「退職金」ってなんですか
本記事は日経新聞連動テーマ企画「#退職金制度は必要ですか」への寄稿です。
「退職金制度」と聞くと、なんとなく「会社を退職するときにまとまったお金がもらえる仕組み」というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。これ、実は「退職金制度」の定義がわかりにくいために、話が噛み合わない場合があるんです。整理してみましょう。
私たちが一般的に思い描く退職金は、退職時にもらえるまとまったお金です。これは、上の図では青い点線で囲まれた部分にあたります。そのお金が出てくる元の仕組みは、企業の中の仕組みである「退職金制度」と、企業の外の仕組みである「企業年金」の、どちらもあり得るんですね。
「退職金制度」の方は、上の図の赤い点線で囲った部分なんです。ちょっと分かりにくいですよね。すみません(って、私が謝ることじゃないんですけど)。
じっさい、
●「企業年金」だけの企業:12%
●「退職金制度」(正式には「退職一時金制度」)だけの企業:48%
●両方ある企業:40%
という資料が政府から出ています。
今回は、まず、上の図の赤い点線部分、「退職金制度」について「なくても良いんじゃないか」という話をします。そしてもう一つ、図の青い点線部分に関しても「勤めた期間が20年を超えると控除額が大きくなる退職金課税」は廃止するべき、と考えています。
さっそく、退職金制度がなくても良いという話からいきましょう。そもそも、現在の退職金制度の成り立ちはどうなっているのでしょうか。「日本労働研究雑誌」という専門誌に掲載された「なぜ退職金や賞与制度はあるのか」という論文を参照して、紐解いていきます。
この論文によると退職金制度が現在の形で広まったのは、「 電気産業労働組合 (電産) は,1946 年 9 月に始まった争議の中で, 生活費を基準とする最低賃金制 (生活保障給) の確立と並び, 退職金規定の改定を重要課題として要求書の中に入れた」のが発端です。これが他の労働組合にも大きな影響を与え、「退職金制度の導入率は, 1951 年時点の調査では, 82.3%」と一気に広がりました。その要因は4つあります。
①戦後の急激なインフレを背景に、組合が「生活保障」を企業に求める流れができた
②不況で人員整理が多かった。労働組合は、解雇手当のような位置付けで退職金を求めた
③政府がガタガタで社会保障の整備が進まない中、経営陣も、完全な社会保障が実現するまでの代替として退職金を出すことに賛同した
④新たに退職金制度を検討する企業が、戦前から退職金制度を導入していた企業を参照すると、当時はインフレと企業再編による勤続年数の低下により、退職金の負担が実質的にかなり軽くなっていた(だから、経営は組合の要求を受け入れられると判断した)
要は、敗戦直後のインフレ、解雇、社会保障がない、勤続年数が短い、と言った状況の中で、労使交渉の産物として捻り出されたのが退職金制度だった、というわけです。退職金は「勤続に報いるもの」 であるという考えだって、労使交渉に当たっての経営側のロジックでしかありませんでした。組合が打ち出した「生活保障」(だから金額を約束してほしい)という議論に対し、経営側が自分たちの自由裁量を維持するために打ち出した理屈です。だって、その当時、働く人たちにとっては、自分が定年退職するまでその会社が存続する、そして自分も辞めずに「勤続する」、と信じられるような現実は、当時まだ存在しなかったのですから。
というわけで、退職金制度が幅広く導入された敗戦直後の時代と比べると、現在は経済状況も違いますし、「労使交渉妥結」も大きな問題ではない企業が多いでしょう。
以前こちらの投稿で書いたように「方法は、状況と目的によって決まる」のが大原則です。
働く私たちの視点で、敗戦直後も現在も変わらぬ目的は「退職後の生活保障」でしょう。現在、企業の平均寿命はどんどん縮まっています。「退職金制度」は、例えば「家族手当」と同じように会社の中の制度です。だから、企業が倒産したり買収されたら継続されない可能性が高い。一方、企業年金の仕組みは国が決めた枠組みで、会社の外に設けられています。企業が倒産しても一義的には影響は受けません。年金ですから高齢者にならないともらえませんが、若いうちに無職になった時の保証としては、当時は無かった雇用保険が今はあります。
というわけで、お題である「退職金制度は必要ですか」に対する私の考えは、退職金制度は、なくてもいいんじゃないか(*)。その分、企業年金を充実してもらった方が、現在の実態に合っている、というものです。じっさい、ソフトバンクやパナソニックは、そのような変更を実施しています。
*「退職金制度はいらない」と言い切らず「なくてもいいんじゃないか」と余地を残したのには理由があります。会社の中の仕組みですので、事業や組織の性質によっては、退職金制度がうまく使える場合もあるからです。例えば、ある日系企業は、若手の独立を奨励して組織と事業を活性化する戦略をとっており、新卒入社後10年程度でまとまった金額がもらえるような退職金制度を導入していたそうです。退職金を独立開業資金として位置付けていたのですね。また、別の外資系企業は、平均在職年数が数年程度で、その年数でまとまった金額の退職金がもらえるような制度になっていました。人員の新陳代謝を促そうという意図があったそうです。このように、退職金制度は、会社が期待するキャリアパスを社員が志向する動機付けとして、賢く使えるケースがあります。そのキャリアパスを希望する人材にとっても、合理的で納得感が高い。「方法は、状況と目的によって決まる」事例ですね。
ここまで、下の図の赤い点線部分について話をしてきました。次は、青い部分について、です。
「退職金制度」に限らないテーマですが、大事なので。
青い部分については、上記記事にある通り、「勤めた期間が20年を超えると(所得税の)控除額が大きくなる」という仕組みがあります。日本の現状では、雇用がもう少し流動化した方が、新しい産業、新しい企業に人材が動きやすくなって、経済の活性化に効果的なのに、この税制が邪魔をしています。例えば大学を卒業して15年勤めた37歳の人が転職を考えた時、仮に退職金の金額が同じだとしても、節税のために、あと5年は転職を我慢する、ということが起きうるわけです。また、退職金制度や企業年金の設計をする時、この税制を前提にして、勤続20年以降なら退職金の額がグッと増えるような設計をすることもあるでしょう。上の囲み部分で紹介したような、企業の固有の状況に応じた退職金制度を作ろうという動機が損なわれます。
そういうわけで、日本の働き方をアップデートするには、「勤めた期間が20年を超えると控除額が大きくなる退職金課税」は廃止するべき、と考えています。
もちろん、そのままでは個人の税メリットが消えてしまうので、うまくありません。「確定拠出年金の非課税枠を上げる」のとセットがいいんじゃないか、と政策に詳しい知人に教えてもらいました。雇用が流動化していく状況に合う方法ですね。
今日は、以上です。ごきげんよう。