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所詮本人の主観がその人の世界を作る「ヤバい」のは日本か?
こういうニュースがあって、元のXポストを読んでみた。
日本やばいんよまじで
— 成田 修造 / Shuzo Narita (@shuzonarita) February 11, 2025
子供が電車や店でうるさいとキレられるし、ベビーシッターはいないし高いし、子供騒いでると近隣のジジババから苦情くるし、男性の育児参加も弱いし、フレックス制度も整備されてない会社多いし…
Xではリプライをしない主義なのでこちらに書く。
読んだ上で思ったのは、「自分らはネガティブな反応されている」と言う主観の被害意識だけで「日本ヤバい」って主語がでかいな、と。
ニュースなどではたまに報道されるが、「電車や店で子どもがうるさいとキレてる奴」には会ったこともない。「子どもの声がうるさい」と苦情言うジジババも(報道にあったから)実際いるんだろうとは思うけど、そんな偏屈なクレーマーは一部だと思うし、相手にしなければいい。
男性の育児参加も弱いとか書いてるけど、それもひとつひとつの夫婦によって事情が違うし、もしくは夫婦の合意のもとに「あんたは稼いで、家の事は私に任して」とサッカーでいうストライカーとゴールキーパーのような役割分担でうまくやっているご夫婦もいるだろう。その意味ではそのお父さんは汗水流して働くことそれ自体が育児でもあるんじゃないの?と思うし、それを否定する権利は誰にもないだろう。
街歩いてて子供がいてポジティブな反応になることほぼないどころか周囲の目が厳しくて親は孤独になるし
一体どこに住んでいるんだか。
ちなみにうちの近所には公園がたくさんあって、いつも子どもたちが「キャーキャー」遊んでいるが、厳しい目をしている人に会ったことない。
子どもが転べば見知らぬおじいさんが起こしてあげたりするし、それに対して「ちょっと、人の子に触らないでください」なんてヒステリックになる親もいない。
近くの幼稚園は、その公園で昼間子どもを遊ばせているが、公園までの道すがら、保育士さんが先頭と真ん中と最後尾について、子どもたちは手をつないで行進するのだが、誰かとすれ違うたびに「こんにちは」と保育士さんが声を出すと、子どもたちも「こんにちは」と声を出す。つられてすれ違った人達も笑顔で「こんにちは」と返す。
ホント癒される。
投稿者が「周囲の目が厳しい」と思うのは主観だからそれはそれでこっちはわからないことだけど、あまりに過敏すぎないか?
そんな主観で世界を見ていたらそら孤独を感じるだろうよ。
こんな引用ポストがあった。
けっこう違和感あるなー。… https://t.co/YrJWxHIqkA
— ヨッピー (@yoppymodel) February 12, 2025
そして、ヤフコメにもこんなのがあった。
関西のわりと都会のほうに住んでるけど、子供産んで周りの人に助けてもらったり親切受けることが多かったな。こんなにみんな優しいのかと感動した。抱っこひもで散歩してて、小雨が降ってきたら、近くを通りかかった車が路肩に停めて降りて傘を渡してくれた。返さなくていいから使ってって言ってくれたお兄ちゃん。すぐ近所だから辞退したけど、すごくすごく嬉しかった。知らないおじいちゃんおばあちゃんにも可愛い可愛いっていっぱい話しかけられて。東京都内だともっと都会だからな。やっぱ違うのかな。
世の中には、人から助けてもらえる人と助けてもらえない人がいると思っていて、前者は基本的に「いざとなったら自分も誰かを(咄嗟に)助けてしまう人」だし、だからこそ「自分が困った時にも誰かに頼ってもいいんだ」と思える人だと思う。そもそも他人をどう見るかは自分をどう見るかの鏡だから。
後者は、きっと「誰のことも助けないし、そんなの自己責任だろ」と思っていそうだ。だから「自分も誰の力の借りずにやってますが何か?」みたいな一種の傲慢なオーラを放つ。
そんな人のこと助けたいとは思わないよね。
厳しい目で見られているなんて所詮本人の唯識の世界に過ぎず、自分が厳しい目で他人を見てるがゆえの世界観。
自立とは「誰の力も借りない」ことではなく、「いざとなったら誰かに頼っていいんだ」という頼れることを信じられることを指す。社会は頼り頼られで成り立っているのだから。
「誰の力も借りないでやってます」みたいなのは、本人はそれを自立だと思うのかもしれないが、それこそが「孤立」である。
このポストの中でもっとも賛同できない点が以下。
子育てしてる人が孤独にならない場所を作ったり、子育てしてる人に対して褒めてあげるような広報策をやったり、ベビーシッターの方を安く活用できる環境を作ったり、そういうことをやってくれよ、小手先のお金支援じゃなくて流れを変えるような施策を打ってくれよ それやると子供を持ちたくても持てない人ガー、とかそういうのもどうでもいいから
子育て中の親が孤独にならないような場所の提供や、子育てをポジティブに評価する社会的なムード作り、そしてベビーシッターなどの支援をより手頃に利用できる環境の整備については全く異論はない。そういうのはやったらいいと思うよ。
でも、そのあと「子供を持ちたくても持てない人ガー、とかそういうのもどうでもいいから」とか切り捨てるのは違うんじゃない。
子連れでベビーカーを押している人だけがお仲間で救われるべき価値のある人間で、それ以外は全員敵なんすかね?どこかの界隈人みたいだ。
彼が「そういうのどうでもいいから」というのが本心でも別に結構。心の中で思う分には知ったことではないので自由にすればいいが、この流れでそれを書くのは違うだろ。完全に余計な一言である。
むしろそのような言葉は、彼の感じている問題をかえってさらに複雑にする可能性があるのではないか。
子どもが持ちたくても持てない人がいるだけではなく、現時点では結婚も子どもも現実的ではないにしろ、やがては誰かの親になる若者もいる。
そういう未来の子育て予備軍に「お前らも心の中では子どもうるさいと思ってんだろ」みたいな敵愾心丸出しで対峙してたら、そら「なんやねん、この親」ってなるだけだろ。
「よほど子供好きとか余裕がないと子供持ちたいなんて思わん」とか書いてるけど、子どもが好きでなくても、自分の子ができた途端に子どもが好きになるタイプもいる。そうやって人は成長するもんじゃないの?
「お子持ち様」みたいな話も話題になったが、どこの会社だって子どもが急に熱出して早退や休む親はいるだろう。育休の間、人員補給がされずに残った人たちでなんとかしなければならない場面になった人もいるだろう。
だけど、そういう人たちが全員「あの、お子持ち様め!」なんて思ってない。子を育てた経験の有無も関係ない。お互い様だから、って普通思うんじゃない?俺はそう思うよ。
万が一、「あの、お子持ち様めが」って思わせる人がいるんだとすれば、それは子持ちだからとか早退や休みを取るからとかじゃなく、そう思われてしまう要因が本人にあるんだろう、子どもの件ではなく。
もちろん、とはいえ、誰かが抜けた穴で大変になる側の人もいるわけで、それを「お互い様だから」という一言で片づけていいというものではない。
そのかわり、そのサポートした側に会社が何らかの形で便宜を図るなりすればいいだけで。
メンバーだけの「お互い様」だけでなく、経営側も「お互い様」になれればいい。社員の出生をみんなか言祝げるように。
体力のない中小企業に対しては行政が支援して「お互い様」にすればいい。国にとっても出生は歓迎することなのだから。
今のご時世、生涯無子率が男4割、女3割。やがて男5割、女4割は生涯無子になる。
生涯子を持たない人もかなりの数になるが、だからってその人たちを「子どもを持ったこともないくせに」などと言うのはダサい。
子を持たなくても、「誰もが皆、誰かの子どもだった」。子どもの気持ちは誰もが経験してきていること。
子どもは子どもなりに大人たちをよく見ている。親の感情の動きもよく見ている。親が笑っていれば、子も笑うし、そして安心して泣ける。余程裕福でもなければ、親が自分を育てるためにたくさんの苦労してきたことも後から知る。親以外に関わってきたたくさんの大人たちがいたことも皆知ってる。
子がいる、いないでつまらない分断・対立することこそ「ヤバい」だろ。
元ポストの中で唯一、賛同できるのは以下。
子供手当とか教育無償化とか、的外れなことばっかやってて
これはその通り、児童手当なんかはむしろやめて控除をまるっと復活した方が多分出生率はあがる。教育無償化も、百歩譲って公立高校までは是としても私立高校とか、ましてや潰れそうな私立大学をゾンビ化するために補助金使うなんてとんでもないこと。そんなのただの利権だから。
これに関してだけは「日本、ヤバい」と言える。
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