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「生成AIはトロイアの木馬か?」と問う人たち

最近、イタリア人のポッドキャストを聞いていたら、「生成AIはトロイアの木馬かもしれない」と話していました。古代ギリシャの時代、ギリシャ連合軍が巨大な木馬を送りこみトルコのトロイアの人々の一瞬安心させ、木馬の中に潜んでいた兵士たちが一気に攻めこみます。トロイヤ陥落のための策略はこのように成功したとの伝承がトロイアの木馬です。

彼は次の趣旨のことを語ります。

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2000年代にソーシャルメディアが登場してきたとき、人々は「今まで知らない地球の反対側にいる人とこんなにも簡単に繋がれる!こんなにワクワクするエンターテイメントの参加しないのは損だ」とばかり、はしゃぎながらソーシャルメディアに没入しはじめた。

自分の生活のこと細かいこと、それに対する自身の心情、良好な人間関係の喜びと逆のパターンへの落胆、はては国際政治への期待や怒り。

これら膨大な情報、つまり単なる事実データだけでなく、人々の思索の源泉となる感情やロジックに至るまでの情報が蓄積された。

だから、生成AIがあんなにも対応することができる。しかし、それを無邪気に喜んでいると大きく裏切られる可能性はないのか?それは、まるで巨大な木馬を歓迎し、その中から出てきた兵士に負かされたトロイアの姿に似てないか?

EUが生成AIにとても慎重な態度をとり、トロイアの木馬でないかどうかを調査をしている。EUは官僚組織として面倒なことが多く、判断も遅い。しかし、トロイアの木馬かどうかの判断に時間をかけるのはとても安心で、EU市民であることを良かったと感じる。

中国や米国の生成AIに遅れをとったとしても、それは一時的な問題で、挽回できないことではない。それよりも我々の社会生活の安全性の確保を優先して欲しい。

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上記を語るのは30代半ばでITにも哲学にも造詣の深い人です。

ぼくは、これを聞きながら、かつて自動車業界の友人の話していたエピソードを思い出しました。彼は国際標準を定めるISOのある部会の委員でした。彼は、次のように欧州、米国、日本の違いを指摘していました。

ある新しい安全基準の提案があったとき、欧州の委員は「これが人間の命を救うのか?」と言い、米国の委員は「これがビジネスとして利益になるの?」と問う。日本の委員はどっちとも言わない。

冒頭のイタリア人とISOのエピソードは同じポイントを衝いています。ISO内の上記の違いが、EUがルールメーカーとして説得性をもつ根拠のひとつとされてきたのです。

さて、日経新聞電子版の2月15日付の記事を読みました。

「バンス米副大統領は14日、世界各国の首脳や外相、国防相らを前に演説し、欧州各国の民主主義のあり方を攻撃した。SNS規制などを巡り「検閲」「民主主義の破壊」などと厳しい言葉で批判した」と記しています。

米国内の民主主義の是非が世界中で論議されていると思っていたら、米国の副大統領は欧州民主主義を批判しているのですね。引用としては長いですが、これは知っておいた方が良い内容です。

「欧州に関して最も懸念している脅威はロシアでも中国でもない」と切り出し「(欧州の)内側にある脅威だ」と語った。「米国と共有するはずの最も基本的な価値観が後退している」と主張した。

具体例として欧州連合(EU)の偽情報を取り締まるSNS規制、英国やEUでの「言論の自由」を巡る司法の判断などを挙げた。

SNSを通じたロシアの選挙介入があったと指摘され、やり直しが決まったルーマニア大統領選も取り上げた。「外国からの10万ドル(約1500万円)のデジタル広告で民主主義が破壊されるのであれば、それはもともと強固なものでなかったということだ」と断じた。

「冷戦時代」に言及し「反体制派を検閲し、教会を閉鎖し、選挙を中止した側について考えてほしい」と触れ、欧州各国があたかも共産主義国のようだとやゆした。

<中略>

EUは偽情報や誤情報を防ぐ対策が民主主義を守るために重要だとして、強力な規制を推進してきた。

デジタル規制の一つであるデジタルサービス法(DSA)は、SNSを運営するプラットフォーマーに違法コンテンツへの対策を厳しく義務付ける。対応を怠れば巨額の罰金を科す規定があり、選挙介入も取り締まる。

「外国からのあらゆる干渉から民主主義を守らなければならない」(フォンデアライエン欧州委員長)と警戒しているのが23日に迫ったドイツ総選挙だ。その間際にバンス氏の演説があった。

政策研究大学院大学 政策研究科教授の岩間洋子さんがThink!でこの記事について「マスク氏がしばらく前からヨーロッパの極右に肩入れしていたのは、彼個人のアジェンダだろうと見逃すことができたのですが、副大統領が正面からヨーロッパの民主主義を攻撃したのです」とコメントしています。

数日前、冒頭とは異なるイタリア人のポッドキャストを聞きました。彼は歴史家です。次のことを話していました。

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民主主義とは社会として最良の策を提案するものではない。社会に生きる人それぞれが、社会の主人公であると実感できるシステム、それが民主主義である。

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ぼくが訳したエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』では、「民主主義とは人々の学びのプラットフォームである」ということが書かれています。

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冒頭の写真は昨年、ミラノのトリエンナーレ美術館で開催されたアレッサンドロ・メンディーニの展覧会。メンディーニは「異常に大きなもの」というガリバー的な世界に人が惹きつけられることに関心をもっていた。

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