ねえ、みなさん、リラックスしましょうー世界経営者会議をみて、そう思ったのです。
アジャイル、すなわち「素早くあれ」と盛んに言われます。慎重であるために「かたまっている」のは、もう完全にアウト、と。
で、よく言われるのは「失敗しても何かやるのが大切」ですが、およそ失敗かどうかなんてのは瞬間的な状況判断に過ぎないので、「失敗に寛容」を強調し過ぎるのもそもそもどうか・・・と思うのですね。
また、「未完成でもバンバン市場に出せ」との積極風のセリフもよく聞きますが、これ、供給者の一方的ロジックなんですよ。そりゃあ、市場にいる人を実験台にするとあまりに大ぴっらに言われ、モニター的にさまざまの試験を受けるのは人々にとっては迷惑極まりないわけです。一つならいいけど、次から次へ生半可のアプリを提供されても使いたくないですよ。
およそ倫理観ってどうなの?と思われてもおかしくない。
だから、カンファレンスに登壇している人が「アジャイルでPDCAをまわせ!」なんて煽る姿をみると、実はぼくはあまり愉快ではないです。「足元すくわれるぞ!」と言いたくなる。消費者はそうお人よしじゃない。
そういう気になるところが、「世界経営者会議」を聴いていてあります。
盛んに何人もの人が「ダイバーシティだ!」と声をあげているのも違和感がありました。そんなの当たり前じゃない。何を今さらここで言っているの?・・・と、辛口の意見を言わざるを得ない気持ちになったのは、正直に告白しておきます。
ただ、総括でIMDのドミニク・テュルパン教授が「TECH」との単語で、今回の意見動向をまとめたなかで、「H」が俄然良かったです。Tはテクノロジーと人材、Eは社会経済的な環境とengagementとか、それぞれのアルファベットに2つの意味をもたせるのです。で、Hは謙虚を表すhumilityとユーモアのhumor です。
「謙虚であれ」は、もう完全に賛成です。謙虚な態度がいまほど求められる時もない。それこそ多くのことが定型化されて動いている「固体」の時代であれば、ある伝統的な様式を扱う人やヒエラルキーのトップには、それなりの「横柄さ」が許容される余地があったのです。まっ、気分よくないけど、実績もあるし、泳ぎ方を熟知してるのだから「仕方がない、ついていくか」と思うのもやぶさかではない。
しかしですよ、あらゆることが水のように流れている今の状況では、常に俊敏な、それこそアジャイルな対応が求められるわけです。「俺はあれを知っている」「私はこれをした」とのセリフに人はあまりひれ伏さなくなります。「それで?5年前は通用したかもね」と思われるのがオチです。常に目の前の水の流れを感知していないと話にならない。
だから、姿勢として、精神状態として、リラックスしてないとどうにもならないのですね。ずっと緊張してられないでしょう?カジュアルであるのは、そういう意味で必須なんですよ。
「あれは、こうあるべき」と言いながらが歩いているようなのは、もういただけません。あっ、ここで間違えないで欲しいのは、倫理観は「あるべき」とは違いますよ。もっと、そうだなあ、内的な本能に近いとでも言っておこうか、ここでは。
とするとですね、Hのもうひとつ、ユーモアの大切さがおのずと分かってくると思うのです。常にリラックスした状態にしておくに、ユーモアがある種の活性剤になるのです。
よくね、「余裕が大切」とか「余白のない生活じゃないと」って言うじゃないですか。それはそうなんですよ。でも、そういうと、どうしても経済的な、あるいは時間的な余裕とかが連想されて、「できるときはね」みたいな説得を自分にしちゃうんですよ。ダメ、ダメ。
そうじゃなくて、ユーモアは極限の状況でもというか、そのような状況でこそ生きるための技でもあるのですね。イタリアの『ライフ・イズ・ビューティフル』って映画、観たことありますか?ナチスの収容所に入れられた父と小さな息子が、その世界をいわばゲーム化して楽しみな空間と時間にする、あれです。あのスピリットが力になるのです。
余裕を得るのにマインドフルネスとかを連想した人がいたら、それを悪いとは言わないですが、まずはユーモアのある機嫌のよい自分を想像してみてください。これが鍵だと思いますよ、小難しいことはさておき。
あっ、そういえば、テュルパン教授はTECまで説明してHを言い忘れたんだっけ?ハーバード・ビジネス・スクールの竹内弘高教授がHを解説したのかな?ちょっとそのあたり記憶が曖昧だ。許せ!アジャイルだ!
写真©Ken Anzai
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