「幸せ」という「自然の理(ことわり)」
「幸せ」とは、40億年かけて生命が培ってきた、生存と繁栄のための自然の理(ことわり)である。
まず「幸せになるための手段」である「行為や環境」(例えば「風呂上がりのビールが幸せ」)のことと、その結果人に生じる「幸せな状態」をきちんと分けて議論することが重要である。
前者は人や文化によって異なり、大変多様である。後者は、体内に生じる生化学的なフィードバック反応なので、99.99%以上共通のDNAを持つ人類に共通であり普遍的である。
幸せという状態を、「体内に生じる生化学反応」や「生理的なフィードバック現象」と捉えるのには、幸せを文学的、哲学的、あるいは経済的に捉えてきた人には、抵抗があるかもしれない。
しかし、それらの多くは前者の「幸せになるための手段」あるいは「幸せのための行為や環境」の議論である。もちろんそれも重要である。ただ、これと、幸せな状態をきちんと分離して議論した方が分かりやすくなるし、より科学的なのである。
体の中では、環境の変化に応じて、無数のフィードバックが常に起きている(ホメオスタシスと呼ばれる[1])。血管の弛緩や収縮であり、血液中のホルモンや免疫反応などに伴う分子の増減であり、筋肉の弛緩や収縮であり、内臓の変形と生成される酵素量の増減であり、これらと連動する脳を含む神経系の活動変化である。しかも、これらは、互いに連動し、相互に影響を与えあっている。その全体を捉えることが必要である。
生物は、この身体内で起こせるフィードバックをうまくつかって、ある種の状態を奨励するポジティブなフィードバックと、ある種の状態の回避を促すネガティブなフィードバックを40億年の進化の中で生み出した。
これは、そのようなフィードバックの仕組みを持っている方が、種として生き残りやすく、繁栄したからである。よいフィードバックを「幸せな状態」と呼ぶことで、「幸せな状態」の定義が明確になる([1,2]を参考にした)。
実は、この「幸せ」という体内のフィードバック反応に沿って生きることは、40億年かけて生命が培ってきた、生存と繁栄のための自然の理(ことわり)に沿って生きるということである。
これを、単に一時的な「快楽」を求めることを誤解しないで欲しい。生命が見出した自然の理はそんなに単純ではない。一時的な快楽を超えて、時間軸の異なるフィードバック現象が組み込まれているからである。
この点で、ユヴァル・ハラリ氏が『ホモ・デウス』で、生化学的なフィードバック現象を狭く一時的な快楽と捉え、究極的には薬物による一時的な快楽に向かう可能性を指摘している[2]のは違うと思う。それは生体のフィードバック現象の一面に過ぎない。現実には、以下の3つのフィードバック成分がある[3]。
第1は、長期でゆっくりとした変化しか起きない「性格」などのフィードバック成分である。これは遺伝や幼児期の生活習慣などによって、上記の体内のフィードバックの仕組みが受けた影響と考えられる。これは、生物が、進化の悠久の営みの中で、多様な個体への探索を行っている一部に我々も寄与しているということである。
第2が、短時間に秒単位で増減する変化である。その分、一旦上昇しても、下がるのも早い。一時的で、持続しない成分である。これは、例えば、ボーナスや宝くじや表彰や昇格のような、外部から与えられる要因が代表であり、多くの「快楽」はこれに分類される。このような外から与えられる環境条件には、すぐに慣れて感じなくなってしまうのである。おそらく、このように一時的にしておかないと、次のことに取りかからなくなるので、一時的にする方が、種の繁栄に有利に働いたと想定される。
第3が、より穏やかなポジティブなフィードバックが持続的に続くものである。日々の生活や行動習慣によって高めていくことができるものである。「持続的な幸せ」の成分といえる。これは、自転車に乗ったり、楽器の演奏などとおなじように、訓練や学習によってさらに持続的に高めていけるのである。これには、個人レベルでの「心の資本」と集団レベルでの「関係性の資本」[4]がある。
心の資本は、未知の変化に果敢に挑戦し、困難に立ち向かう強さを持つことで得られる持続的な幸せである。関係性の資本は、人との共感や信頼や助けあいに伴う生じる持続的な幸せである。そして、両者ともに、今テクノロジーで、計測と改善が可能になってきているのである[5]。
この自然が40億年かけて獲得した幸せというフィードバックの仕組みは、よく考えると大変うまくできている。まず、DNAの個体の変異を通じて、多様な個体を生み出すことで種として新たな可能性を常に探索する。さらによりよい環境条件になった時には、その変化の後に一時的に、ポジティブなフィードバックを与えることで、その重要性を認識させつつも、そこに留まることを避けるためにそれは短時間に留めておく。そして、未知への挑戦とそのための集団としての協力に対しては、必ずしもすぐに結果が得られるとも限らないので、その挑戦自体にポジティブなフィードバックをより穏やかに、そして持続的に与えることで、社会の持続的な発展を促す。
なんと巧妙な仕組みであろうか。我々は、この「持続的な幸せ」を推奨する生体のフィードバックに耳を傾け、これを高めることをもっと大事にすべきなのである。
人類が生まれた理由もまさにこの協力に基づく挑戦にあるのである。これをチャールズ・ダーウィンは、『人類の由来』[6]の中で述べている。「最も互いに共感をもつ個体が多くいる集団が繁栄し、子孫を多く残せたのであろう」。
まとめると、人やその集団に生じる生化学的なフィードバックを活用し、40億年かけて培ってきた進化の知恵、すなわち自然の理に沿っていきること。それが幸せの本質だ。
[1] アントニオ・ダマシオ『進化の意外な順序』
[2] ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』
[3] ソニア・リュボミルスキー『幸せがずっと続く12の行動習慣 』
[4] Fred Luthans, "Psychological Capital"
[5] 矢野和男『データの見えざる手』
[6] チャールズ・ダーウィン『人間の由来』