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大林宣彦監督『この空の花』を観る

映画監督の大林宣彦さんが亡くなりました。

彼が2011年に製作した一本の映画は、ぼくにとって特別な意味をもっています。

ぼくは公開当時にこの映画を観ることができず、2014年に目黒シネマで上映されたときに一人で観にいきました。

「ぼくにとってこれこれこういう意味で特別なのです」と語ることが今でも難しいのですが、でもどれくらい特別かというと、映画が始まって1分後のクレジットを観て、この映画がやろうとしていることを直感し、全身に鳥肌が立って、すーっと涙が流れて、そのまま2時間半うごくことができなくて、終わったあと物語の舞台である新潟県長岡市まで旅に行くことに決めたくらいでした。

その映画を、いまもう一度見返してみたのです。そして同じように、開始からずっと涙が止まりませんでした。

2010年に長岡花火をモチーフに制作が始まったこの映画は2012年の春に上映を予定していたそうです。

しかし、この映画の製作過程で3・11があり、またその夏には新潟を豪雨が襲いました。そしてその現実は、物語の中に入り込み、映画を根本的に変えていきます。

歴史とフィクションと現実が層をなし混ざり合うこの物語は、一本の劇中劇をめぐって進んでいきます。

その劇がいくつもの人生や出来事をからめとっていきます。それは、実在の人物の物語も巻き込み、登場人物のモデルになった人まで、映画のなかに登場させてしまいます。

物語のなかで「まだ戦争には間に合いますか?」という、何を問われているのかわからない問いが、反復されます。

そしてその劇中劇が上演されるとき、その客席が花火と音楽によって祝福されるように照らし出されます。それは、物語を観る観客であるぼくたちへの狂気のような祝福であり、これはあなたの物語なのだと語りかけてくるようです。

いま、嘘のような現実がぼくたちの人生の物語をぐねぐねと変えようとしているなかで、大林宣彦監督をはじめとするこの物語の作り手たちが見せてくれるあまりにもワンダーで過剰な希望を、今こそ多くの人に感じて欲しいと思い、映画を見終わった勢いで、そして、大林監督への追悼の意を込めて、この文章を書いています。

その映画は、こんな冒頭から始まります。

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未来に 生きる
子どもらに、

過去を 生きた
大人から、

ー今、
この映画を
贈る

2011.12.8

この映画は2011年3・11を経て私たちが実際に新潟県長岡市で体験した事実を元にした、ー随想的な劇映画である。

長岡映画
長岡から世界に向けて

「長岡映画」製作委員会

この空の花 長岡花火物語


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