#教育をもっと自由に 〜3歳から始まるリクルートスーツと終身雇用
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こんにちは、uni'que代表、若宮です。
ちょっと思うことがあったので、新規事業の連載を始めたばかりなのですが今日はちょっと中断して、いつものビジネスの話とは違うテーマで書きたいと思います。
今日のテーマは「教育」です。
パンテーンの「#就活をもっと自由に」キャンペーン
先日、パンテーンの広告が話題になりました。
https://www.fnn.jp/posts/00369220HDK
日本の就活は確かに異様で、「リクルートスーツ」というその時しか着ないようなスーツをきて、その時しか履かない黒い革靴をはいて、街は見分けがつかないような、同じ格好の女子に溢れます。
出典:twitter
H.S. Kim @xcvbnm67890ふ~ん、これが日本の就活女子ファッションなんだ。就活とかしたことないから知らなかった。黒のスカートスーツにポニーテールは分かるとしても、ベージュのトレンチコートを着なきゃいけないルールとかあるの?
https://twitter.com/xcvbnm67890/status/972499683183550469
「多様性」とか「個性」を大事に、っていうのはどこ行ったんだろ、って思うわけですが、こういうところから議論になり「就活」は少しずつ変わっていくのかもしれません。とてもいい事だと思います。
また、僕はこの広告をみて、これと同じ違和感を感じたことがあるのを思い出しました。
それは、「お受験」です。
「お受験スーツ」で合格する?
ある時期になると、まだ小さな小さな子供が、ほとんどコピーのように同じ格好をした親御さんと連れ立って、塾に通っているのを目にします。
「リクルートスーツ」に負けず劣らず、「お受験スーツ」というのも結構異様なのではないかなと思います。
たとえば「お受験スーツ」でググると↓のような濃紺のスーツがそれはそれは沢山出てきます。
「個性を伸ばす」と謳っている私立の幼稚園なはずが、かくも同じような格好ばかりになってしまうのはなぜでしょうか。
なんといっても、お受験をするのは親ではなく子供です。それなのに、親がみんな、「お受験スーツ」を着る。
商品説明には「合格!」と謳われています。子供の受験なのに親のスーツで「合格!」を勝ち取るわけです。
就活とお受験の共通点
この二つのケースでほとんど同様な、驚くほどの画一性が生まれるのはなぜでしょうか?
考えてみると、そこにはいくつか共通点がありそうです。
まず一点目に、”面接で選抜される”ということ。
どちらも志望する人を受け入れ側が選抜します。
しかもそこに、ペーパーテストだけではなく、「面接」という恣意性が高いプロセスがあるのです。
「第一印象」という極めて曖昧な評価。受ける側は、これを気にして「少しでも減点要素をなくそう」として、画一に向かっていくのです。
そもそも、日本の教育はかなり減点主義で動いています。なにか個性があった場合にプラスになるのではなく、人との違いで減点される。
それを避けたいと思うあまり、突っ込まれる要素をなるべく減らそうとなるわけです。
理想を言えば、採用面接もお受験も、本来は相性をみるマッチングであるべきで、一方的に選ばれる、というのものではないはずです。
そう考えると「受かる」という感覚が本当はおかしいのですが、なかなかそうはならない。
なぜか?それがもう一つの共通点、「固定性」です。
終身雇用という固定性
就活もお受験も、「入る」ことで人生が決まってしまうような、終身雇用的な感覚があるのです。
いい会社に「受かれ」ば勝ち組。有名私立幼稚園に「受かれ」ば人生は安泰。そのような感覚です。
ただ、就職の方に関していうと、これから終身雇用は間違いなく崩壊していくでしょう。
一度入ったらそれで一生勤め上げる会社、というのは徐々に減り、転職が当たり前になり、流動性があがるでしょう。
また、複業も当たり前化してきて複数の会社で働くケースも増えてくる。
そうなると「結婚したら離婚できないので、横暴な亭主でも我慢する」みたいな必要はなくなります。亭主関白が減ったように、会社も選び選ばれる関係になり、従業員を惹きつけるように常に魅力的であろうと努力するようになっていきます。
では、教育はどうでしょうか?
幼稚園受験でのエスカレーターの教育がもっとも顕著な例ですが、基本的に日本の教育は一度入ったらそのルートを変えることは難しいと思います。ちょうど「終身雇用」のように、入口のお受験でその後の学生生活、人生の前半部分が決まってしまうのです。
大学受験でも、海外の大学などに比べ日本は圧倒的に「入口主義」だと言われます。
けれど本来、教育や学びというのは、「どこで学んだか?」ではなく「何を学んだか?」「なにを伸ばしたか?」の方が大事なはずです。
「転職」や「複業」が当たり前になって来たように、子供のその時々の適性や段階に合わせて色々な学校の教育を選べる、そんな風に教育ももっと自由にならなければいけないのではないでしょうか?
そういう意味で、僕は孫泰蔵さんのこちらの記事にとても共感します。これからの教育を考える上で必読だとおもいます。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/082900029/090500002/?P=5
文中にこうあります。
「選択肢をうんと広げて、学校に行ってもいいし、行かなくてもいいし、複数の学校に行ってもいいし、学校ではない他のところで学んでもいいというような、『社会全体』で学べる環境を創ろうよ」
僕も二人の娘を持っています。どちらも小学生ですが、もし、本人が強くいきたい学校があるのであれば、中学受験も選択肢として用意してあげたいとは思います。けれどそのために塾に通い、ドリルの宿題をこなしている娘を見ると、これでいいのか?それ、AIがやるやつだよ、とも思います。じゃあいきなり学校にいかないという選択肢が取れるか?というと、今の社会では苦労するのではないか、と不安があるのも事実です。
しかし、終身雇用が壊れていき、就活も変わりつつあるように、教育もこのままではいけないのではないでしょうか?
まだ何が正解かはわかりません。ですが、就活のように画一的な服を着て、お受験で選抜され、終身雇用のように入口が決まったら人生が決まってしまう、教育にそういう選択肢しかない社会はやはり閉塞的だなあと思います。
そして、教育は価値観を再生産します。就活生にもっと自由でいいんじゃん、とか、個性出そうぜとか、創造性とかイノベーションとか言ってもなかなか変わらないのは、根っこの教育のせいも多分にあると思います。だから僕らは社会人(社会をつくる人)として、受験の列に並ぶだけでなく、教育のこともこれからつくっていかなくちゃならない。
いま、uni'queをやりながら「正解のない教育」と「教育を社会と接続する」ということを考え、少しずつですが実験を始めています。
悩みながらですが、できるだけ「当たり前」にしばられず親としても、新しい教育のあり方を考えていきたいと思っています。
お子さんがいらっしゃるみなさん、どう思われますか?
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