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ダイバーシティの非礼、を考える〜①多様化って本当によいことなのか

ダイバーシティという言葉には、とても良い響きがあります。性別・年齢・人種・宗教など様々な違いをそれぞれが認め合い、尊重しあって働く環境が多様性のもたらす効果であり、そうした考えのもとでの企業経営を彷彿とさせるからです。いいことなのです。

でも、わたしは言葉としても、そのニュアンスも、あまり好きではありません。好き嫌いを明確に説明するのは難しいのですが、おそらく、ダイバーシティというのはある種の非礼の裏返しであると感じられるからではないかと思います。そもそも“多様化”というのは、本来はこれが筋だけど、という考え方が根底にあってこそ、だから。ダイバーシティを振りかざさなければならないのは、本筋があって本筋じゃないものも認める度量を主張しなきゃいけないからではないか、と思えるからです。

屁理屈かもしれません。でも、やっと女性活躍と言われる現在、わたしはすでに30年近く働いています。男女雇用機会均等法は1987年です。わたしが働きはじめの頃にですら、何人もの女性の先輩たちが、自分で働いた以上のお金を使って、子育てと仕事の両立をしていたのを思い出します。それに比べれば今のなんと温かい環境!周りの理解!。でも、もっと気になってしまうのが、ここまで多くの女性たちが何十年もかけて仕事と子育てをしてきたにも関わらず、今更の“ダイバーシティ”の流れ、注目度。

仕事に対して性別が関係ないのなら、性別は問わなくていい、という時代が来て、それが自然に受け入れられる時代になって、我々の中でのダイバーシティは漸く完成するのであろうけれど。でも、性別が関係する仕事も依然として残る以上、何を持ってダイバーシティという発想が完成するのか、本当は不明。

なかなか悩ましいけれど、“ダイバーシティ”をかざしておけば正しい、という考えに安易に流れて満足している状況だけは間違っているのではないか。捻くれものかもしれないが、一意見として聞いてもらえれば、と思います(続く)。


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