「50年ぶりの円安」に思うこと~「成熟した債権国」としての相場観~
「50年ぶりの円安」が話題です:
実質実効為替相場(REER)の地盤沈下とも言える動きは多くの人が注目するドル/円相場の水準とは別に、日本の物価情勢が海外のそれと比較してあまりにも劣後していることの裏返しであります。その意味でデフレが問題視される中、コロナ前からじわじわ進んできた話ではありますが、ここにきてインフレを最大の関心事とする海外とそうではない日本の物価格差は著しいものになっており、当面はこの傾向が続きそうです。日本の関心事は今もこれからも新型コロナの新規感染者数になりそうですから、活況を呈する海外経済の体温である物価と大きく差を詰めるのは困難でしょう。
今、緩和を強調する意味はあるのか
こうした中、2月16日の衆院予算委員会第一分科会で、黒田日銀総裁は現時点でバランスシートや政策金利の調整を検討する段階ではないと強調しました。今や緩和を継続することによって得られるメリットは相当見えにくくなっている一方、ただでさえ高い輸入物価が円安で押し上げられるデメリットの方が注目されやすい状況にあわけですが、頑として日銀の基本姿勢は変わらなそうです。特定金利水準における無制限国債購入である指値オペについても、引き続き運用の構えを見せております:
もちろん、金融緩和は円安の一因に過ぎないでしょう。しかし、REERが半世紀ぶりの安値だと悲観されている時に、わざわざ緩和継続を強調する情報発信は理解が難しいものです。今の日本経済にとって最悪のシナリオは制御の難しいヒステリックな円安が起きることで資源高と通貨安が併存することではないでしょうか。そのような事態は資源輸入国にとって激しい所得流出と同義です。
日銀が緩和を修正しても円高になる保証はありません。しかし、円安抑止の一助にはなり得るでしょう。最悪の展開は金融市場から円安抑止を催促される格好で政策を調整する流れであり、このパターンに嵌まると際限なく引き締め措置を求められる可能性が高いと思います。かつて、白川前体制が円高抑止の最中で際限なく緩和措置を求められたことの逆パターンです。
それゆえ、「円安は日本経済にとって痛手」とテーマ化される前に少しずつでも円安抑止のための方策を検討、実施することが賢明に思われます。今回の答弁で黒田総裁は「現時点で緩和からの出口を検討する段階にない」とも明言しています。もちろん、「検討していない」ことと「検討しているが言わない」ことは違うので内部では粛々と検討が進められているのかもしれません。ただ、以下で見るように、円相場の構造自体がかつてとは大分異なっており、円高への軌道修正自体が自然体ではさほど期待できないことも金融政策運営上、勘案すべき事態になっているように筆者は感じています。
基礎収支に見る円の構造変化
「円相場の構造自体がかつてとは大分異なる」という事実に着目した場合、やはり貿易赤字の慢性化や対外直接投資の増加といった国際収支上の構造変化が目につきます。円が安全資産とみなされる最大の理由としては「世界最大の対外純資産国」という潤沢な外貨建て資産の存在が持ち出されることが多いのは周知の通りです。
そこで一国の対外資産・負債残高に変化をもたらす伝統的な計数として基礎収支の考え方があります。基礎収支で純流入が続けば対外純資産は増えやすいですし、純流出が続けば対外純負債は増えやすいです(資産価格の変化でも対外資産・負債残高は変動するのであえて「やすい」という曖昧な表現にとどめています)。基礎収支は現在ほど国際資本移動が活発ではなく長期資本と短期資本の判別が容易だった時代、一国の通貨の信用力に大きな影響を与える計数として注目されました。しかし、活発な国際資本移動が常態化した今、為替市場の思惑に沿って当該国の通貨が売られ続ければ、基礎収支が健全でも対外支払いが困難になるケースも想定されるでしょう。ゆえに基礎収支の意味は時代と共に薄れていると言われます。その通りだと思います。
とはいえ、対外決済能力以前の問題として、基礎収支の姿が従前のそれと明確に変化しているとすれば、当該国にとって無視できない構造変化として注目する価値もあるのではないでしょうか。経常収支とネット直接投資を合計したものを基礎収支と見なし、その趨勢を1990年代後半から追ってみると、日本の基礎収支は純流入が続いてきましたが、2012~13年頃を境として断続的な純流出に直面していることが分かります:
例えば毎月の基礎収支に関し、2002年1月から2011年12月までの120か月間(10年間)の平均を取ると+9530億円であったのに対し、2012年1月から2021年12月までの120か月の平均を取ると▲183億円の純流出(概ね均衡)でした。もっとも、日本の対外純資産はこの間も増加を続け、それが世界最大である状況は今も変わってはいません。これは外貨を順当に稼ぐという数量要因ではなく、円安による価格要因が寄与した部分も相当に大きかったからではないかと思います。実際、2013年以降、円相場はそれ以前のようなパニック的な騰勢に見舞われていません。その背景に基礎収支の変質がある可能性は否めないでしょう。図示の通りですが、基礎収支の趨勢変化はネット直接投資の純流出が過去10年で顕著に大きくなったことに起因しています。
「成熟した債権国」としての相場観を
ちなみに基礎収支だけを見ていると経常黒字の水準はさほど変わっていないことも目を引きます。経常黒字に関し、2002~2011年累積額と2012~2021年累積額を比較してみると、経常収支は約+172兆円から約+144兆円と減少しているものの、依然高水準です。これは貿易黒字が消滅した分、第一次所得収支が増えているからであり、国際収支発展段階説における「未成熟な債権国」から「成熟した債権国」へ着実に歩を進めた格好です。
以下のように図にすると分かりやすいと思います:
上記の2つの期間を比較すると、貿易黒字は約+96兆円から約▲8兆円へ赤字転落していますが、第一次所得収支は約+125兆円から約+195兆円へ大幅に黒字が拡大しています。結果、経常黒字の減少が限定的なもので済んでいるわけです。理論上、次に到来する段階は「債券取り崩し国」であり、貿易収支の赤字に加え第一次所得収支も赤字へ向かい、代わりに海外からの資本流入に依存するという姿が想定されます。もちろん、そうなるまでの時間軸は長く、例えば上述のように10年程度の時間軸と共に確認するものでしょう。
しかし、「未成熟な債権国」から「成熟した債権国」へ段階が進んだ時点で、アウトライトの円買いをもたらす貿易黒字は消滅しており、第一次所得収支の黒字の多くが円転されずに外貨のまま再投資(もしくは留保)されるという実務的な事実があります。このような変化を踏まえれば、「円高への軌道修正自体がもう自然体ではさほど期待できない」という円の価値にまつわる意識変化、およびこれに伴う危機感が日銀(に限らず日本の政策当局者全体)に抱かれても良いのではないかと思います。持つべき通貨への相場観は「未成熟な債権国」と「成熟した債権国」では違って当然です。
今、我々が目にしている資源高が脱炭素社会に向かう中での構造的変化と言われていることを思えば、済し崩し的に「物価が上がっていないから緩和を続ける」と言い続けるのではなく、資源輸入国かつ「成熟した債権国」の通貨としての円の価値にも配慮しながら、財政・金融政策を調整する発想も重要に思います。この点、日本社会においては2013年以降の異次元緩和を経て、「円安イコール良いこと」と見なす価値観が確実に変わってきており、為政者の意識変化より若干先を行っているようにも見えます。そうした価値観の変化を促したという意味で黒田体制の下での異次元緩和にも多少は有意義な面もあったのかもしれません。