Clubhouseはソーシャルメディアなのか?「ネオ・マスメディア」としてのSNS
この1週間ほど、Clubhouseという新しいサービスが Facebook や Twitter などで話題になっている。
すでに日経新聞にも記事が出ているので、サービスの詳細についてはそちらに譲りたいが、 「音声版 Twitter」という紹介に象徴されるように、新しいソーシャルメディア/SNSのひとつであるという紹介が一般的だ。
しかし、このClubhouseは、SNSとしてひとくくりにしてよいものなのだろうか、ということを、この数日考えている。Facebook や Twitter なども含めて、今日のソーシャルメディアやSNSと呼ばれるサービスは、マスメディア的な性格も帯びた、いわばネオ・マスメディアというベき状態になってきているのではないだろうか。
マスメディアとソーシャルメディア・SNSの違いは何か。これは定義の問題にもよるので一概には言えず難しいところであるが、ここでは下の図のように整理してみた。
マスメディアは基本的には送り手と受け手が双方向ではなく、時々カメラを向けられマイクを向けられるという形で情報の受け手であるリスナーあるいは視聴者が登場する例外はあっても、原則的には送り手から受け手に対しての情報が一方通行になるものである。
この状況の中で情報の受け手である人たちは、自分がその送り手側に立つことに憧れを感じる。例えばテレビの取材などでカメラを向けられるとそれに喜んで取材に応じるといったこと、あるいは取材する側(送り手)が、カメラやマイクをむければ、相手(受け手)は当然のように取材に応じてくれるであろうと期待することはそれを物語っていると言える。
一方で、ソーシャルメディアの原始的な形態は、誰か強い送り手がいるということではなく、ゆるい繋がりによって誰もが対等に近い形でネットワークを形成し、そこに双方向のコミュニケーションが成り立っている状態である。象徴的には、日本でTwitterが普及しはじめた2000年代終わりの数年の状況がそうであったと、私自身がその中にいたので今でも強く感じる。特別に著名な人がその中に参加していたというわけではないが、一定の業績を持っていたり定評を持つ人が会社や業界を問わず参加していて、そういった人たちを核としながらも、必ずしも特定の人に情報発信が集中するのではなく、相互に情報発信をするということが2010年くらいまでの数年間は続いていたように記憶している。このころ、Twitterはマネタイズできるのだろうかと、数日前にClubhouseについて言われているようなことが語られていた記憶もある。
その後、Twitterの普及に伴い、芸能人や政治家といった著名な人たちが Twitter を利用するようになり、ビジネスアカウントとして会社やお店が Twitter を利用するようになった頃から、徐々に、特定の著名人が書いたツイートを多くの人が読むという、マスメディアに近い状態が生まれてきたと思う。一方で、著名人を取り巻く人たち(情報の受け手)同士のつながりは薄れ、その代わりに横のつながりは著名人を介する形で有料オンラインサロンとしてマネタイズされていった。この状況になると、情報はほぼ一方通行であり、時々核となっている著名人がリツイートやシェアなどをして取り上げてくれることはあるが、基本的には有名な人がそれ以外の人に対して情報をほぼ一方的に流していくという意味ではマスメディアの構造に極めて近いのが、現在の、多くのユーザーにとってのソーシャルメディアの姿、といえるのではないだろうか。
これと同じプロセスが、この約1週間ほどの間にClubhouseでも急速に起こったと感じている。先週の前半までは、言ってみれば Twitter の本当に初期の頃のような状況が生まれていたようなのだが、ここ数日になると既にTwitter が日本である程度使われるようになってから数年後のような状況に既になっているような感覚がある。言ってみれば、Twitter が数年かけてたどった変化を、Clubhouseでは数日のうちに起こしてるような印象がある。
では、マスメディアとこうしたClubhouseのようないわゆる ソーシャルメディア/SNS の違いは何かといえば、受け手側の匿名性の有無だ。テレビやラジオといった伝統的マスメディアであれば、受け手側のリスナーや視聴者は、お互いに横のつながりがなく匿名の個人として存在する。しかし、Clubhouseや Twitter であれば誰がその受け手であるかというのは可視化され、言ってみれば、送り手側に立てる人とそうでない人(受け手のみの人)が明確に見えてしまう。
Clubhouseでは、あたかもテレビが時々通常は視聴者である人にマイクを向けて登場させるがごとく、roomの主催者がリスナーの中から手をあげた人を招いて発言させることができるようになっている。ここでは残酷なまでに、主催者から招待される人とそうでない人が可視化されることになる。
こうした現在のソーシャルメディアの特性を、従来のマスメディアとの違いを加味して「ネオ・マスメディア」と仮にここでは呼ぶことにしたい。こうしたネオ・マスメディア化は、Clubhouseに限らず Twitter や Facebook などでも起き(はじめ)ていたところであり、これが今後のメディアのあり方として定着していくのかもしれないと思っている。ある面ではマスメディアへの回帰現象とも捉えうる動きである。
ネオ・マスメディアはその中核となる情報の送り手が、マスメディアとは異なりある種の権威や正当性を付与されている存在であるとは必ずしも限らない。その点に、情報の不正確性や恣意的な情報の伝達あるいは意図的な情報操作といったものが起こりうる可能性があり注意を要するとは思う。一方で、マイナス面だけではなく、こうしたメディアの利点というものもあるはずだと思う。
もちろん、これはClubhouseなどの使われ方の一面であって、それ以外に幅広い使われ方がされているし、そういう使われ方のすそ野は幅広くあって欲しいと思う。ただ、一国の政治指導者を選出することにソーシャルメディアの影響力を無視できない時代でもある。これまで、こうした新しいメディアについては ソーシャルメディアやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)として一括りにされマスメディアと対置されてきたが、そろそろ認識を変えて、マスメディア的な性格を帯びたデジタルメディアという捉え方を意識的にしていくべきではないか。ここしばらくのClubhouseにまつわる動きを見て、そんな思いを強くしている。