見して、美しくも快くもないかもしれません。だからといってそれを「仮象の美(Schein)」で覆い隠すのではなく、「絶望」の深淵にあるディオニュソス的混沌を、その容赦ない生を恐れずに肯定すること。

再開発で超高層化していく都市の新陳代謝の中で時間が止まったかような個人商店や登記簿の所有者が不明で誰も手をつけられなくなっている住宅。道路が拡張され新しく整備された歩道や路肩でもずっと存在し続けている石や標識等の所有者不明なモノなどなど。私にとって「R」(リノベーション) という概念では太刀打ちできない「Z」 としての多様な存在は、「芸術」を創造していく事と同じベクトル上にあります。(強調引用者)

そこにこそ「象徴界(le symbolique)」に隠されていた、まちの「なまの現実(le réel)」が現れるのではないか、そんな感じがしてまいります。

都市化。20世紀を通じて、ディベロッパー主導の近代的開発によってまちは「機能的」で「小綺麗」になってきました。しかし「小綺麗」になればなるほど、まちはまちの自分らしさを失い、規格化され漂白されたつまらないものになり、上っ面だけのすかすかなものになってしまったようにも思えます。

機能性とは記号化であり、表層化です。たとえば「駅」を「電車を乗り換えるための場所」と記号的にみるとき、私たちはその建築を、空間を、ほとんど見過します。「Z学」はそのような「記号化のほつれ」からまちを捉え直し、「異化」し、まちを(機能とは違う仕方で)価値化し、その存在に出会い直させます。

そしていかに表層が小綺麗に見えようとも、まちにはそこに回収されず、常にそこから逸脱しつづける混沌もまたたしかに存在しています。

一度、 このZの視点を獲得してから街を歩くと 「芸術」という狭い概念を超え一途で多様な私たち文化の生々しい姿が露呈されてきます。 開き直って、もうどうにでもしてくれと自我を解放したような初源的な状況となり素の存在として見えてきます。 極限的な「寛容性と批評性」 を獲得している「Z」は、 東京のもう一つの価値存在に警笛をならす思想といって良いかもしれません。


たとえば、こちらの写真。

サビつき絶妙な角度に傾いた支柱に、うっすらとしたためられた「ここに駐車しないでください」という消え入りそうな声。傍らにまっすぐに立つ双子の標識。道路に残る土台の跡。そして止め石のように標識と土台と三角形の結界をつくる路上の石。

これは実際のまちの風景であり、作品ではなく自然に生まれた(?)オブジェクトです。(宝ビルの近くにあるので神田を訪れたらぜひ探してみてください(当たり前ですが無料でみれます))

都会のせわしない時間の流れから取り残された、あるいは意思(石)の結界によって時間の流れを逸脱し、自ら取り残された存在。Z学的な意識でまちを歩くと、そうしたものたちが「おのれ自身のほうからおのれを示すとおりに」たくさん姿を現してきます。見なれた景色が「見なれぬ景色へ」と…


ZをZとして「再生」する 〜優美堂と顔のYシャツ


先程のZ学の宣言の中には、「再開発で超高層化していく都市の新陳代謝の中で時間が止まったかような個人商店」という言葉がありましたが、「優美堂」と「顔のYシャツ」店舗はまさに「Z」な建物です。

優美堂は電話番号291-8341の「ニクイホドヤサシイ」というキャッチフレーズで知られる額縁屋さん。店内に防空壕があることからもわかるようにかなり古い建物です。

こちらで「再生」前の様子をみることができます↓

元々すでに営業はしておらず、シャッターが閉まった状態だったのを中村さんがみつけ、シャッターのスキマからオーナーに宛てて手紙を差し出したところから今回のビエンナーレへの参加と相成りました。

すでに店舗としては機能しておらず、取り壊しも決まっている優美堂。「優美堂再生プロジェクト」は「再生」のためのプロジェクトですが、R(リノベーション)で建物を新しい機能に塗り替えてしまうのではなく、優美堂のZ(絶望)を見つめそれに寄り添い、その最期に立ち会う「死ぬことで再生するためのプロジェクト」だという気がします。

計画的で整った全体設計があるわけではなく、参加者がそれぞれにDIYで直していっているので、元の建物と新しい部分がリゾーム的に接合されていき、新旧入り交じったいい感じのカオスになっています。

屋上のミックス具合もいい感じです。三方をマンションビルに囲まれながら、そこには独自の「優美堂の時間」が流れます。

(富士山型の書き割りの看板にはO JUNさんがペイント。屋上から「裏富士」ごしにビル街を覗くのもおすすめです)


「顔のYシャツ」もまたとてもZな味わいのある建物です。こちらもすでに営業は終了していますが、今回の展示では建物ごと作品化しています。

中はこんな感じ。

黄色いピンポン玉は展示の仕掛けですが、生活の摩耗の末に色あせ、朽ちた建物との対比が鮮やかです、

(顔のYシャツ裏口のビルの隙間)


「優美堂」と「顔のYシャツ」をみていただくとわかるように、東京ビエンナーレで目指されているのはアートで「お化粧」したり機能を上から被せたりすることではなく、その「絶望」を「絶望」としてみることだという気がします。

このあと数年オーナーさんからは許諾を得ているそうですが、これらの建物はいずれは「取り壊される」運命です。整形手術したりアンチエイジングをして保存する方法もあるかもしれませんが、「終わる(Z)」から始まる(A)をそれとして受け入れる。

(以前mizhenと裏参道の取り壊しアパートでやった「おわりと、」でもそんなような都市の死生学のようなことを考えていました)


「まちであり」のためのビエンナーレ


都市に見過ごされ取り残されている(あるいは自ら取り残されている)Zな内実をアート作品化し、まちの内臓をさらすような「優美堂」や「顔のYシャツ」の取り組みに対し、正則学園高校では現役のキレイで機能的な学校建築の中にアートを侵入させ、別の空間に変えていました。

たとえていうなら、「優美堂」「顔のYシャツ」は「舞踏」に似ているかもしれません。機能性や記号性を超えて身体そのもののあり方に出会い直す感じです。

一個の肉体の中で、人間は生まれた瞬間からはぐれているんですね。そのはぐれている自分とでくわすことです。[…]クラシックバレーでもスパニッシュでもある均一な方法論を外側から運動としてあたえる。それに飼いならすわけです。そうじゃなくて、私のは、はぐれている自分を熟視させる。(土方巽「暗黒の舞台を踊る魔神」)


一方、正則学園高校では、「高校」という現役の機能をもつ建物にアートを持ち込むことで「高校」を相対化し、フィクショナイズする「演劇」的なアプローチと言えるかもしれません。

(「舞踏」はニーチェ的な、「演劇」はドゥルーズ的な芸術哲学につながっているのが興味深いですが、この辺はまだ僕自身も考えがまとまっていないのでいつか書きます)


東京ビエンナーレは「まち」が単なる背景やウツワになるのでもなく、「アート」というコンテンツによってお化粧されるのでもなく、前景と背景を動的に動きながら、まちに出会う感覚が強くある点で、他のアートフェスとはちがう可能性を感じるものでした。

ヨコハマやあいちなど、都市型のトリエンナーレでも街歩きはありますが、街の建物は基本的に「ウツワ」でありマチナカもホワイトキューブの通路くらいの意味しか持ちません。一方、町おこし型の地方のアートフェスでは「アートというコンテンツ」をもってくることである種「お化粧した、よそ行きの顔」になってしまっていることもあります。


これに対し、東京ビエンナーレでは、超都心部でありながら、古くゴミゴミとした生活臭が混在している、神田というまちのユニークさを存分に味わい、改めて神田に出会ったような気がしました。「ビエンナリゼーション」とも言われるように、アートフェスには内容や出展者が均質化し代わり映えしない傾向もありますが、「まち」と本気で共にあるところに均質化を打破するヒントがあるのではと感じました。(そしてこうしたことが可能であるのはまちで暮らしてきた中村さんという存在があってこそだと思います)


そしてまた、それは「まち」と建築の関係にとってもヒントになる気がします。「ジェントリフィケーション」や「消費的開発」とはちがう、その地ならではのユニークさ、いびつさをどう価値として見出し、どう出会い直していくか、これからの日本の建築はそういう視点がより必要になると考えてます。(建てたりリノベするのではない「見立ての建築」というのをそのうちやりたい)

「まちづくり」のように新しく「つくるdevelop」のでも「まちおこし」のように「おこすrevitalize」のでもなく、表層の記号性を超え、まちそのものの、そのまちらしい「であるbe(Sein)」のありように出会い直し、そして共にあること。東京ビエンナーレは「絶望」をきっかけとした、そのような「まちであり」「そこにあり(Da-sein)」の実験と言えるかもしれません。


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東京ビエンナーレは9月5日(日)までですのでぜひ!(急遽休場日があるようですので下記ご確認ください)

※ 100近い展示やイベントが行われていますが、1日は今回のように歩速を落として神田から5つくらいの展示に絞ってまちと一緒にじっくり味わうことをおすすめします
※ 緊急事態宣言下ですが密な状況や会話もないので感染リスクは低いと思います
※ 僕もまだみにいけていませんが、3331の展示や中村さん激推しの墨田区の「野営+おしゃれブラザーズ」の展示もおすすめです

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