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日本にとって、古いけれど切実さが加速している課題である、英語の問題
熊本にTSMCの工場が進出したことに関しては、ポジティブな側面の報道が目立つが、実際にはTSMCの求める人材を日本側で十分に用意できなかったという問題がある。あまり詳しいことは公式には明らかになっていないが、TSMCは予定していたよりも多く、数百人規模で台湾から人を連れてこざるを得なかったようである。すでに第2工場は熊本で建設することが決まっているが、第3工場に関しては慎重になっているという報道もある。この理由の一つは、人材確保難の問題である。
第1工場が完成する前、今から数年前になるが、熊本のTSMC(JASM)の求人を私は見ていた。それによると、応募資格の学歴は高卒(以上)であるものの、その一番最初の条件として英語力が必須であり、中国語ができればなお良し、という応募条件であった。そして、この工場の作業員の仕事は、一般の日本人がイメージするような、たとえばネジを締めるといった単純な作業ではなく、生産管理を行うにあたってITの知識や能力を用いる作業であり、果たしてそのような高卒が日本にどれだけいるのかという疑問が残る求人内容であった。ナノメートル(10億分の1メートル)といった細かさで半導体を製造していくので、人間が製造自体に介在する余地はなく、機械が製造することに対する監視やトラブル対応を担うのが半導体工場における現代の工場作業員の役割である。
ここにおいて、一番最初に英語力があることが必須条件、という点は非常に象徴的であると思う。もちろん、日本でも義務教育の段階から英語の教育は行われており、高校でも当然、英語の授業が実施されている。しかし、こうしたTSMCの工場で要求されるような水準の英語を使いこなせる高校生がどれだけ存在するのか、進学を選ばず高卒で就職する高校生を母集団とするわけなので、なおさら少ないであろうことは想像に難くない。
こうした日本の現状の裏返しが、この記事に見られるインド人の日本企業への採用問題に如実に表れている。表向きは「英語でOK」と言いながら、実質的には英語が使えなければならないというのが本音であるという内容だ。
もちろん、日本に暮らす以上、日常生活である程度の日本語が必要になることは、誰であっても同じである。しかし、仕事で求められる日本語の要求水準と、日常生活で求められる日本語の水準は全く異なる。たとえば、自分のことを考えても、よく訪れる国では、日常会話において(英語以外の)現地の言葉を一定のレベルで話すことは可能であるが、それと、現地語でビジネスを行えるかというのは全く別の話である。
今後、日本は人口が減少し、特に生産年齢人口が激減していくことは改めて言うまでもない。その空白をどう埋めるのかといえば、ひとつは機械化や自動化、ないしは最近であればAIの活用となるだろうが、もうひとつは外国の人材に頼ることである。その際、いつまでも日本語ができることにこだわっていて、十分な人材が集まるのだろうかという疑問がある。
かつて、日本の経済は強く、少なくともアメリカに次ぐ規模で、「ジャパンアーズナンバーワン」と呼ばれた過去もあった。しかし、現代においては、中国にとっくの昔に抜かれており、世界全体の中では上位にあるとはいえ、もはや上位3位にある状態ではなく、また人口減少、すなわち市場の縮小によって、今後も日本の経済力は残念ながら低下していくと考えるのが順当であろう。
いつまでも日本語にこだわっているのであれば、そうした能力を身につけている人は外国人の中でもごく限られた範囲に留まる。英語は、世界共通語として使われているものであって、単に生まれつき英語を話す国の人々だけのものではなく、もはや世界のビジネスパーソンには標準的に求められている現実がある。こうした現実に、今後日本がいかに追いついていくのかという点が、目新しさはないが一層切実な課題だ。
そして、そうした対応を進めることは、言葉だけは先行して盛り上がっている「インバウンド」を高い水準で受け入れ続ける前提となる。また、日本の対応は遅れているが、昨今、海外では、デジタルノマドビザによる高度人材を引き付ける施策などによる経済の活性化が進んでおり、これにも必要不可欠な要素となっている。
日本人は決して英語が喋れないわけではないが、「間違ったらどうしよう」といった恐れや恥ずかしいという気持ちから、能力はあっても実際に英語を運用することができない人が多く存在する。こうした人々からまず恐れや恥ずかしさを取り除く必要があるだろうし、そもそも、高校までの基礎教育における英語教育のレベルアップ、つまり英語自体の知識を高めるというよりは、英語の実際の運用力を向上させる取り組みが喫緊の課題になっている。これが実現すれば、もう少しパスポートを取って世界を見に行く人(特に若い人)も増えるのではないだろうか。