AIは私たちに「気づき」を与えるか?
毎日のように目や耳に飛び込んでくる AI (人工知能)関連のニュース。 特にChatGPTを代表とする生成AI が登場してからは、AIが私たちの対話相手、身近な存在となる未来もグッと想像しやすくなってきたように思います。でも、同時になんともいえないモヤモヤ感が…AI は私たちにとってどんな存在に…パートナー?仲間?それとも敵?未来には一体どんな関係性が築かれるのだろう。
こんにちは、フリーランス×チームの働き方、ナラティブベースのハルです。
先日、日経新聞社さんからのご招待で「日経フォーラム 国際経営者会議」のカンファレンスをいくつかオンライ視聴させていただきました。印象的だったのは、やはりここでもほとんどの講演の未来展望でAIの話題が取り上げられていたこと。今日は、その中で「コーチングにAIが活用される」というお話しを受けて考えた、AIは私たちに「気づき」を与えるか?というテーマについて書いてみたいと思います。あなたは、AIとの関係性においてどんな未来をイメージしていますか?
AIに「問われる」ときの気持ち
「日経フォーラム 国際経営者会議」で、法人を対象としたコーチング事業を手がけるコーチ・エィ社長鈴木義幸氏の講演を視聴しました。変革が迫られる大企業で組織の裾野までコーチングを取り入れ意識変革を促そうとした場合、多くはコストが課題になります。そこで、世界のトップコーチの言語パターンを学習したAIがパソコンやスマホを通して「問い」を立ててくれるというAIコーチングシステムが登場し、今まさに提供がはじまったということです。
わたしにパッと浮かんだのは、自分が AI にコーチングをしてもらったら「どんな気持ちになるんだろう」という疑問でした。メリットよりも情緒面を真っ先に思い浮かべた自分の反応から少し掘り下げてみたいと思います。
わたしはこれまでchatGPTに知識やアイディアを尋ねるといった能動的なアクションはしたことがありましたが、AIから問われて思考を進めるという受動的なアクションの経験はありません。だから上手くイメージが湧かないのかなとも思いましたが、両者は同じAIとの対話だとしてもなんだか本質的に異なる感じがしたのです。単に能動/受動の問題というより、なんだろう?なにかモヤモヤする…。
考えてみると、私たちは普段から何かを問われたとき、「相手が誰か」によって答え方を変えています。それは相手がどういう人か、自分とどんな関係性であるか、話をどう受け止めそうか、無意識にも相手を感じ取り反応しています。おそらくAIに問われるときどんな気持ちになるのか?といった不思議な感覚は、「誰か」がわからない中で問いに反応できるのかという感覚からくるのかもしれません。
「気づき」の身体感覚
もう一つ、身体感覚がともなわない「気づき」は行動を変えられるのかという疑問も湧きました。
わたしも会社の経営や自分自身の変容に悩むときコーチングが役立った経験があります。その時感じた価値というのは、自分でも気づかなかった価値観が表出したり、その瞬間が日常の中で思い起こされて起きる意識や行動の変化です。AI コーチングシステムでも同じように、従業員になんらかの「気づき」を与え、その行動を変えていくことに目的があるかと思います。
確かに、AIの「問い」によって頭が整理されたり、物事の解釈のヒントをもらったりと思考が進むことはあると思うのですが、思考が進んだだけでは行動が変わるほどの「気づき」にはならない気がするのです。
自分の経験からも「気づき」はもっと情緒や体感を伴ったものというか、その瞬間が何度も思い出されるという感覚が強くあります。小田和正の曲ではありませんが「あの日、あの時、あの場所で」 こんな話をしたなとか、パァーッと開けた感じだったなとか、そうそうあの時めちゃくちゃ寒くてとか、そんな瞬間が身体感覚として残り、いつでも引き出せるような。。。そしてそのときの感覚を自分で刻むために、味わったり、人に話したり。もっと言えば、そういった身体感覚を共有するのが「仲間」なんだと思うんですよね。
成長に欠かせない「仲間」という存在
自分が変化、成長していく上で「気づき」のよろこびは一番のドライバー(推進力)だと思います。思考というより体験なのです。だからこそ、そこには、その瞬間を「共有する」よろこびも必要ですよね。共有することで、心に深く刻まれたり、相手と相互に刺激しあう、有機的な成長を生む流れを生む大事な起点になるのだと思うのです。
そういう意味では、現段階のAIからは「気付かされる」ことがあっても、
「気づきを共有する」ことは難しそう。「誰か」わからない、「身体感覚」がない相手は、まだまだ道具でしかなさそうです。
生成AIが浸透しはじめた今が、AIに「知識やアイディアを求め頼る段階」だとすると、ここから「問いや刺激を受け気づく段階」が始まっていくのでしょう。そして、それはいつか「成長をともにする仲間という存在」へ変わっていくのでしょうか。
それには、私たちがAIに一方的に何かを尋ねて頼るマインドではなく、引き出し引き出される関係、有機的に価値を生み出していく関係を目指した協業するマインドをもって、その発展を展望し創っていかなくてはならないなぁ、そんなことを感じました。
AIはどこまで進化できるのだろう。
私たちがAIと仲間になる日は来るのだろうか。
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